いろいろな読み方ができるノンフィクションです。いつまでも起業精神を忘れずにいた鳥居、佐治の二代にわたるサントリー企業史として、また、NHKのドラマ『マッサン』で知られる竹鶴政孝とサントリーの創業者、鳥井信治郎を中心とした日本のウイスキー史というようにも読めます。
また、この本のもう一人の主人公、開高健を中心とした柳原良平、山口瞳らが集まったサントリー(当時は寿屋)宣伝部の活躍ぶりは日本が元気だったもう一つの昭和30年代物語だとも感じさせます。伝説となった雑誌『洋酒天国』の刊行、「トリスを飲んでハワイに行こう!」等の名コピー、名CMは彼らが生みだしたものです。どこかハイカラ(!)な雰囲気を感じさせるもう一つの『三丁目の夕日』物語のようにも思えます。
もちろん活力あふれる人間の姿だけではありません。複雑な家庭事情の中で育った佐治敬三という個性と、生涯鬱に悩まされ続けた開高健という才能が出会って起こした〝化学変化〟を追いかけたものなのです。
開高、佐治の二人はそれぞれが〝戦場〟の中にいました。開高がいたのは小説という〝戦場〟でした。創作のスランプに陥った開高は武田泰淳のアドバイス「ルポを書きなさい」に一筋の光明を見いだし、実際の〝戦場〟へ向かいます。それがベトナムでした。
「遺影になることも覚悟して撮った」というこの本に収録されている一葉の写真。樹に身体をあずけたまま何を見ているのか、放心しているようにも見えるその写真は、開高の心の底にあるものを見るものに感じさせます。この時、彼が従軍した部隊は200名の大隊でした。激しい戦闘に遭い、生き残ったのはわずか17名だったそうです。それが「人間の本質を、生きることの意味を、もう一度極限状況の中で見つめてみたい」という開高がベトナムの戦場で体験したものでした。そして開高は小説という〝戦場〟で戦い抜いていきます。家庭生活を含むさまざまなジレンマの中で名作を生み出していきました、その死にいたるまで。
もう一人の佐治の〝戦場〟とはなんだったのでしょうか。サントリーオールドを「〝世界一〟のウイスキーブランドに育て上げた彼は、さらなる高みを見つめて」いました。その一つは開高がアイデアを出したという「サントリー ザ・ウイスキー」の発売であり、もう一つは苦戦をしいられているビール市場での成功でした。
佐治はウイスキーの世界での成功で止まることはできませんでした。ビール市場への夢、それは創業者の鳥居がワインの成功で止まることなくウイスキーへと夢をはせたものと同じものだったのでしょう。それを突き動かしていたものこそ「やってみなはれ」という言葉にあらわれた起業精神だったのです。
小説家という枠を超えて多面的な活動をした開高健、企業家という枠をこえて文化事業へも夢を広げた佐治敬三。これはサントリーという企業の歴史を超えて、昭和の元気あふれる日本を生き抜いた、たぐいまれな個性を持つ二人が時に近づき、時に離れながらも通わせ続けた友情・交情を綴った傑作ノンフィクションです。
著者は豪快にみえる彼らの二人の底にあるものをこう記しています。
「開高という男は、表面上豪快にふるまっていたが、むしろ壊れやすいガラスのような感性を持ち、アメリカの国民作家アーネスト・ヘミングウェイにも似て、性格の根本に繊脆(せんぜい)なところがある」。そして佐治についても、「彼もまた、実は開高同様の繊脆さを内に秘めていたのである」と。それは開高の死の報に触れた時の佐治の姿にあらわれていました。
著者は記しています。「開高はみずからの半身であった。佐治敬三という男の奥底に住みついている繊細で傷つきやすい青年の心が、それを共有していたものの死を前にして雄叫びをあげるようにして慟哭していた」と。それは奇跡ともいえる出会いをした二人の別れの時でした。
苛烈な戦場体験をした開高健はこのような言葉を残しています。「見るなら見るで徹底的に、この国の行く末まで見届ける責任がある」。開高健は今の日本をどう見るのでしょうか。そしてベトナム戦争と大きく様変わりした今のテロという戦争を開高だったらどう見るだろうかとも考えてしまいました。
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。
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