美女を求めて東京中を散歩……となると歩き始めはやはり五街道の起点、日本橋から……と安西さんの美女散策が始まります。
日本橋に立ち、思い浮かべたのはすぐ近くに働いている知り合いの女性のことでした。やはり足は向いてしまいます。無事(?)再会して後刻のデートを約束をとりつけました。「出だしから快調」と、安西さんの微笑が目に浮かびます。初日の散歩で安西さんの心に残ったのは浜町公園で出会った女性でした。葉巻の火を借りたのきっかけに四方山話をする2人。その時に彼女が見せたのが安西さんのいう「瞬間的な笑い」でした。作り笑いではない彼女の笑顔に安西さんはすっかり魅せられてしまいます。
幸先のいいスタートを切った東京のそぞろ歩きですが、どの街の散歩からも安西さんの審美眼と知識があふれだしてくるすてきなエッセイです。
「だいたいぼくは山の手育ちより、下町、いわせていただければ場末の女性の方が好きだ。永井荷風には共感する」と公言する安西さんの目には今の女性たちはどう映っているのでしょう。随所随所に描かれた安西さんのイラストが雄弁にそれを語っています。曰く「スパッツ嫌い」「バカップル嫌い」、そして「三十代半ば(略)から四十代半ばの女性が女としては一番色っぽい」というものが美女の規準だそうです。
仕事場があった青山・表参道の雰囲気についても手厳しい言葉があります。某ファッションビルにつけられた添え書き(というのがふさわしいと思うのですが)だけでなく、
「青山といったら、今やファッショナブルな街として世界的に知られている。(略)間違いなく美女も多い。モデル級の女が闊歩している。ところがよく考えてみるとつまらない街でもある。レストランにしても見せかけだけの店が多く、あまり大きな書店もない。母国を追放されたような外国人といい気になって腕を組んで歩いている女もいる」
と実に辛辣に、でもユーモラスに記しています。もっともこんなことは安西さんが、青山が静かな住宅街だった頃(コウモリが飛んでいたそうです)を知っているからいえることなのでしょう。
安西さんの〝粋を見つける視線〟は今の女性たちだけにむけられたものではありません。安西さんがふれあった(つきあった?)さまざまな女性たちも登場します。そのどれもがえもいわれぬ雰囲気を漂わせていて本を閉じることができなくなるほどです。彼女たちが醸し出していた雰囲気は今の女性たちには残されているのでしょうか。人は歳をとります。人によってはまた新しい魅力を持つこともあると思います。今のスパッツ女性もまた新しく魅力を持った女性にならないとも限りません。
でも街は、都市はどうでしょうか。安西さんが歩いた東京は年輪を重ねた魅力あふれる都市になっているのでしょうか……。
安西さんの視線は目の前の女性や街並みを越えてずっと遠くを見ているようにも思えます。
そしてその視線は過去へもむかいます。この(美女と出会えた)場所はどのような歴史があったのかと。その博識さにも驚かされます。〝東京〟という得体の知れないものになる前にここに何があったのか、誰がどのように生きてきたのか。安西さんが過去にむける視線はとても鋭く、でも温かくかつての街の姿をよみがえらせてくれます。綺麗を訪ねて地霊を探し当てている、これもまたこの本の大きな魅力です。赤坂で生まれ、山の手の雰囲気だけでなく下町の情緒にも触れてきた稀代の〝粋人〟安西水丸さんだから描くことができた重層的なパノラマのようです。
この本には著者の後書きはなく(刊行前に安西さんは亡くなりました)、代わりに美女と歩いている安西さんの後ろ姿の写真が収録されています。それもまたこの本の語り部にはふさわしいのかもしれません。
ところで次の文、ある年代以上の人にとって笑いのツボだと思うのですが……。
「電車で錦糸町へ向かった。この駅で降りたのははじめてだった。中学の頃、錦糸町というと何となく中村錦之助(後に萬屋錦之介)がプレスリーの恰好で江東楽天地のステージで歌っているという奇妙なイメージがあって近寄らなかった」
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。
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