すべての闇のトラブル解決に導く男
本書のカバーソデには、こうある。
本書は単なるアウトロー自慢の書ではない。
市民生活に潜むトクリュウの罠、
過剰なコンプライアンスのプレッシャーにまみれた現在において、
いかに合法的にビッグビジネスを成立させるか、
欲望を実現できるか、
その心得を説く指南書としてご活用いただければ幸いである。
著者は明治大学を卒業後、大手広告会社を経て、会社経営者、投資家などさまざま肩書きを持ちながら、六本木、新宿歌舞伎町を“サバイブ”した人物である。この場合の“サバイブ”とは「生き残る」ではなく、「負け」なかったことを意味する。どんなビジネスやトラブルであっても「勝つ」か、(一定のスジを通して)「収め」続けること。それがどれほどのことか、分かるだろうか? 芸能人、著名人、女子アナ、起業家、投資家、キャバ嬢、セクシー女優、ホスト、チーマー、暴走族、ギャングにヤクザ、暴力団。そして弁護士、警察官僚、政治家……。こうした人たちを相手にことをしくじって「負け」れば、良くて業界からの退場、悪くて命を失う世界である。
そういう世界に、なぜ著者が踏み込んだのか?
人間として、究極の頂に登り詰めるためには、田中角栄が話していたとされる道を極めなければならないと悟った。
「世の中は白と黒ばかりではない。敵と味方ばかりではない。その間の中間地帯、グレーゾーンが一番広い。そこを取り込めなくてどうする。真理は常に中間にあり」
これは事件だ!
ひとつめは、本書の情報量が “データベース”と言えるほどに多いこと。小さなトラブルから、世間を騒がせた大きな事件まで、普通なら表に出てくることのない実名・組織名(もちろん、すべてではないが)や、その人物や組織についてのパワーバランスが事細かに記されている。
たとえばスーフリ事件(早稲田大学のインカレサークルによる組織的集団暴行事件)や、フラワー事件(六本木のクラブで起きた人違い殺人。暴走族グループ「関東連合」OBらの抗争が発端)、プチエンジェル事件(非合法デートクラブの経営者による少女監禁事件。後に多くの陰謀論を生む)などについて、その内側をここまで明かした本を私は知らない。かつての実話系雑誌の読者(私を含む)が知りたかったことは、ほぼ本書で明らかにされていると言っていい。マニアやオタクが望む「実は◯◯だったのではないか?」とか、「◯◯のせいで、すべては明らかにされていない」という下世話なファンタジーは、本書の生々しく、陰惨で、克明な記録に吹き飛ばされる(そして「もういいや」と思わせる)。当分、本書をネタ本につまらないYouTube動画が溢れるのではないかと思うけれど、はっきり言って「その動画視聴の時間で、これを読め!」と言いたい。
もちろん、実名出しや事実を謳(うた)っているからといって、果たしてそれが「真実」なのかどうか。それは分からない。書かれていることは、著者が体験した、居合わせた、会った、話した、そしてさまざまな関係者から見聞きしたことの連なりだ。そもそも、詐欺にタタキ、ありとあらゆる犯罪に「真実」という言葉が相応しいか、考えたほうがいい。しかし、ディテールの精緻さにおいて本書は飛び抜けており、これをウソだと言うのであれば、著者はとんでもない妄想家という話になる。もちろん、著者にも“書ける話”と“書けない話”があるであろうから、その虚実皮膜は読者が飲み込むものとして、それでもここまでの本が出たことは、充分な「事件」であると思う。
もうひとつの側面は、本書が“リアルなストリートから生まれている”ことだ。
「この本はヒップホップだぜ!」ぐらい言いたいところだが、やめておく。ただ、本書のあちこちに出てくる鋭い言葉は、お勉強で手に入れたり、ネットでほじくり出せたりする代物じゃない。
「プロローグ」に書かれたこの一節から、もうシビれる!
東大を出た人間が言う「世の中学歴じゃない」という言葉と、学のない成功者が成り上がるストーリー。世間的には後者のほうが響くと思うが、私からしてみれば社会を動かす者はその二つしか存在しない。絶対的な結果を出しているからだ。それ以外はアナリストという名の分析屋になる前にどちらかを目指さねばならない。
汚名返上に掛かる費用と時間と労力は大きい。報われるかさえわからない。静観したほうが良いというのは、時が解決する過去の恋愛と同じような感覚を抱く。一ミリも非がない中での問題ならさておき、言われるだけの些少の出来事は認めた上で自分の中で整理、解決しなければ前には進めない。生きるか死ぬかの話じゃないし、人生は果てしなく長い。
こうした鋭い言葉を繰り出す一方で、通常、文章を切るところを切らないとか、文章の作法的な“混乱”も見られる。それを「読みにくい」と思う人もいるかもしれない。“混乱”といっても、それは多分に、登場人物や、押さえておかないといけない情報量(特に組織の上下関係や、組織同士の関係性)が非常に多いせいによる。そして、その混乱した文章が、新宿歌舞伎町や六本木のクラブ、風俗やホストクラブ、一流のキャバクラからホテルのスイートルームを含むストリートが孕(はら)んでいた享楽と暴力性、ヒリヒリとした空気を伝えていたりもする(もう少し言わせてもらえば、途中で私は「これはヒップホップにおけるフロウ(歌い回し、ビートへの乗せ方)である」と理解した)。
グレーゾーンを極めた先にあるもの
本書の第7部で、著者は活動を世界へ広げていく。タイ、香港、シンガポール……。そこで金の取引や、暗号資産のビジネスを始める。それは間違いなくインローのビジネスだ。なぜなら法がビジネスを縛る前の、まったく新しいフィールドにおいて、これまで存在しないビジネスモデルを立ち上げ、その先行者利益を独り占めするものだからだ。本当に鮮やかとしか言いようがない。
これを今一度、印刷の世界に例えてみる。
カラー印刷を行う場合、通常BL、C(Cyan=青)、M(Magenta=赤)、Y(Yellow=黄)の4つ版を使う。インローでグレーゾーンを極めるのであれば、法律の規制がかかるBLは避け、規制前のCやM、Yの版で(つまりは海外や金取引、暗号資産で)ビジネスをすればよい。しかし、BLの%が低くても、CやM、Yの版を重ねれば、色は濁り黒に近づいていく。それもあっという間に模倣者が表れ、「それは黒に見えますね」と法がビジネスを縛り始める。グレーゾーンを極めるというのは、その繰り返しなのではないか?
そういう世界にずっと身を置いてきた著者が、なぜに自分の手の内を明かすような、それも相当なリスクがあると思われる本書を記したのか? 著者本人が、その理由をもろもろ書いているが、「トクリュウ」の登場について相当の危機感を覚え、それをきっかけに本書を記したという点については納得がいく。「グレーゾーンを極める」者として、グレーの人間(その多くはBLパーセンテージの低い一般人だ)を使い捨てにする「トクリュウ」の手法は決して呑めないだろう。暴力団排除条例以降、生まれるべくして生まれた「トクリュウ」の出現により、物語は「東京ダークドリーム season2」に突入している。








