著者は東京大学名誉教授で、日本古代文学の専門家だ。これまでに多数の書籍を手掛けており、本書と同じ出版社である講談社からは、『新釈全訳 日本書紀』(共著、上巻・中巻、下巻は未刊)も刊行している。物語として『日本書紀』に触れたい方は、そちらを読むのが良いだろう。
そんな著者が今回、あらためて「『日本書紀』を読む」ことに向き合ったのは、なぜなのか。『日本書紀』は当時の人々にとって、「神代から八世紀の現代までの『日本』王朝の『歴史』」だったと語る著者は、「『日本書紀』を読むことにもとめられるのは、『日本』王朝の『歴史』を見届けることだ」とした上で、構成や内容に共通するところを持つ『古事記』を挙げ、『日本書紀』との違いについてこう語る。
『古事記』は日本語として読まれるように書かれてある。『日本書紀』は漢文つまり外国語文で書かれてある。体裁として、『日本書紀』は年月日にかけて記す編年体であるが、『古事記』には年月日をしめすことがない。『日本書紀』は朝廷の公的な編纂(正史)として重んじられ、朝廷で講読(講書という。九世紀初から十世紀半ばまで六度おこなわれた)がおこなわれたりした。『古事記』にはそうしたことはない。両者の「神代」のコスモロジーは異なるといわねばならぬ、等々。神話から天皇たちの歴史まで全体が異なるのである(参照、神野志隆光『古事記と日本書紀』講談社現代新書、一九九九年。『複数の「古代」』講談社現代新書、二〇〇七年)。
『日本書紀』は漢文で書かれたものである。その漢文を読むこと、つまり、成立や、歴史的な事情とのかかわりなどでなく、本文そのものについて読むことが十分にはたされているか。訓読文をつくり、その訓読文に注をつけるのが、現行の注釈のかたちだが、それでよいのか。
いわば根源にゆき着きつつ考えてきたが、いま、『日本書紀』を読むことは、漢文として読むことだとつよく思う。そのために、訓読文を経由したりせず、漢文に即して読むことが第一義と考える。ただ、伝来されてきたテキストが、訓を付したかたちであることに向き合って、それを生かすものでありたい。そして、『日本書紀』から批判的に史実をもとめるというようなやりかたでなく、『日本書紀』自体の語る「歴史」として見るのでなければなるまい。
正直に言えば、かなり専門性の高い内容に圧倒されてしまった。図版として豊富に紹介される漢文も、読めそうで読むことができない。それでも、先人たちがいかに記し、思考し、遺してきたのかを追うのは心が躍ったし、それをいかに受け止め、読み解くのかという研究者の姿勢も、興味深いものだった。
第三章では、いよいよ皇統、すなわち「日本」王朝という視点に立って史料を紐解いていく。ここでは、著者の視点だけでなく、江戸の国学者たち──新井白石や伴信友、頼山陽、林羅山といった人々の弁も取り上げる。
なお、本論とはずれるが、「聖帝」として称えられた仁徳天皇による、水利と治水についてのくだりも心に残った。
十一年条に難波堀江・茨田堤(まむたのつつみ)、十二年条に山城栗隈県(やましろくるくまのあがた)の大溝、十三年条に和珥池(わにのいけ)・横野堤(よこののつつみ)、十四年条の小橋(おばし)・感玖(こむく)の大溝等、おおくの水利事業がなされたとある。
(中略)
古代中国の聖帝たちが、尭・舜・禹、特に禹が治水に力をつくしたということが、「聖帝」とたたえられたこととあいまってよびおこされよう。仁徳の「聖帝」たることは、仁政とあわせて、この水利事業と一体のものとして見るべきなのである。








