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2026.10.16

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アウシュヴィッツ──なぜこの地に巨大収容所は作られたのか? 大量虐殺の実態とは

ナチ・ドイツによるユダヤ人虐殺の舞台となったアウシュヴィッツ強制収容所。その地が実はドイツ国内ではなく、現在のポーランド領にあることも、知らない人は多いかもしれない。本書は、図らずも歴史にその名を刻んだアウシュヴィッツ(古ポーランド語に由来する地名は、オシフィエンチム)にフォーカスし、その地の歴史、その地で行われた蛮行について、つとめて冷静な筆致で描いた一冊である。

著者は、ナチ・ハンターとしても知られる検事の名を冠したフリッツ・バウアー研究所の所長もつとめる、研究者・大学教授。2025年の著書『ヒトラー――ある独裁者の歴史』は、わずか128ページでヒトラーの歴史をまとめ、話題になったという。本書もまた全ページ引用したいくらいシャープで濃密、かつクールな文体で読ませるが、その醍醐味はなるべく読者に譲ろう。

アウシュヴィッツ(オシフィエンチム)は、その地名が初めて文献で言及された1127年から、何世紀にもわたって支配者が何度も変わり続けた「境界地域」であった。19世紀末以後は大量の移民流入により、特別収容所が設置されたという。ただし、これは季節労働者用の移民収容所であり、のちの禍々しい「絶滅収容所」とは異なる。大きなターニングポイントとなったのは、やはり1939年のナチ・ドイツによるポーランド侵攻だ。第二次世界大戦の始まりであり、また国家主導による大量虐殺への道が大きく開いた瞬間でもあった。

読みながら、何度も思考が停止してしまう瞬間がある。人間はどこまで残酷になれるのか、何が欠落したら人間はたやすく「そちら側」へ行ってしまうのか。思わず自分がいま暮らしている社会と照らし合わせて考え込んでしまうような内容だ。文体は落ち着いているが、だからこそ背筋の凍るような瞬間も多い。
経済的な有用性に基づく収容者の選別は、一九四二年春に散発的に開始され、四二年七月四日から常態化した。この日、移送されてきたスロヴァキア系ユダヤ人を対象に、移送者全員を対象とした選別が初めて行われた。
この日は、組織的な絶滅の開始を意味する。親衛隊の医師と幹部たちによって行われた選別が、生死を分ける決定の基本方針となった。犠牲となったのは、身体的に労働に不向きなすべての収容者、すなわち子ども、妊婦、老人、病人、そして障害者だった。
労働適合者(アウシュヴィッツに移送された収容者のうち平均して約二〇%)は、過酷な環境に置かれた。強制労働は数ある殺害方法のうちの一つに過ぎなかったが、労働とはまさに緩慢なる死と同義だった。労働配置された収容者の大半は、暴行、衰弱、極度の疲労、そして非人道的な生活環境に耐えかねて、平均して三ヵ月から四ヵ月後には命を落とした。
アウシュヴィッツでは、絶滅収容所の建設・運営(効率的殺害方法の模索、迅速な遺体処理のための労働力確保も含む)のみならず、ナチ党員・ドイツ国民を対象にしたニュータウン建設計画も急ピッチで進められた。さらに、囚人を労働力としてフル活用した工場建設、毒ガス開発に協力した企業などについても詳しく語られる。それはひとつの「街づくり」であった。

映画『関心領域』(2023年)でも描かれていたが、壁の向こうで行われていた残虐行為を「非関心領域」として、平和な町で穏やかな日常生活を営み続けている人々がいた。もしナチスが戦勝国となり、1945年以降もそれが続けられていたとしたら、人々はその欺瞞に満ちた生活環境に耐えられたのだろうか? 現在の我々も、そんな「非関心」対象から目を背けて暮らしていないだろうか?

そもそもアウシュヴィッツ周辺の住民は、収容所で実際にどんな行為が行われていたのか知る者は少なかった、という声もある。1939年にドイツからアメリカに渡った女優マレーネ・ディートリッヒは「そんなわけないでしょう」と一蹴したが、あえて目を背けること、沈黙を守ることも人間の防衛機制としてありうると、いまの我々ならハッキリとわかるだろう。それが現実からは程遠くても。
アウシュヴィッツ市内の一般住民の間では、断片的な情報、噂、そして憶測が飛び交っていた。焼けた肉の鼻を衝くような悪臭は耐えられないほどに広まり、彼らは何か良くない原因があるのではないかと疑っていた。情報を求めれば、心を落ち着かせてくれる説明にたどり着くことはできた。例えば、収容所内の死亡率が高いのは常だし、死体は火葬せざるをえない、といった説明だ。
もちろん、どことなく漂う恐怖心も口をつぐむ一因となっていた。
(中略)無関心も広く見られたが、それがどの程度だったのかは不明である。いずれにせよ、抗議の声が上がることはなく、むしろ「何もしないこと」が支配的になっていた。
ナチ・ドイツによるユダヤ人虐殺は、ドイツ国内だけでなく、ヨーロッパ全土を巻き込んだ大スケールの犯罪として展開した。傍から見れば誇大妄想と言っていい規模の作戦に、国民全体や同盟国までもが追随してしまった歴史的事実は、現代の我々にもリアルタイムで重くのしかかる。正しい人選をしないかぎり、自分たちが選んだリーダーの狂気に国ごと呑まれる可能性はじゅうぶんにあるのだ。アウシュヴィッツはその主要舞台ともなった。
アウシュヴィッツでは、ヨーロッパ各地からのユダヤ人移送数は日に日に増加していった。ユダヤの人びとは絶滅作戦開始前は収容者全体のごく一部に過ぎなかったが、今や最大グループとなった。こうして移送されたユダヤの人びとは、もはや登録や番号の付与もされず、選別された直後に殺害されるようになったのである。
西ヨーロッパからの移送に続いて、ドイツと同盟関係にあり、移送に同意したクロアチア、ノルウェー、そして後にイタリアとハンガリーといった国々からのユダヤ移送が実行された。一九四二年から一九四三年にかけて、さらに他の国や地域が移送元に加わる。つまり、ユーゴスラヴィア、ギリシャ、フランス南部である。
膨大な数の人々が亡くなり、身元不明のまま「処理」された。歴史を知る私たちは、アウシュヴィッツ絶滅収容所に終焉が訪れ、わずかに生き残った人々が地獄のような毎日から解放されたことを知っている。映画『シンドラーのリスト』(1993年)などで描かれたように、たまたま救われたユダヤ人もいたという美談も……。だが、現実の「犠牲者数」を前にすると、それを救いや希望などとは軽々しく言えない。

私たちは本書を読みながら、2026年現在、ガザ地区で起きていることも思い浮かべずにいられない。人類の「終わりなき負のサイクル」といったフレーズが、自然と思い浮かぶ。だが、権力者でもなく、誇大妄想狂でもない我々は、そんなものにはできるかぎり歯向うべきだ、と決意を新たにさせる一冊でもある。

アウシュヴィッツの歴史

著 : シビレ・シュタインバッハー
訳 : 柳原 伸洋
訳 : 小林 百音

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レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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