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2024.11.20

レビュー

性欲を解放させることでナチスは社会を支配せんとした。『愛と欲望のナチズム』

ナチズムの「大衆支配」は、「性的タブーの撤廃」を通じた「欲望の動員」のメカニズムを形成していた。恐るべき帰結をもたらしたナチズムの支配が、性の解放とその道具化に根ざしていた事実こそ、われわれは問題としなければならないのである。
ヴァイマル期の退廃的文化、同性愛、障碍者、そしてすべてのユダヤ人――多くのものを「この世から一掃すべきもの」と謳(うた)い、当時の国民から圧倒的支持を集めたナチスドイツ。純潔を標榜しながら残虐非道な政策の数々をおこなった彼らの倒錯性と異常性は、いまでこそ全世界に人類史上最悪の悪行として認識されているが、それが多くの人心を掌握した事実も我々は忘れてはならない。そのなかには、悪名高き優生思想に裏打ちされた「愛と性の営みの奨励」も含まれていた。

本書は現存する膨大な一次史料にあたり、その知られざる政策をつまびらかにした一級の研究書である。これを読めば、ナチスドイツが決して潔癖さや純粋さだけを売り物にせず、むしろあけっぴろげな「性の解放」によって民衆を虜(とりこ)にしたことがわかる。前もって言っておくと、文中には当時の差別意識や性認識を克明に伝える、不快で蔑視的な表現が数多く引用されているので、その点は留意して手に取っていただきたい。なお、本書は2012年に講談社選書メチエから初刊行され、今回の文庫化では新たに「ドイツ占領下ワルシャワの売買春」という補章が追加された。

まず驚かされるのは、ナチスドイツが性教育に関しては意外なほど「進歩的」だったという記述だ。「退廃的」で「非生産的」な性愛を憎み、「自然のままの男女の愛」を賛美した彼らは、若者世代の婚前交渉に対して肯定的で、若い男女ができるだけ多くのゲルマン民族の子孫を残すことを望んだ。ゆえに避妊はさておき、性病予防や正しい性知識の早期学習には積極的だった。そこには旧世代への反発――堅苦しい聖書の教えに縛られたキリスト教家庭の厳格さ、うわべだけ上品に取り繕って背徳や不義に走るブルジョワへの憎しみも含まれており、それが「自由への解放宣言」に見えた若者世代の支持を集めたことも示唆される。

ナチ政権下で精神療法の大家として重宝され、第二次大戦中もロングセラーとして版を重ねた性教育書『性・愛・結婚』を著したヨハンネス・ハインリヒ・シュルツの下記の言葉は、意外とまっとうなことを語っているようでもあり、進歩的にも見える。だが、そこには「不健全な性的発達」=同性愛の矯正・根絶という排他的要素が含まれていることも見逃してはならない。
彼によれば、健全な性的発達を阻害する最大の要因は、「間違って理解された家庭の市民性という意味での虚偽や潔癖さや不誠実さ」であり、そうした環境のもとで育った子供は、性的感情を「不潔で許されざるもの、隠されるべきものという感情」と結びつけ、「重大な内的な罪悪感と良心の呵責」に陥ることになる。それゆえ、子供に対して性的な事柄を口にするのを禁じたり、自慰をとがめたりすることは、無条件に避けるべきである。性の問題を抑圧・隠蔽する不誠実な態度こそ、性的な倒錯や逸脱の原因であり、親がなすべきことは、子供の心から性への不安や罪悪感を取り除き、自己指導と自己支配への道を開いてやることである。
ナチスドイツにとっての「正しい性教育」は、性の多様性を認めない差別意識を内包しており、それはやがて迫害・虐殺といった非情な施策へと至る。ドイツ国内の同性愛者がさらされた苛酷な運命は、マーティン・シャーマンの戯曲『ベント』などでも後年描かれた。シュルツのおこなった「矯正治療」も、極めて非人道的である。
しかしながら、同性愛者の治療を試みるシュルツらの姿勢が、その迫害と根絶をめざした親衛隊帝国指導者のそれと一面で通じ合っていたことも忘れてはならない。同性愛者を異常で倒錯した人間と見なし、個人の性的指向を許容することなく、民族の名のもとに異性愛者への「転極」を強制した点で、精神療法的なアプローチが結局のところ同性愛に敵対的なものであったことは疑いえないし、断種や去勢、あるいはホルモン治療のように肉体的存在を脅かさなかったにせよ、同性愛を積極的な介入によって解消すべき喫緊の問題と見なしていた点で、ナチズムの酷薄な健康政策と基本的に同じ目標を追及していたことは明らかである。(中略)
同性愛行為の鑑定を任されたシュルツは、その治療可能性を判定するため、目の前で同性愛者に売春婦と性交させて、これに成功したものを懲罰から救ったが、それは同時に、失敗した者を強制収容所へ送ることを意味していた。
一方、性的解放を国家に許された若者たちの欲望は、決して権力の思いどおりにコントロールできるものではなかった。愛のないセックスに耽(ふけ)る少年少女は激増し、コンドームの消費量も膨れ上がったという。さらに、好奇心旺盛な少女たちは外国人とのアバンチュールを楽しみ、党が理想とする「純潔な子孫」を得るプロセスとは程遠い事案が頻発。そんな状況を「道徳解体現象」と呼ぶ言葉のインパクトもなかなかすごい。
もっとも、ナチズムの政策を十把一絡げに国民の享楽欲に迎合した結果と見なすことには、おのずから無理がある。すでに見た通り、ナチ党内には旧来の性道徳に強く反発しつつ、性愛の歓びを積極的に肯定しようとする志向も存在したからである。頑迷な道徳家たちが示唆したように、若い男女の間に見られた「道徳解体現象」は、ナチズムの喧伝する「生の肯定」が招いた結果でもあった。「生を喜ぼう」という公的なスローガンは、「汚い欲望」に身をゆだねてもかまわないというお墨付きを与えていたのである。
ナチスドイツは巷(ちまた)にはびこる「性の放埓」を本気で取り締まろうとはしなかった。むしろ「健康的な自然美」という建前のもと、セクシュアルな図版や映像が巷に大量に流通し、ヴァイマル期よりも過激なヌードショーが公のイベントとして大々的に開催されたりした。よくナチスを悪役として描いた映画などで、制服に身を包んだ親衛隊と倒錯したエロティシズムがセットで描かれることが多いが、それもあながち間違ったイメージではないことがわかる(本書執筆の動機も、ある1本の映画であることが「あとがき」で明かされる)。
ナチ政権下の性的なアトラクションとして特筆されるのは、一九三六年から三九年まで七月末にミュンヘンのニュンフェンブルク宮殿の庭園で開催された「アマゾン女の夜」である。これはリームの国際馬術週間の終幕を飾る夜の催しで、何千人もの参加者が共演する大がかりな野外劇と仮装行列を中心としていた。なかでも悪名高かったのは全裸に近い女性たちによる見せ物で、「狩猟の女神ディアナ」の山車(だし)の上では、ほとんど服を着ていない若く美しい少女たちの肉体が、きらびやかな照明を浴びて輝いていた。
欲望を支配と統制の道具として活用するナチスドイツの政策は、より露骨にエスカレートしていく。売春宿と売春街の設置、警察による管理体制もそのひとつだ(「一九三六年六月にドイツ警察長官に就任したヒムラーこそ、管理売春拡大の黒幕だった」と本書では語られる)。それらはやがて「兵士用」「外国人用」「囚人用」と細分化され、ついには収容所内にも設置されるに至る。また、開戦以降は領地拡大とともに、それぞれの支配地域に売春宿を設けることも忘れなかった。料金にまで当局が口を出したという記録にも唖然とする。
保健当局は、健康上の観点から売春宿を管理したばかりでなく、売春婦を兵士の福祉に役立てようと、料金の適正化にも取り組んだのだった。兵士の士気を高める刺激剤として、売春の活用がはかられていたことは明らかである。ここにはまさに、ナチズムによる性の道具化が露骨な形であらわれていたといえよう。
言ってることがメチャクチャだ、としか思えない政策とその顛末が、このほかにも本書には次々と登場する。そんな政党を一国の民衆が支持し、常軌を逸した政策を受け入れてしまったことは歴史的な事実である。人間の「欲望」や「願望」を用いた狡猾な支配に、我々も決して飲まれないとは断言できない。
こうした第三帝国下の「性-政治」の実態は、性愛と権力の根源的な同一性を示唆している。ナチズムがその支持者のうちに解き放ったものは一種の性的な情動であって、そこでは権力とその受容が公然とエロティックな性格をおびていた。ヒトラーの演説が聴衆の間に激しい興奮とエクスタシーをもたらしたこと、総統と聴衆の間に感情を揺さぶる性愛的な関係が成立していたことは、同時代人の目には明らかだった。
「彼らは懇願する者よりも支配する者を好み、リベラルな自由の是認よりも他説を一切容認しない教説によっていっそう内的満足を感じるものだ」……本書に引用されるヒトラーの発言である。この「嘲り」を、現代に生きる我々は撥ねつけることができるだろうか?

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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