ナチズムの「大衆支配」は、「性的タブーの撤廃」を通じた「欲望の動員」のメカニズムを形成していた。恐るべき帰結をもたらしたナチズムの支配が、性の解放とその道具化に根ざしていた事実こそ、われわれは問題としなければならないのである。
本書は現存する膨大な一次史料にあたり、その知られざる政策をつまびらかにした一級の研究書である。これを読めば、ナチスドイツが決して潔癖さや純粋さだけを売り物にせず、むしろあけっぴろげな「性の解放」によって民衆を虜(とりこ)にしたことがわかる。前もって言っておくと、文中には当時の差別意識や性認識を克明に伝える、不快で蔑視的な表現が数多く引用されているので、その点は留意して手に取っていただきたい。なお、本書は2012年に講談社選書メチエから初刊行され、今回の文庫化では新たに「ドイツ占領下ワルシャワの売買春」という補章が追加された。
まず驚かされるのは、ナチスドイツが性教育に関しては意外なほど「進歩的」だったという記述だ。「退廃的」で「非生産的」な性愛を憎み、「自然のままの男女の愛」を賛美した彼らは、若者世代の婚前交渉に対して肯定的で、若い男女ができるだけ多くのゲルマン民族の子孫を残すことを望んだ。ゆえに避妊はさておき、性病予防や正しい性知識の早期学習には積極的だった。そこには旧世代への反発――堅苦しい聖書の教えに縛られたキリスト教家庭の厳格さ、うわべだけ上品に取り繕って背徳や不義に走るブルジョワへの憎しみも含まれており、それが「自由への解放宣言」に見えた若者世代の支持を集めたことも示唆される。
ナチ政権下で精神療法の大家として重宝され、第二次大戦中もロングセラーとして版を重ねた性教育書『性・愛・結婚』を著したヨハンネス・ハインリヒ・シュルツの下記の言葉は、意外とまっとうなことを語っているようでもあり、進歩的にも見える。だが、そこには「不健全な性的発達」=同性愛の矯正・根絶という排他的要素が含まれていることも見逃してはならない。
彼によれば、健全な性的発達を阻害する最大の要因は、「間違って理解された家庭の市民性という意味での虚偽や潔癖さや不誠実さ」であり、そうした環境のもとで育った子供は、性的感情を「不潔で許されざるもの、隠されるべきものという感情」と結びつけ、「重大な内的な罪悪感と良心の呵責」に陥ることになる。それゆえ、子供に対して性的な事柄を口にするのを禁じたり、自慰をとがめたりすることは、無条件に避けるべきである。性の問題を抑圧・隠蔽する不誠実な態度こそ、性的な倒錯や逸脱の原因であり、親がなすべきことは、子供の心から性への不安や罪悪感を取り除き、自己指導と自己支配への道を開いてやることである。
しかしながら、同性愛者の治療を試みるシュルツらの姿勢が、その迫害と根絶をめざした親衛隊帝国指導者のそれと一面で通じ合っていたことも忘れてはならない。同性愛者を異常で倒錯した人間と見なし、個人の性的指向を許容することなく、民族の名のもとに異性愛者への「転極」を強制した点で、精神療法的なアプローチが結局のところ同性愛に敵対的なものであったことは疑いえないし、断種や去勢、あるいはホルモン治療のように肉体的存在を脅かさなかったにせよ、同性愛を積極的な介入によって解消すべき喫緊の問題と見なしていた点で、ナチズムの酷薄な健康政策と基本的に同じ目標を追及していたことは明らかである。(中略)
同性愛行為の鑑定を任されたシュルツは、その治療可能性を判定するため、目の前で同性愛者に売春婦と性交させて、これに成功したものを懲罰から救ったが、それは同時に、失敗した者を強制収容所へ送ることを意味していた。
もっとも、ナチズムの政策を十把一絡げに国民の享楽欲に迎合した結果と見なすことには、おのずから無理がある。すでに見た通り、ナチ党内には旧来の性道徳に強く反発しつつ、性愛の歓びを積極的に肯定しようとする志向も存在したからである。頑迷な道徳家たちが示唆したように、若い男女の間に見られた「道徳解体現象」は、ナチズムの喧伝する「生の肯定」が招いた結果でもあった。「生を喜ぼう」という公的なスローガンは、「汚い欲望」に身をゆだねてもかまわないというお墨付きを与えていたのである。
ナチ政権下の性的なアトラクションとして特筆されるのは、一九三六年から三九年まで七月末にミュンヘンのニュンフェンブルク宮殿の庭園で開催された「アマゾン女の夜」である。これはリームの国際馬術週間の終幕を飾る夜の催しで、何千人もの参加者が共演する大がかりな野外劇と仮装行列を中心としていた。なかでも悪名高かったのは全裸に近い女性たちによる見せ物で、「狩猟の女神ディアナ」の山車(だし)の上では、ほとんど服を着ていない若く美しい少女たちの肉体が、きらびやかな照明を浴びて輝いていた。
保健当局は、健康上の観点から売春宿を管理したばかりでなく、売春婦を兵士の福祉に役立てようと、料金の適正化にも取り組んだのだった。兵士の士気を高める刺激剤として、売春の活用がはかられていたことは明らかである。ここにはまさに、ナチズムによる性の道具化が露骨な形であらわれていたといえよう。
こうした第三帝国下の「性-政治」の実態は、性愛と権力の根源的な同一性を示唆している。ナチズムがその支持者のうちに解き放ったものは一種の性的な情動であって、そこでは権力とその受容が公然とエロティックな性格をおびていた。ヒトラーの演説が聴衆の間に激しい興奮とエクスタシーをもたらしたこと、総統と聴衆の間に感情を揺さぶる性愛的な関係が成立していたことは、同時代人の目には明らかだった。