あなたの知っているチューリングは?
または、ベネディクト・カンバーバッチ主演のアカデミー賞も受賞した映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』を観た人もいるかもしれない。当時イギリスでは犯罪者扱いされた同性愛者であることを隠しながら、偏屈な天才数学者が解読不可能と言われた暗号機エニグマに挑む……、という物語は史実どおりで(まあまあ)面白いんですけど、本書を読むと「モノホンのチューリングは、飛び抜けてスゲーし、偏屈だし、(友だち付き合いはしたくないが)愛すべき人」だと思うこと間違いなしだ。
最初に強く言っておきたいのですが、本書は「数学、てんでダメ」な文系の人にもオススメです。
まず伝記としてバツグンに面白い。もちろん数学理論の話は出てくるけれど、「すご〜く」の3乗レベルで噛み砕いた解説になっているので大丈夫。また、チューリングと同時代の天才たちの関係性、お互いの評価とかも興味深い。当時の数学界のキラ星のひとりで、不完全性定理を発表したゲーデルについて「チューリングは、ゲーデルの研究を完全に無視していました」という証言には、思わず笑ってしまった。そうした人物関係から、20世紀初頭のヨーロッパとアメリカの「知」の最前線がいかにスリリングだったか、第二次世界大戦を背景に、いかに「知」が「政治」や「産業」と結びついていったかが見える読み物になっている。
おもしろうてやがて悲しきチューリング
友だちいない、学校は数学を軽視、語学や古典で落第点を取る(というか授業に出ない)、クラス担任に嫌われる。しかし、チューリングは誰も理解できない相対性理論の数式をノートに書き綴る毎日。いつしか、あだ名は「錬金術師(alchemist)」に変わっていった。
進学も怪しい状況のなか、彼は初恋の人クリストファー・コラン・モルコムと出会い、劇的な変化を遂げる。モルコムは、初めてチューリングの話を完全に理解できる、もうひとりの天才であった。
「クリスに比べれば、他の少年たちはまったくつまらない」「クリスが僕に話してくれたことすべてが、僕にとっては鮮明な思い出だ」「僕はクリスが歩いた地面を拝んだ」
20世紀初頭の数学界は、バトルものの少年漫画なみに“スゲーやつ”のインフレ状態だった。アインシュタイン、ハイゼンベルグ、シュレーディンガー、ノイマン、ラッセル、ゲーデル……。そのなかで、チューリングは18世紀以降の難問「中心極限定理」を証明する(後に先行して証明した人物がいたことが分かるが、チューリングはそのことを知らない)。
いずれにしても、確率論の難問を学部の二一歳の学生が独自に発見し証明したことは大変な驚異であり、チューリングの名前はケンブリッジ大学中に知れ渡った。
誰からも指導されず、
特に誰とも討論せず、
まったく独自に研究をして結果を出してしまうところ。
なんというか、数学界としては扱いの困る「唯我独尊」的な姿勢を持っていて、それは生涯変わることがなかった。ちなみに、ケンブリッジ大学の学生時代のあだ名は「教授(professor)」だ。
このあと、彼は「チューリング・マシン」という“仮想マシン”のアイデアを発表する(これが、現在のコンピュータの基礎になる)。
ここでチューリングが独創的なのは、彼が「アルゴリズム」と呼ばれる命令の集合を構成し、このアルゴリズムを一定の規則に基づく記号列に置き換えて、計算あるいは思考する理想機械「チューリング・マシン」を想定した点にある。
「ここにはフォン・ノイマン、ワイル、クーラント、ハーディ、アインシュタイン、レフシェッツという錚々たる数学者に加えて、ちょっとした小物もいます」
その後、チューリングはケンブリッジ大学に戻り、「数学基礎論」という講義を持つ。その講義と同じタイトルの講義を開いていたのが、20世紀の「知」の大巨人、哲学者ウィトゲンシュタインである。ウィトゲンシュタインの講義を、チューリングが受講する形で、ふたりが議論した記録が残っている。その議論の前提として知っておくべき数学史と、その議論がいかなるものかをまとめた第5章「天才たちの激論」は、本書のなかで最もアガる章だ。その詳細は是非、実際に読んでほしい。
「数学は規則に従う人間の行為だ」と主張するウィトゲンシュタインに対して、チューリングが「あなたの言いたいことはわかりました」と言うと、ウィトゲンシュタインが「私に言いたいことなどはない」と答える場面も登場する。あたかも二人の議論は「禅問答のようだった」と感想を述べる受講生もいた。
そして戦後に「計算機械と知性」という文系読者向けの論文を発表する。
この論文でチューリングが提起したのが「機械は考えることができるか」という問題であり、その問題を概念的、言語学的あるいは哲学的な議論に陥らせないために創作したのが「チューリング・テスト」だった。
実はこの論文で、「機械は考えることができる」という見解に、チューリングは9種類の批判があるだろうと想定し、それを列挙し、さらに事細かに反論(というか、もはや論破)しているのだ。意地が悪い! 猛烈に悪い!
今、Xを開くと、AIについて、特に絵や音楽といった表現におけるAIの使用について、さまざまな議論がある。極めて真摯に取り扱うべき議論もあれば、そうでないものもある。そして、そうでないものに属する議論は、ほぼ、チューリングによって76年前に反論されているように、私には思える。ちなみに、こういうエピソードが残っている。
チューリングは、将来、ご婦人方が計算機械を持って公園に散歩に出かけて、お互いに『今朝は、私の可愛らしい計算機械がこんなおもしろいことを言いましたの』という会話を交わすようになる、という話をするのが好きでした。
留置書に収監される代わりに、性欲を抑制する科学的去勢療法を受け、イギリスの研究機関からは追放された。
その2年後、彼は服毒自殺した。41歳だった。
その死には疑問も多く、本書では自殺以外の可能性も示唆されているが、そうであってもおかしくないと思う。








