本書の前半で取り上げられるのは、草原の国モンゴルの遊牧民、かつて広大な国で自由に暮らしたアメリカ・インディアン、独自の生活様式を築いた北海道の先住民アイヌの人々、オーストラリアの狩猟採集民アボリジニ、その他さまざまな「所有権という概念に触れて間もない」人々である。世界全体が近代化を遂げていく過程で、その生活様式には変化の波が訪れ、観念のグローバリゼーションが進んだ……すなわち「所有権の誕生」をリアルタイムで経験している人々も少なくない。もちろん、外部から来た侵略者による、迫害・追放というかたちで近代化を強要された民族も含まれる。日本もまた、例外ではない。
明治期になり日本政府が北海道の開発に着手するとともに、アイヌの居住地であった北海道にも土地の私有制が敷かれ、アイヌの生活の舞台が壊されていくことになるが、このような侵入を比較的簡単に許してしまった背景には、土地の所有権の不存在というアイヌ社会独特の状況が存在していたのである。
視点をアイヌから多少ひろげてみると、ヨーロッパ文明の膨張期、あるいはその他の例にあっても、ある民族の他地域への侵入が、他民族支配による植民地の形成というかたちをとらず、移民が入植することによる新天地の開拓というかたちをとった地域では、北米、オーストラリア等にみられるように、侵入された側の民族が土地の私的所有の観念を欠いていることが多かったことに、留意する必要があるであろう。
温帯モンスーン地帯に属している日本や多くの農耕社会においては、水と土地との相対的対比では、土地が人口支持力のボトムラインを規定することが多く、土地のほうが圧倒的に重要であって、土地所有権の問題が正面から意識されるのに対し、水利権等は社会的には副次的存在である。ところが、アラビア等の降雨量が少ない乾燥地帯においては、水が人口支持力のボトムラインを決定するので、水について権利の観念が発達し、土地についての所有権が観念されないこととなる。気候の違いが、権利の観念が土地に向かうか、水に向かうかを分けているのである。
これは、中国の少数民族であるハニ族(哈尼族、愛尼人)の村であったが、ここでは、陸稲を中心とする焼畑が主たる生業であり、このほかには、焼畑での綿とトウモロコシの栽培、平坦地での水稲耕作、さらに一九六〇年代末から、換金作物としてのゴム林経営を行っている。
(中略)
水田耕作地については、この時期の中国の農業政策を反映し、請負政策がとられ、請負期間は一五年とされている。これらの土地についての所有形態について尋ねると、村民たちは自分のものであると答える。それに対し、焼畑地の所有を村民に尋ねると、これらの土地は村の所有であると答えるのが常であった。
もちろん、これらは違法行為であり、それぞれの国の取締体制如何によって、コピー商品製造事件が多発していたり、多発しなかったりしている等の差は存在している。したがって、それぞれの国の法意識も、また法的取締体制も重要な問題ではあるが、この種の問題を根絶させるための基本的解決は、それらの国が経済的に発展し、その国の社会において、特許その他の無体財産権を保護し、発明創意を振興するためのインセンティブを与えることが、その国の経済にとって必要になるまで待つこと以外にないであろう。
消費財、非生産財にかんしては、所有権の機能は物の使用機能の私的独占というところにある。それに対し、生産財にかんしては、所有権の機能は、物の使用権能の私的独占に加えて、その生産財に対する資本投下を保護し、資本投下にインセンティブを与えることによって、資本投下者個人を保護するとともに、社会全体の生産力の増強をはかることにあった。したがって、土地に対する労務その他の資本投下の行われない遊牧社会、狩猟採集社会においては土地所有権の概念はみられないし、資本投下の度合いが希薄な粗放農業社会においては土地所有権概念が存在しなかったり、共同体所有のみが観念され私的個人所有権は発生しなかったり、あるいは、私的所有権そのものが発生したとしてもその内容が萌芽的なものにとどまった。
「所有権」というと堅苦しく聞こえるが、「所有」は私たちの生活を彩っている。私たちは毎朝起きると、「私の服」を着て、買っておいた「私(たち)の食べ物」を食べて、「私の靴」を履いて、「私の車(あるいは自転車)」その他を使いながら通勤、通学に出かける。
「所有」は、このように日々の生活にしみ込んでいるばかりではない。《土地、工場その他のいわゆる「生産手段」の私有》を認めるか認めないかが、資本主義体制と社会主義体制とを分かち、二〇世紀の東西冷戦を生んだ。(中略)このように、「所有」をめぐる社会体制観の争いは、現代世界史そのものなのである。







