三十歳で発表した博士論文『意識に直接与えられたものについての試論(時間と自由)』(一八八九年)に始まり、記憶と身体を論じた『物質と記憶』(一八九六年)、生命進化を問う『創造的進化』(一九〇七年)、そして社会変革に向き合った最晩年の『道徳と宗教の二つの源泉』(一九三二年)に至るまで、ベルクソンは四十年以上にわたって一つの謎に向き合い続けました。
ベルクソンが生涯をかけて追い続けた謎は、ひとことで言えば「時間」です。ただし、「時間とは何か」という抽象的な問いではありません。むしろ、こうです。
私たちは時間について、どのような思い込みの中にいるのか。その思い込みはどのように時間を変容させてしまうのか。そしてその思い込みを、時間自身がどうやって生み出すのか。
「この本で試みたいのは、ベルクソン的な思考の設計図を取り出すこと」だと語る著者は、近現代哲学の専門家だ。武蔵野美術大学で油絵を学んだのち、東京都立大学で哲学を修めた経歴を持つ。2022年には『世界は時間でできている─ベルクソン時間哲学入門』(青土社)を上梓し、現在は慶應義塾大学文学部の教授を務めている。
では、「ベルクソン的な思考の設計図」とは何を指すのだろうか。
ベルクソンが「時間の哲学者」だと言われるのは、時間とは何かを一つの定義に収めようとしたからではありません。彼が見抜いたのは、時間についてのある見方が、私たちの問いの立て方そのものを知らないうちに方向づけているということでした。だからこそ彼はつねに具体的な問題に即して、その「型」がどこで私たちを縛り、どこから生まれてくるのか、そしてどうすれば別の仕方で生き直せるのかを問い続けたのです。
時間とは、私たちが世界を理解し、自分を理解し、他者と共に生きる──そのいずれの底にも働いている、最も深い「型」です。
アスペクトは、自分が今どんなふうに時間を見ているかに気づくためのセンサーです。知能のバイアスが作動していないかを検出してくれます。スケールは、時間の倍率を実際に動かすためのダイヤルです。倍率を変えることで、見えなかったものを出現させてくれます。センサーで状態を検知し、ダイヤルで視野を調整する──この二つをセットで使うことが、ベルクソンとともに時間を考えるための基本装備になります。
いっぽうで、初読ですべてがわかったかと言えば、それは嘘になるだろう。それでも、「スケール」や第五章で登場する「社会を閉じ込める力と、そこから社会を開いていく力」といった考え方には、目を見開いた。その驚きは確かに、自分の中に残った。変化と呼ぶにはあまりにもささやかなものだが、これこそが、ベルクソンが言うところの「直観」や「遅延」につながるようにも思う。焦らず、これから何度でも読み返す一冊としたい。








