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2026.06.29

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フリースクールでの学びを義務教育にすれば、社会はずっとやさしくなる?

ある世代の人間にとっては、耳なじみのない言葉かもしれない。自分が小中学生だったときも、普通校とは異なる環境は確かにあったが、「フリースクール」という名称はそれほど一般的ではなかったと思う。もし自分が子どものころにそんな場所があれば、どんなに救われたことか……と考える大人たちもいるはずだ。
海外では文字どおり自由を標榜(ひょうぼう)する学校を「フリースクール」と呼ぶことがありますが、日本では不登校児童生徒の居場所として1985年にできた「東京シューレ」がフリースクールを標榜したことから、フリースクールという言葉が不登校と強く結びつけられて使われるようになりました。
著者は、教育に関する著作を数多く発表している教育ジャーナリスト。本書は彼が国内のさまざまなフリースクールに取材した一冊で、その概要は著者自身がプロローグで簡潔に紹介している。
本書は、フリースクールという選択を検討しはじめた家族とともに、フリースクールという世界がどんなところなのかをざーっとひととおり見て回るガイドツアーのような本です。ただしガイドブックではありません。
具体的なフリースクールを二十ほどめぐりますが「理想的なフリースクールを厳選したから、このなかから選んでください」という意味ではありません。いいとか悪いとかではなくて、できるだけタイプや方向性の違うフリースクールをまんべんなく選んだ結果です。フリースクールと呼ばれるものの振れ幅とか奥行きみたいなものを伝えるためです。
いわゆる普通校のやり方になじめず、異なる可能性を模索できるフリースクールを必要とする子どもたちは数多い。その選択肢は、ひと昔前に比べれば格段に大きく広がったと言えるだろう。だが、それぞれに適した環境を見つけるのは簡単なことではない、という事実はいまでも変わらないようだ。

本書では、さまざまなスタイルやアプローチを実践するフリースクールを著者が訪ね、その代表や職員に取材し、現代のフリースクールの多様な姿を伝える。いま現在、我が子の教育問題に直面している親御さん、あるいは難問にぶつかっている現役の教育者には、さまざまなヒントや考え方を授けてくれる内容だろう。“元・子ども”の立場としても、こうした教育方法に触れ、こんな大人たちと触れ合えたら、どんなふうに社会に出て行けただろうか……と想像させる。

型にはまらない教育を実践するフリースクール関係者たちのインタビューは、それぞれに葛藤や試行錯誤とも背中合わせだ。逡巡を隠さず、弱さも否定しない率直な言葉に、逆に「頼ってみようか」と考える親も多いのではないだろうか。

「まなびスペースCOCOCARA」代表・漆原幸子さんの言葉にも、なんら隠し立てをしない率直さが溢れている。そんなコメントを引き出す著者の聞き手としてのスキルとともに、印象に残る。
漆原 最初は屋外だったというのもあるんですけど、子どもが集まらない……。「自分がいま目の前で一生懸命遊んでいるのを止めてまで、ここに集められる意味は何なのか、その価値はあるのか?」って直接問われたんです。小学2年生に。
おおた それはたいしたもんですね。
漆原 謝っちゃいました。「すみません」って。そもそも大人や社会への不信を抱いてる子どもが、大して知りもしない相手から「おいで」って言われて来るわけないですよね。

(中略)
漆原 あなたたちにやりたいこととか言いたいことがあるのと同じように、私にも言いたいことがあるってことをひたすら言い続けて、最後は子どもたちが根負けしてくれた感じです。たぶん、一般的な学校と同等の学習の機能を持つことは少なくとも私たちには難しくて、それがいちばん大事なことでもないと思っていて、その代わり、お互いに気持ちをくんでもらえたり、トラブルがあったときに話し合えたりする力をつけていくことがフリースクールの肝(きも)みたいな部分だと思っています。
大人と子どもが対等の目線を保つというのは、こうして文章で軽く書くほど簡単なことではない。大人の側からはかなりデリケートで頑丈なセルフコントロールが必要だ。そのうえで、従来の学校教育や制度に自らの意思で背を向けた子どもたちに、できるだけ適したかたちで教育の機会を与えたい……なかなかの難事業であることは想像に難くない。それでも「フリースクール」という運営形態を活かし、子どもたちに余計なプレッシャーを与えない軽みと開放感を備えた環境を作っていく先生たちの活動は、どう考えても尊い。

独特のアプローチは子どもたちだけでなく、保護者にも向けられる。異なる道を選んだ以上、保護者もまた既存の考え方から解放されなければならない必要も生じる。以下は、「フリースクールLargo」代表・水澤麻美さんの言葉。
「自主保育では、『お口はチャック、手はうしろ』と言われます。親に対してです。これを黒子保育といいます。親はもちろん、学校の先生も、地域のひとたちも含めて、黒子保育できる社会にしていきたいと思って活動しています」
「オルタナティブスクールTERA」代表・鳥羽和久さんも、周囲の大人たちが意識を変えることが必要だと説く。確かに、それまでと同じように子どもに“順応”を求めるような姿勢では、違う選択肢を選んだ意味がない。
「学校の規範についていけなくなったからうちに来たのに、親や先生が従来の規範どおりにかかわってしまうんです。私は学校に適応しないことを選んだ時点で可能性だと思っています。それは自分の輪郭がある証拠だから。『見込みがある』と、子どもたちには心から伝えています。子どもが学校に行かないことが問題なのではなくて、そこでフォローできる余裕と実力のある大人が不足していることこそが問題です」
このほかにも、著者は「大手通信制高校系」「オンラインスクール」「学校復帰を考えないオルタナティブスクール」といった、さまざまなタイプのフリースクールに取材する。それぞれに合った道を探してほしい、という意図が込められており、読者はそのなかから「最良の選択」をイメージできるだろう。

教育現場を多角的に取材してきた著者が、自身の思いを垣間見せる場面もある。本書全体を見渡せば、つとめて冷静かつ客観的な視点が保たれているが、同時に親密さもあり、共感や感嘆もある。それも「教育現場」の現状を語るうえでは必要な態度だと思える。たとえば、こんな一節。
フリースクールでみんなこんなにやさしくなれるなら、フリースクールで学ぶことを義務教育にすれば、社会はいまよりずっとやさしくなるんじゃないかとすら思えてきます。
そして、ときには鋭い持論も展開する。現代日本の教育にまつわる取材や著作活動を、数多く重ねてきた著者だからこそ伝えられる主張だろう。
人材育成と教育は似て非なるものだと私は考えています。硬い木材がほしいとか、甘くて大きい果実がほしいみたいに、なんらかの目的ありきで行われるのは人材育成です。何が育つのかわからない種を蒔(ま)いてみて、どうしたら元気でいられるかをよく観察しながら大事に育てたら結果的に、綺麗(きれい)な花が咲いたとか、おいしい実をつけたとか、真っ直ぐ頑丈な幹に育ったみたいに、子どもありきで行われるのが教育です。私なりの解釈では。
その定義にあてはめると、現在の一般的な学校は、教育機関というより人材育成機関です。現実社会への適応を促す機能が圧倒的に強いからです。​
読み進めるうちに、現代の学校教育が抱える問題も浮き彫りになってくる。子どもたちに自然豊かな遊び場=野外体験を与える「フリースペースたけのこ」代表・中川ひろみさんは、こんな発言をしている。
中川 このまえ教育委員会から就学相談のひとが来て、「こんなに元気に遊べるなら学校に行かせればいいのに。行かせない親が悪い」とか言うんですよ。なんでそういう言い方なんだろう。「盆栽は小さいときから整えるでしょう。そうしないとダメなのよ」とか。子どもを縛って方向付けるべきだって、本気で言うんですよ。
おおた すごいな……。
中川 フリースクールに行けるくらいなら学校に行けばいいという社会の圧はまだあると思います。もうとにかく追い込まないでほしいですね。
無理して普通校に通うことが、その子にとっての「最善の策」とは限らない。フリースクールは不登校児の溜まり場などでは決してない。子どもたちを「もとの軌道に戻すこと」がフリースクールの最終目的ではないし、そんなルートに不安を覚える内部スタッフもいる。
中学部の子どもたちの進路について、スタッフが興味深い心中を明かしてくれました。
「多くは一般的な高校か通信制高校に進学します。一般的な高校に行った子たちも、一般的な日本の学校のやり方を受け入れてちゃんとやってるみたいです。『整列とか多数決とかほんとにやってるんです!』って、こことのカルチャーショックをむしろ面白がっています。それを聞いて、ほっとするのが半分と、ちょっと残念に思っちゃう気持ちが半分です。せっかく小学生のころからここでオルタナティブな教育を受けているのだから、海外に行ったり、職人さんの世界に弟子入りしたりという進路選択がもっと増えてもいいのではないかと思ってしまいます。そこは今度の課題ですね」
せっかくフリースクールに通ったのに、結局は旧来の社会システムに組み込まれてしまうもったいなさ……現在この国が抱える「さみしい現実の限界」も、本書では語られる。フリースクールで学んだ多様な可能性の夢が、選択肢の少ない現実の前であっさり力を奪われてしまう悲劇こそ、日本が乗り越えなければならない最大の壁ではないだろうか。

現代学校教育の「実はそこまで有効とは限らない」実像を、著者は読者自身の体験から思い出させつつ、フリースクールという選択の可能性・有効性を示す。「あのとき、もうちょっと気分よく勉強していたら」とか、「自分に合った環境で前向きに学べていたら」と思っている大人たちにとっても、胸に迫るくだりではないだろうか。
多くのひとは、学校で、勉強なんて、ほとんどしていないのです。でしたよね? その意味では、不登校の子たちと変わりません。逆に学校に行っていないあいだにたくさんの本を読んで、学校では教えてくれない膨大な知識や教養を身につけたひとだってたくさんいます。
それに、こういうときに念頭に置かれている「勉強」はたいてい、入試を突破するための受験勉強にすぎません。しかも日本社会においてそこは、学習塾に牛耳られているのが実態です。だとしたら、学校に行かないことの何をそんなに焦る必要があるのでしょうか。

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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