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2026.02.10

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仏像のない仏教は考えられない。仏像誕生の系図を眺める、はるかなる宗教の旅──

仏像はいつ、どのようにして生まれたのか? 本場インドより熱心なくらいの仏教国である日本の人々にとって、それは大いに気になるトピックのひとつであろう。本書は美術史の観点からその命題に迫る一冊。著者は仏教学者の故・高田修。原書は1987年に岩波書店から刊行され、今回、約40年ぶりの再刊となった。

まず、インド仏教における仏像の基礎知識を本書から引用しよう。そこには、仏教には「仏像がない時代があった」という重大な情報も盛り込まれている。
周知のように、この仏陀像(以下わが国での慣用に従い単に仏像と呼ぶことにする)は、仏教とともに広く東アジア一帯に伝播(でんぱ)したもので、仏教の伝わったところではどこでもその造像と崇拝を見ており、仏像のない仏教というものはおよそ考えられないのである。ところが、その仏像は仏教の最初からあったのではなく、仏像のない時代を経たのち、ある時期から出現したものだとすると、その出現の時期がいつかを含めて、無仏像から造像への転換を画した仏像の誕生は、仏教美術の新たな展開の起点として極めて重要であり、また仏教のそれ以後における思想的発展や像崇拝の盛大化に向う契機ともなった点で、仏教史上格別に注目されなければならないテーマである。
なぜ仏教初期に仏像は存在しなかったのか? 竜宮城の乙姫様は歌のなかで「絵にも描けない美しさ」と形容されるが、仏様もある時期までは神聖な存在として具体像として描出してはならない時期があったという。し、知らなかった……。
このように、成道後の仏であるとそれ以前の菩薩であるとを問わず、古代初期の仏伝図では絶対にその姿を表出しなかったことが知られる。すなわちそれは、いわゆる最後生(さいごしょう)の釈尊を特別視して、人間的な姿において形象化することはなく、これをいわばタブー視していたことになる。最後生というのは、本生図で扱われるような、長期にわたる前生の生活を経たのち、最後に仏となるために生まれてきた現在の生のことである。
文字どおり神格化された仏陀は、絵にも描けない、造形もできない時代を送る。やがて伝聞には尾ひれがついて……という表現は適切ではないが、仏はいつしか超人化し、もはや人間とも思えない存在になっていったという。
ここで問題は、前記のように超人化、神聖化された仏が、仏教徒の間でどのような姿かたちに考えられていたかである。経典には仏の精神的な偉大さを形容する記述が多いが、仏の肉体的な形体すなわち視覚で把(とら)えられる姿かたちについては、具体的に説くところがほとんどない。ただ仏が普通の人ととくに異なることを強調するのにしばしばいわれるものに三十二相があり、仏の像容に関するものだけに注目される。(中略)しかしそれら一つひとつの相(特徴)を検討してみると、すべてが形象的に把えられるものばかりとは限らず、中には形に表わせないもの、表わせばグロテスクになるようなものまでも含まれているのである。
しかし突然、仏はその姿を現した。そのひとつが、ガンダーラ美術である(ガンダーラ王国は現在のペシャーワル地方あたりに相当し、パキスタン、アフガニスタンの一部も含む西北インドに位置する)。そこにはギリシア・ローマ風の西方美術の影響が見てとれるといい、これまた劇的なことに、その像は抗いがたく美しかった。本書に掲載された立像は、西方風アレンジも相まって、見る者を惹きつけずにおかない。
上記のようにガンダーラ美術は内容的には仏教のための美術に相違ないが、最も特徴的なのは表現の西方的性格である。どの作品もギリシア・ローマ風の写実的で形の整った表現になり、また随所にギリシア系起源の造形要素やモティーフが多用されており、この美術がギリシアを源流とする西方美術――それがヘレニズム美術かローマ美術かの議論は別として――の影響によって発生したことは疑いの余地がない。のみならず、中にはギリシア系美術の制作に習熟した外来の兆候が関与したらしい優秀作も含まれている。
見ようによっては、東方で生まれた「不可視の神秘」が、西方思想のもとであっさり偶像化を果たしたという事態にも見える。だが、仏がそういうイマジネーション頼りの神秘的状態のままで現在のような根強い信仰対象になり得たかというと、正直心許ない。その像(IDOL)は時代の要請で、現れるべくして現れたのではないか、とも思えてくる。

現在、ペシャーワル博物館に収蔵されている早期の仏立像(下図)について描写する著者の筆致も熱い。時代を超えたキャッチーな仏像の魅力が、この文章の熱量からも伝わってこよう。
両手首を欠いているほかは保存が良好で、しかし首のところで壊れたのをつないである。ややなで肩であるがきわめて均斉のとれた、堂々として威厳があり迫力に富む像表現になっており、とくに大きく見開いた眼と太い口ひげとが最も特徴的で、波状の髪を頭上でひもで結んだ大きい髪束形の肉髻も決して不自然ではない。両肩をおおって通肩にまとう大衣は肉身の起伏に沿ってゆるやかに垂れ、その前面には左肩を起点として美しい湾曲線が描かれ、しかし左前腕に掛けた衣端は真直ぐに垂れており、なお比較的厚い衣の材質感もよく表わされている。その顔容は必ずしも西方系とはいいがたいが、各部の写実的な表現や流麗な衣紋線、また調和のとれた見事な姿かたちなど、西方で発達した彫像の造形規範にもとづいていることは確かで、その影響による制作の始まった比較的早い時期の秀作と見ることができる。
一方、同時期に発生したとみられているのが、いにしえの宗教都市マトゥラーの仏像だ(マトゥラーはインド北部のウッタル・プラデーシュ州にあり、ガンジス川の支流ヤムナー川に面した都市)。これらはガンダーラ仏像のような西方的タッチとは異なる、どちらかというと仁王像を想起させるプリミティブで武骨な迫力に溢れ、それゆえに嘘のない力強さを感じさせる。それは宗教的モニュメントとして絶対的に必要な要素でもあっただろう。
その粗けずりで野性的でたくましい体躯(たいく)の力強い造形には初期的な粗さがあり、両肩を張って直立する像容も正面性の固い表現であるが、それでいてはなはだ雄偉で威厳に富んでいる。七世紀に現地でこの像を実際に拝した玄奘(げんじょう)が「像形傑異、威厳粛然」と記しているのもまことに適切である。
これらの仏像はどこから生まれたのか。多くの古美術同様、その厳密な作成時期は明らかになっていない。まさに奇跡のような自然発生的プロセスでそれらは誕生したのか、あるいは現存しないなんらかの雛形があったのか、互いに影響を与えあいながら結果的に正反対の仕上がりになったのか。さながら深遠な古代美術史ミステリーのようであり、神秘的な説話のようにも読める。
ここで当然考えつくのは、外からの影響すなわちガンダーラからの影響である。ガンダーラで仏伝図の主役として仏の像表現がおこなわれ始めたのは、私自身の年代観では記述のように後一世紀の末ころと見られる。ガンダーラ影響が、当時賑わっていた東西交通の幹線によって、中インドでは最も西北寄りのここマトゥラーに、速やかに波及した可能性はきわめて大きいといわねばならない。しかし初期ガンダーラ仏と初期マトゥラー仏との像表現を比較しても、そこに両者の間の造型的影響関係を示唆するような要素が果して指摘できるかどうか。両者の間に何か共通するものがあるとすれば、それは仏の像表現に両者がそれぞれ踏切ったというそのことだけではなかったか。
半永久的シンボルの誕生過程と、それにまつわる謎というテーマは、仏教に限らず、あるいは宗教に限らず、とても興味深い。もしフィクションの作り手がこの本を読めば、そこから新たなイマジネーションを育むことも可能なのではないだろうか。

あとがきには、稀代の仏像マニアとして知られるみうらじゅんが寄稿。人々を魅了せずにおかない仏像の魅力を、実体験を通して教えてくれる必読のコラムだ。

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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