そのように日本仏教は、インド・中国にて発達した大乗仏教の学問と文化を継承し、また独自に発展させたものであるわけですが、実際にはさまざまな宗派に分かれていて、それらに共通の人間観・世界観は隠れがちです。しかもその教えは念仏、坐禅、唱題等、簡潔な行法に集約・収斂されていて、その背景にある大乗仏教としての本質と意義は見失われがちである、といった傾向があるように思われます。
1948年生まれの著者は、東京大学文学部印度哲学・印度文学科を卒業後、同大学大学院人文科学研究科印度哲学専修博士課程中退を経て、三重大学助教授や筑波大学教授、東洋大学教授、同大学学長などを歴任した。現在は同大学名誉教授であり、筑波大学名誉教授でもある。専攻は大乗仏教思想および宗教哲学で、研究を続ける日々のかたわら多くの著書も執筆し、その名を世に知られてきた。
ちなみに本書の内容について、著者は
全体として、大乗仏教概論のようなものであり、大乗仏教の世界観(法相ほっそう)と実践論(修道論しゅどうろん)の全体にわたって、基礎的な知識が得られるものと思っております。仏教についてほぼ何も知らない方々にとっては、入門書ともなりうるものだとも思っております。と同時に、仏教の思想内容について、重要な事項についてはけっこう詳しく説明しておきましたので、仏教という宗教の世界についてかなり深く理解することができるものと思います。
確かに全十章のうち第一章では、仏教そのものに触れる前に、「宗教とは何か」という前提から問いを始め、その本質の紐解きがなされていく。つづく第二章では、大乗仏教が伝来するまでの歴史や成立の過程と各仏教の分類、そして「小乗仏教」との立場の違いなどが確認される。
釈尊が亡くなってから100年ほどのち、当時のインドでは社会情勢の変化に伴い、本来は一つだった釈尊の教団が大きく二つに分裂した。それぞれの部派は、独自に彼の教えを掘り下げ、体系的な教理の形成に努めていく。しかしその精緻さゆえに、一般大衆からは遠く離れた存在になってしまったそうだ。そういった流れの中で大乗仏教は、「民衆の宗教的な救済を追求する新たな仏教」として生まれたと著者は説く。
そして第三章では、大乗仏教の教理の基礎をなす「唯識思想」が、第四章ではその思想に基づく世界の実相の分析がつづられていく。このあたりから、徐々に難易度が上がってきたことを実感する。特に専門用語と、日常的に使う漢字であっても違った読み方をする単語の多さには、戸惑うことも多かった。とはいえ、段階を追って示される説明は丁寧で、読み手の理解を助けるたとえや言い換えも多い。くじけそうな心が、そのつど支えられた。ページごとにじっくり、ゆっくり読み進めるのが最善手と、メモを片手に粘りの読書で挑んだ。
大乗仏教では、「誰もが修行して仏に成っていく」という。では仏とは何か、生死輪廻(しょうじりんね)とはどのようなことなのか、自己の救いはどこに求められるのか──そういったことが詳しく説明されている。こうしたことに興味を持たれた方は、本書を通じて答えを見つけてほしい。