ガンダーラでカッコいい仏像ができた
おしゃかさま(釈尊、ゴータマ・ブッダ)は、紀元前5世紀ころ北インドで活躍した宗教家/思想家です。ただし、彼の存命中、教祖の像をつくろうという動きはなかったといいます。
釈尊を図像で表現する必要が生じたのは、彼の入滅(死亡)後です。偉大な人の思想や生涯を記録しておこうという動きが生まれました。仏像はこの流れから、2世紀ごろのガンダーラ(現在のパキスタン)ではじめてつくられました。
ガンダーラ彫刻はヘレニズム(ギリシャ)彫刻の影響を強く受けていますから、このとき生まれた仏像はわれわれが「仏像」と聞いたときに抱くイメージ(パブリック・イメージ)とは大きく異なったものになっています。
釈迦如来像はふつう、髪の毛が螺髪(らほつ)という、うずまきみたいなやつがたくさん集まった形で表現されます。ところが、ガンダーラの像はウェーヴがかかった、自然な(ように見える)髪型が一般的です。また、日本で仏像といえば力士もかくやと思われるようなメタボ体型のものが多いですが、ガンダーラでは彫りが深くてシュッとした、ハリウッド俳優みたいにカッコいい姿に造形されています。
仏像に歴史を見る
本書の著者・水野敬三郎先生は齢八十を超えた人生の大先輩であり、仏像研究の第一人者です。『奈良六大寺大観』『大和古寺大観』『平等院大観』『日本彫刻史基礎資料集成』など、仏像に関する書籍も数多く執筆・編纂されています。
本書ではじめに先生が述べられているとおり、仏像を理解するうえで、仏像の種類とかたちときまりは初歩的な知識として必要です。像は如来・菩薩・明王・天の4種に大別され、それぞれにかたちときまりがあります。
しかし、本書にそれは記されていません。ちょうど、数学の教科書に三角形の面積を求める公式が記載されていないのと同じで、それは別に入門書がいくつもあるから、そっちで知ってねということなのです。つまり、ここに書かれていることは比較的、上級者向けであると言えます。
では、この本は難しいのか。
そうではないところが、本書のおもしろい点であり、優れた点であると言えるでしょう。
仏像はインドやガンダーラから中国・朝鮮を通って日本に伝わりました。その間、さまざまな民族や文化、思想にふれ、すこしずつ変わっていきました。時代や気候など環境の変化によっても大きく変わりました。
本書はそれを、目や鼻や耳などの顔の造作や、からだ全体の表現はむろんのこと、天蓋や台座、光背などの装飾物の変化からも検証していきます。目の前にある像を芸術として愛でるばかりでなく、文化の伝播の相としても見ているのです。
また、仏像は、日本国内でも時代にしたがい大きく変化していきます。上に述べた顔やからだなど造形上の特性はもちろんのこと、材質や仏師(つくった人)、表面の彩色などにも違いがあります。本書はここにも着目し、「仏像になにが起こったのか」を明らかにしていきます。ここでも、仏像は単なる美術品ではなく、その時代の政治・経済・文化などを反映したものとして立ち現れてくるのです。
かなり高度な話であり、語っている先生でさえ「専門的だ」と認める内容も含まれています。しかし、難解だと感じることはほとんどありません。
先生はこう語られています。
教室で講義するような堅苦しい感じではなく、お茶やときにはお酒を飲みながら気軽に話しました(中略)。通して読んでいただければ、仏像のみかたにいろいろあることがわかり、こんな角度からみるのもおもしろいかなと思っていただけると思います。
本書は対話形式で構成されていますが、これも、くだけた感じを表現するのに一役買っているように思えます。
知識は人生を豊かにする
南方熊楠が言っていました。
「ただ砂浜に寝転がっているだけでも、その砂浜の来歴を知る者とそうでない者は楽しみの量に大きな差が出る」
仏像なんてめずらしいものじゃありません。あなたの家の近くにも、きっとあることでしょう。これまであなたは、それを眺めても「ああほとけさまだなあ」と思うだけだったかもしれません。
しかし、本書を読んでからは違います。あなたの目の前にある像は、長い歴史と広い世界を背負ってそこにあります。あなたはそれを感じることができるのです。
知識は、人生を豊かにするものです。
この本は、それを実感させてくれます。
レビュアー
早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。https://hon-yak.net/