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2025.12.18

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人は無機物と愛し合えるか? セックスロボットが普及すると……!?  近未来社会の「性と愛」を予見する

人間は、ときにいのちを持たない人間以外の存在に夢中になる。そのとき、人間は愛する対象に、いのちに似たものを吹き込み、ともに暮らす方法を編み出していく。等身大人形への恋はありふれたことではないが、かといって理解できないことでもない。彼らの日常を垣間見るうちに、私は人間の想像力の強さに目を瞠るようになった。
異性同士、あるいは人間同士の恋愛や共同生活に限界を感じている人は、いまや想像以上に多いのではないだろうか。多様性の時代とは言われているが、あまりにイレギュラーな選択は世間からの白い目を浴びがちである(もちろん犯罪や虐待行為はもってのほかである)。そんな現実社会のなかで、自分にとって最良の選択として“人形”というパートナーを選んだ人たちがいる――本書はそんな生き方を実践した人々に取材した、極めて刺激的かつ真摯なノンフィクションである。

著者は、人間と動物の間に行われる性愛を題材にした『聖なるズー』(集英社)が話題を呼んだノンフィクションライターの濱野ちひろ。前作で「人間同士の対等性の実現の難しさ」という実感を得た著者は、今度は人間と人形が築く愛と生活に目を向ける。

ただ単に“変わった人たち”のルポルタージュだと思い込むのは早計に過ぎる。そこには普遍的かつ現代的なテーマが次々と浮かび上がるからだ。パートナーとは何か、人間と人形を隔てるものは何か、形なき愛や情を我々はどうやって知覚し合うのかといったさまざまな問題提起が本書には溢れている。そもそも“恋愛の必要性”について疑問を抱いている人にも、手に取ってほしい一冊である。
この世の中は依然として、人間中心主義の異性愛規範のもとに動いている。人間は人間の異性と恋愛をして結婚することを推奨され、子どもを儲け、家庭を持つことが「幸せ」とされる。そういった「幸せ」に居心地の悪さを感じている人は、実は異性愛者にも、そう少なくないだろう。現在は、LGBTQ+の認知が次第に進み、旧来の異性愛規範から離れている人々もたくさんいることが徐々に知られてきた。
だが同時に、それに対するバックラッシュも起きている。トランプ米大統領は、二〇二五年一月二十日に行われた二期目の大統領就任演説で、連邦政府は男性と女性の二つの性別のみを認め、変更はできないと宣言した。トランスジェンダーの存在を真っ向から否定する動きである。こうして規範はさらに強化され、人々の性の自由を奪っていく。
そして、人間ではないものに恋をする人々については理解が進んでいるとはまだまだ言い難いのが実情だ。
本書前半では、第2次トランプ政権下でいよいよ締め付けが厳しくなりつつあるアメリカを舞台に、いくつかの“実践例”が紹介される。1人目に登場するのは、デトロイト在住のデイブキャットという40代の男性。シドレという名の等身大人形を「最愛のパートナー」として、25年間ともに暮らしている。

シドレは既製品のラブドールだが、設定・人格などはデイブキャットのたくましい想像力と、ロマンティックな愛の観念が生み出したオリジナルだ。ちなみに、シドレ以外にも数体のラブドールが同居しており、時には愛人になったり、パーティー仲間になったりする。なんとも進歩的なラブライフの実践(というか、シミュレーション?)だ。
デイブキャットはとめどなく彼とその人形たちとの物語を話し続ける。もちろんそれはすべて彼がつくり出したもの、フィクションである。これをどう考えたらいいのだろう。大人が人形ごっこをしているとでも? 事実はそれに近いとも言えるが、人生をかけてそれをやっているのである。単なる「ごっこ遊び」として片付けられない真剣さや覚悟があるように私には思えた。
日常生活がある種の演劇的空間になったようなシチュエーションに、現実と空想がゴッチャになったりしないだろうか?などと心配してしまうが、どうやらそんなこともなさそうだ。きちんと社会人としての振る舞いと私生活を切り分け、穏やかで型破りな暮らしを淡々と続けている彼の姿は非常に興味深い。ちなみに、デイブキャット本人はお洒落で清潔感があり、友人も多く社交的。どうも我々は自閉的で世捨て人のようなイメージを抱きがちだが、それとは程遠いモダンな“ドールの夫”の姿にも驚かされる。

「オーガニクス(有機体)でいるのには辟易するよ」と、SFのようなセリフを呟(つぶや)くデイブキャットは、まるで押井守監督・士郎政宗原作のアニメーション映画『イノセンス』(2004年)の登場人物のようだ。現実にはAIやロボットのテクノロジーはそこまで進歩・発達していないが、そういう意味では“生まれるのが早すぎた”人なのかもしれない。

ただし、すべての“ドールの夫”がデイブキャットのような洗練を身に着けているわけではない。確固たる生活様式を築き上げているわけでもない。著者は彼と繋がりのある同好の士を訪ね、取材を重ねる。その多種多様な背景と物語に、ほとんどの読者が世界の広さを痛感せずにいられないのではないだろうか。著者は彼らに取材するなかで、そこに作家的なクリエイティヴィティをも見出す。「感情も人格もない相手と、どうやって関係性を築けるのか?」と思う読者にとっては、特に気になる点だろう。
理想的な他者のイメージをつくり出し、それを投影し続ける。そうとう想像力が必要な作業だ。想像力の強さはジムだけでなく、ドールの夫を自負する人々に共通する。彼らは絶え間なく想像を巡らせている。小説を日々書き続ける力がそれに似ているのではないか、と私は感じている。そういった力を文字にするのが小説家なら、等身大人形に背景やエピソードを描きこむのがドールの夫たちなのだと思う。
現実の異性との恋愛関係にひどく傷つき、癒しとして人形との生活を選んだ者。あるいは、人形に人格など特に与えず、あくまで性玩具としてプレイに耽溺する者。またあるいは、ボロボロに壊れて売り払われた人形を買い取って修理し、美しく甦った彼女たちに囲まれながら豪邸に暮らす、コレクター兼ドクターの金持ち。人形に対する愛情の深度や角度、思い入れのアプローチもさまざまだ。確かなのは、彼らが現実に存在するということ。それを排除しようとする為政者やファンダメンタリストの態度は、とても現代的とは言えない。よほど理に適った思慮と簡潔さを備えた答えを“ドールの夫”たちのほうが返してくる場合もある。
私は彼に質問をした。
「アンナに魂はあると思う?」
ジムは答えた。
「神のようになにかを自分で生み出せるとは思えないので、アンナに魂はないと思う。だけどエネルギーを注げば注ぐほど、自分に返ってくるとも思う。君の言っている“魂”がどんなものかわからないけれど、これで回答になっている?」
さらに、本書では“ドールの夫”たちが共同生活のなかで直面する現実問題も取り上げられる。そのひとつが、ドールの非永遠性だ。実は、老化もするが自己再生能力も高い人間よりも、人形は遥かに劣化もダメージも負いやすい。修理師としても名を馳せるコレクター・ジョゼフの丹念な仕事が伝える人形の脆さは、なかなかに目から鱗のリアリティである。
ジョゼフの人形すべてに共通する特徴は、完璧に化粧が施された顔と、極めて清潔に管理された身体にある。これはジョゼフの手先の器用さのなせる業だ。
実はこれこそ多くの人が解決できない、等身大人形との暮らしにおけるひとつの課題である。なかには人形の質感を保てない人々もいて、髪が恐ろしげに絡まっていたり、まつげや眉が抜け落ちてしまったり、瞳があられもない方向に向いたまま直せていなかったりと、様々な悲劇が人形の身には起きる。手に余る場合、最終的には捨てられることもあるのだが、捨てる前に売りに出す持ち主も多い。ジョゼフのコレクションにはそういった人形もいくつか含まれていて、それらを買い取ることを彼は「レスキュー」と言っている。
著者は、ドールの製造を行う中国のジーレックス社、日本のオリエント工業というふたつの企業にも取材。それぞれに方向性の異なる理念、経営方針、製品クオリティなどに、お国柄と時代性も表れているかのようだ。

そして、日本にも“ドールの夫”を公表する人がいる。初音ミクの等身大人形と結婚した近藤顕彦氏だ。ニュースやインタビューなどで彼のことを知っている読者も多いと思うが、本書では実体験に沿った彼の考えや、愛妻「ミクさん」との生活の実践、エンターテインメント表現の自由やフィクトセクシュアル(フィクションの登場人物に対して恋愛感情を抱くセクシュアリティ)の認知を促す活動家としての顔も詳しく語られる。気になる性生活についても赤裸々に、だが古風なまでに貞淑な一面を告白するところもある。フィクトセクシュアルという性癖についての深い考察も促す内容だ。

近藤氏もまたデイブキャット同様に、社会性や社交性を合わせ持ちながら「ミクさん」との穏やかな結婚生活を送っている。それは、生身の人間を相手に同じことが成立することはない、という強い信念や直感のうえでの選択だろう。近藤氏は、かつて職場で女性の同僚から受けたいじめがトラウマとなり、多大な影響を被ったことを公にしている(その暗黒の日々を救ってくれたのが、初音ミクの存在だったという)。著者自身も本書冒頭で、恋愛関係を通して一生消えない暴力的トラウマを背負った過去について告白している。下記の近藤氏の発言と、続く著者の感懐は、実は多くの“我慢強さを美徳と教えられた”日本人読者の胸に響くのではないだろうか。
「でも、いいと思うんですよ、逃げても。なにに対しても立ち向かわなければならないってこともないじゃないですか。すべての人間から逃げたらまずいですけど、いじめっ子と向き合う必要はない。立ち向かうことが正義で、逃げることが悪であると語られがちですが、そうじゃない。いいんですよ、恋愛市場から逃げても」
等身大のミクさんとの結婚生活を発信し、ミクさんを連れ出して人の目に触れさせ、活動家の側面を見せる近藤さんが、人間社会から逃げているとは到底言い難い。前例をつくるのに腐心するのは、先陣を切っている自覚があるからだ。自分を苛む存在からは逃げてもいい、という発言に、私は大きく頷いていた。性暴力を受けていたときの私に声を掛けるとしたら、「逃げろ」というひとことだけだからだ。
本書後半、著者が出会う女性たちのエピソードも感動的だ。ひとりはカリフォルニア州サンフランシスコで、自分自身に磨きをかけようと懸命に生きるトランスジェンダーの女性、ミア。複数人のドールと同居することが彼女に与えた効能とは何か。それはぜひ本書を読んでほしいが、著者同様に彼女を力いっぱい応援したくなるはずだ。そしてもうひとりは、東大阪で「人間ラブドール製造所」という小さなスタジオを運営する日本人女性、新(あらた)レイヤ。その儀式的とも言えるサービスの観察記、意外な“副業”は、想像以上の深い余韻を読者にもたらすだろう。

人形を愛する者、人形に思いやりを抱く者、人形になりたいと願う者……その世界は、実に多くのことを私たちに示唆する。当然ながら本書は「人間とは何か、愛とは何か」を考えさせる一冊でもある。自分には関係ない世界だ、などと思わずぜひ手に取ってほしい、必読の書だ。

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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