「倭寇」「倭人」「倭語」「倭服」などというばあいの「倭」は、けっして「日本」と等置できる語ではない。民族的には朝鮮人であっても、倭寇によって対馬などに連行され、ある期間をそこでくらし、通交者として朝鮮に渡った人は、倭人と呼ばれている。海賊の標識とされた倭服・倭語は、この海域に生きる人々の共通のいでたち、共通の言語であって、「日本」の服装や言語とまったくおなじではなかった。
こうした人間集団のなかに、民族的な意味での日本人、朝鮮人、中国人がみずからを投じた(あるいはむりやり引きこまれた)とき、かれらが身におびる特徴は、なかば日本、なかば朝鮮、なかば中国といったあいまいない(マージナルな)ものとなる。こうした境界性をおびた人間類型を〈マージナル・マン〉とよぶ。かれらの活動が、国家的ないし民族的な帰属のあいまいな境界領域を一体化させ、〈国境をまたぐ地域〉を創りだす。
さて、生まれや育ちではなく行いによって自らの足場を築いた倭人たちは、当時の国家や民族にとっては見逃せない異分子であり、警戒の対象でもあった。そんな彼らが、14世紀から15世紀にかけて活動した主な場所が「三浦(さんぽ)」である。
三浦(さんぽ)とは、朝鮮半島東南部沿岸に成立した三つの倭人居留地ないし港町の総称だ。当初は朝鮮政府が倭人の入港場として指定した場所だったが、いつしか多数の倭人が住みついて事実上の居留地と化し、都市的発展をとげるにいたる。とはいえ地図に落とせば点になってしまうような、ほんの小さな空間にすぎない。
これだけの史料がきちんと残されていることにも驚くが、それ以上に、当時の倭人たちが国家を手玉に取る様子には度肝を抜かれた。法の下に国として対峙する朝鮮側と、マージナルであることを最大限に発揮して生きる人々との違いが、くっきりと浮かび上がる。
ちなみに本書においては、『朝鮮王朝実録』は読み下しと、著者による読解が併記されている。かつて受けた古典の授業でも、これほど多くの読み下しを一度に読んだことはなかった。そのため読み終えるためにはかなりの時間と労力がかかるものの、その甲斐あって「『朝鮮王朝実録』の魅力を感じてほしい」という著者の願いは受け止められたように思う。
またプロローグでは、朝鮮王朝の官庁や官職の名前がまとまっており、創作をする方にとっては興味深い資料ともなろう。中世の時代に、異国でうごめき続けた「日本社会」のあらましと熱量を味わってほしい。








