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2025.08.04

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【京アニ放火殺人事件】京都新聞取材班がたどった「底辺の人間」の暗夜行

この男は何者なのか?

36人の命が奪われ、32人が重軽傷を負った「京都アニメーション放火殺人事件」から6年が経った。本書は、地元新聞紙である京都新聞が遺族に寄り添い、取材を積み重ねた連載記事「理由」をもとに書き下ろされている。
・犯人である青葉真司が、放火するまでの克明な行動。
・被害者たちがいかに真摯にアニメーション制作に臨んでいたか。
・想像するのも胸が痛くなる遺族の思い。
・青葉真司の苛烈な半生。
・裁判の争点と経過。
加害者・被害者に偏ることなく、明らかにされる事件の全容。そこからは、事件をきちんと見定めようとする真摯な新聞記者の目を感じさせる。巻末の執筆者の略歴を見ると、遺族取材や警察取材を担当する記者、精神医療、累犯障害者について専門的に語れる知識を持った記者など、複数の記者が章ごとに執筆を担当しているようだ。そして、この取材班の目的は、「この男(青葉真司)は何者なのか?」を明らかにすること。
大惨事を引き起こすまでのどこかに、凶行を防ぐ手立てがあったはずだ。地元紙の記者である我々は「二度と憎悪の炎を見たくない」と強く願い、深層を探った。
彼ら記者としての仕事は誠実であり、丁寧であり、完璧だ。だが、その仕事が素晴らしいものであるがゆえに、そこからとめどなく溢れ出す2つのことに読者は圧倒されてしまう。

それは、
癒やされることのない被害者遺族の悲しみ
そして
青葉真司を誰も理解することができないという絶望
である。

京都アニメーション(以下、京アニ)は、東京一極集中が常識の業界において、京都で「自社だけでアニメを作る」ことを目標に立ち上げられた。劣悪だったと言われる80年代のアニメ制作現場を生き残り、20年かけて目標を達成し、良質な作品を次々と世に送り出した。その京アニの第1スタジオに、青葉真司(41歳)はガソリンを撒き、火を放ち、自らも火に覆われ、重度のやけどを負う。犯行直後、警察官に動機を聞かれた彼はこう言った。
お前らがパクりまくったからだよ。小説。
青葉にとって京アニは「ここなら最高のアニメーションが作れると思った。最高のシナリオ、最高の物語を作れると踏んだ。京都アニメーションなら」という存在だった。しかし、その思いは次第に歪んでいく。ネットの掲示板に京アニの女性監督がいると考えて一方的に好意の感情を持ち、自ら応募した小説がパクられたと思い込み、さらには京アニと結託して自分を弄ぶ「ナンバー2」という人物の存在を確信するようになる。
被告が妄想性障害であったとする点およびそれを前提とする機序については、前提とした事実関係や結論を導く判断過程に問題はなく、採用できない合理的事情はないと認められる。
それが裁判の判断だ。ではあるが、
被告の攻撃的な性格傾向に妄想の影響があることは否定できないものの、上記の各考え方は、被告のコンビニでのアルバイト経験等から培われたものであり、妄想の影響はほとんど認められない。
と結論付けられ、死刑判決が言い渡される。

対峙する加害者と被害者

本書で最も胸に迫るのは、『涼宮ハルヒ』でキャラクターデザインを担当し、事件で命を落とした池田晶子さんの夫・寺脇譲氏が、死刑判決後に青葉と面会を果たす章だ。

当初、寺脇氏は「裁判には関心がない」と距離を置いていた。残された小学2年生の息子には、こう語っていたという。
「青葉さんを恨んだらあかん。お前には何のプラスもない。逆に『お母さんを殺されたけど、僕はこんなに成長した』と言えるようになろう。それが、青葉さんに勝つということじゃないか」
しかし将来、息子から事件について尋ねられたとき、父親として説明する義務があると考えを変え、被害者参加制度により法廷に立った。被告人に直接質問をしたが、納得できる答えを得ることはできず、死刑判決後に大阪拘置所で青葉と面会する。そして2度目の面会で、ようやく青葉の口から言葉を得る。
「池田さんには、本当に申し訳なかったです」
「弁護人から聞いたが、寺脇さんは、子どもさんに『人に恨みを持たないで、生きてほしい』と言っているそうですね。非常に素晴らしいことだと、思います」
「息子さんには、その背中を見て育ってほしい。そうしたら、自分のような、踏み外した人間にはならないはずです」
面と向かい合って妻と子供に対して「本当に申し訳ない」という言葉を聞けて、寺脇氏は一定の納得をする。憎悪が自分の人生を狂わせたことを青葉は自覚していた。青葉は青葉なりに裁判に真剣に向き合っていた。そう寺脇氏は感じた。

2025年1月、青葉は死刑判決を不服とした控訴を取り下げる。これにより死刑判決が確定した。控訴を取り下げた理由を、青葉は「控訴審でも、弁護人が自分の言動を妄想と主張することに不満があった」と説明したという。

青葉真司はまだ、自分の信じる世界から一歩も外に出ていない。

彼は何も理解しないままに終わるのか? 心神喪失者および心神衰弱者の責任能力に関する刑法第39条や、死刑制度の是非について考えるべき点はある。そういう大きな問いの前に、「この男は何者なのか?」という問いに答える必要があるのではないか? でも、それに答える術はない。同時に、被害者と被害者遺族の無念さも消えることもない。そういう終わりのない問いが、この本にはある。ぜひ読んでほしい。
◆イベントのお知らせ◆
【8/10開催】『自分は「底辺の人間」です 京都アニメーション放火殺人事件』刊行記念ブックトーク
2025/8/10(日) 19:00~20:30
イベント詳細はこちら⇒https://www.books-ogaki.co.jp/post/61604

レビュアー

嶋津善之

関西出身、映画・漫画・小説から投資・不動産・テック系まで、なんでも対応するライター兼、編集者。座右の銘は「終わらない仕事はない」。

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