PICK UP

2025.08.01

レビュー

New

現代社会のタブーに挑み続ける質問NG記者、鈴木エイトが見たこの国の真実!

「お前! 何でニヤニヤしてんだよ!」

これは、鈴木エイト氏が大手新聞社のカメラマンから投げつけられた言葉だ。2018年9月、杉田水脈衆院議員(当時)による性的マイノリティへの差別的記事を掲載したことで廃刊騒動となった月刊誌「新潮45」の取材中のことだ。
この時にそう言われて初めて気が付いたのだが、私には自分に対して怒っている人を面前にすると、ついニヤリとしてしまう癖があるようなのだ。
理解不能な理由で怒っている人を目の前にしたり、シニカルな状況に置かれると、面白いと思ってしまう。怒っている当人にしてみると、憤りを向けている相手が反省もせずニヤついているのだ。当然ながら、さらに怒りが増幅される、つまり火に油を注いでおり、展開次第ではトラブルにもなっていく。
怒っている人を前に「面白いと思ってしまう」ようなメンタルを持っている人は、 “敵にしちゃいけない人物”である。

今更ではあるが、鈴木エイト氏は安倍晋三襲撃事件をきっかけに、閣僚を含む多数の議員と統一教会の関係をあぶり出したジャーナリストだ。襲撃事件を起こした山上徹也被告について書いた『「山上徹也」とは何者だったのか』(本書と同じ講談社+α新書より刊行されているので、是非読んでみてほしい)というゴリッとした1冊もあるが、この本はもう少し肩の力を抜いて読める1冊となっている。統一教会と密接な関係にあった政治家たち、統一教会の解散、ジャニー喜多川性加害問題や中居正広・フジテレビ問題など、世間の耳目を集めた事件において、取材現場や会見場でどんな駆け引きが行われたのか、調査報道の大変さなど、裏話が明かされる。

エイト氏といえば、ファクトに基づく圧倒的な情報量でグイグイ迫る取材スタイルをイメージするが、この本を読むと、その取材手法が柔軟であることに驚く。例えば、統一教会との関係が報道されて選挙で苦戦を強いられる候補者への直接取材。候補者からすれば、エイト氏は天敵だ。そんな相手に対して「いろいろ言いたいこともあるんじゃないですか?」と、候補者が語りたい文脈でコメントを取りながら、必要な言質や本音をすくい上げてみせる。
追及が甘いという声もあるだろう。だが、一人の人間として労った上で、問題点を追及するという手順は維持していきたい。やみくもに人間性まで否定すべきではないし、非難すべきは個人ではなくその構造にあるからだ。
そんなエイト氏が、ジャニー喜多川性加害問題での記者会見で、質問NG記者リストに入れられたのは実に皮肉だ。ジャニー喜多川は、いかなる言い訳も許されない犯罪者だが、あの会見で明らかにされるべきだったのは“犯罪が看過された構造”であって、関係者を吊し上げるのが目的ではなかったはずだ。それを理解していたエイト氏を、「面倒な質問をする記者」としてNG記者リストに入れ、自説を長々と話したり、会見に爪痕を残そうとしたりする自称・フリーランス記者たちによって会見を混乱させたのだから、目も当てられない。

ジャーナリストとしての矜持

本書の中でも、読みごたえがあるのは統一教会と安倍晋三襲撃事件に関わる部分だ(あとHPVワクチン薬害報道についての章も、知られていないことが多く、必読である)。

2021年、統一教会とそのフロント団体UPFが共催したオンライン集会で、安倍晋三元首相のビデオメッセージが配信された。それは政治家と統一教会の癒着が疑われる大きなきっかけだった。しかし、これを報じたのは「しんぶん赤旗」「週刊ポスト」「FRIDAY」「実話BUBUKA超タブー」の四媒体だけ。このとき反応できなかった大手マスコミは、劣化していたと言われても仕方がない。そして、その10ヵ月後に安倍晋三襲撃事件が起きる。エイト氏は言う。
メディアの役割は権力の監視や声を上げられない被害者の可視化です。事件の再発防止のための徹底検証がメディアと政治家の役割です。
私の記事が事件に影響を与えたならば、私は私なりのやり方で責任を取ろうと思っています。それは、これまでと同様に読者へ判断を委ねるように、裁判員へ適切な情報を提供することです。
統一教会問題と、その被害者である信者2世(3世)の存在を可視化できていれば、襲撃事件は起きなかったのではないか? 安倍元首相の死という形ではなく、調査報道によって責任を追及できたのではないか? これはマスコミが背負った罪だ。そしてエイト氏も、この事件で当事者性を帯びることになる。山上徹也被告がエイト氏の寄稿する「やや日刊カルト新聞」の読者であり、SNSを通じて犯行に関わるダイレクトメッセージを送り、エイト氏も返信していたからだ(被告のアカウント凍結により内容の確認は不可能だったが、後の確認で犯行に関することではなかったことが分かる)。
そうやってエイト氏は裁判と向き合い、数ヵ月ごとに銃撃現場を訪ねて定点観測をして、山上被告が足跡を残した場所に足を運んで彼の見たものを追体験しているという。

こうした事件の背景に関する報道について、昨今必ずついて回るのが「そういう報道は、犯人の思いを叶えることに繋がるからすべきではない」という“犯人の思う壺論”だ。「良識を備えております」という顔のコメンテーターが、この手の主張をしていることを聞いたことはないだろうか? 安倍晋三襲撃事件に次いで、和歌山での岸田首相への爆発物投げ込み事件が起きる。この事件で「言論より暴力が社会を変えることができることを示したからだ」と、犯人の思う壺論はさらに熱を帯びた。エイト氏は、これを藁人形論法*だと切って捨てる。犯人の思う壺論が正しいとするなら、ファクトに基づく調査報道自体を否定することになる。それは報道の死であり、それをメディア自身が発するのは自殺行為ではないか? 事件の背景を報道せず、有耶無耶にすることは、暴力と戦わないのと同義ではないのか?
*藁人形論法=相手の考えや意見を歪めて引用し、その歪めた主張に対して反論する間違った論法のこと。
暴力が社会を変えたのではない。社会問題の放置が暴力や事件に至ったのであって、その「放置」こそ問題視されるべき事項である。
というエイト氏の言葉は、まっすぐマスコミに突きつけられている。

レビュアー

嶋津善之

関西出身、映画・漫画・小説から投資・不動産・テック系まで、なんでも対応するライター兼、編集者。座右の銘は「終わらない仕事はない」。

こちらもおすすめ

おすすめの記事

2024.07.29

レビュー

文春の異端の編集者は政権幹部と何を話していたのか? 必読の日本政治経済裏面史!

  • コラム
  • 岡本敦史

2023.03.08

レビュー

同和運動、自民党、山口組……すべてをつないだ男・上田藤兵衛が目にした戦後史の死角

  • コラム
  • 岡本敦史

2021.08.03

レビュー

排他と不寛容の時代──「匿名の悪意」の被害はもう止められないのか?

  • コラム
  • 草野真一

最新情報を受け取る

講談社製品の情報をSNSでも発信中

コミックの最新情報をGET

書籍の最新情報をGET