著者は1924年に兵庫県で生まれた。『ネット怪談の民俗学』(早川書房)などで知られる廣田龍平氏の解説によれば、國學院大學で折口信夫に師事した後、柳田國男が主宰する民俗学研究所に勤務したという。ともに民俗学の大家として知られており、本書でも彼らの名はたびたび登場する。その後、民俗学を専門としてさまざまな大学で教鞭を執り、1988年から1995年までは、杏林大学外国語学部日本語学科の教授も務めた。2012年にこの世を去っている。
ところで、そもそも「俗信」とはなんなのか。著者は「俗信概論」と銘打たれた第一章において、学術用語としての「俗信」をこう定義する。
俗信というものは、信仰や宗教と密接な関係にあり、個々の俗信は、たえず信仰や宗教と入り混じっているが、あくまで信仰や宗教と併行して存在するものである。そうして俗信というものは、人間がモノを考えることができるようになった、そのころからすでにあって、今につづいているといえるのであるが、これに対して個々の俗信は、生起消滅がはなはだしく、次々に他のものと入れかわっていく。(中略)俗信というのは、
超人間的な力の存在を信じ、それに対処する知識や技術をいう。
本書の原本はちょうど50年前、1975年に弘文堂から刊行された。そのため収録された内容は、発刊よりもかなり前の事例が多い。だからだろうか、具体的な例と豊富な図版を目にするにつれ、物語に似た、昔話を読んでいるような感覚が湧いてきた。特に、全七章からなる本書のうち、実際の例が多く収められた第三章以降では、その感がより強まった。
一方で、たとえば今でも「枕を北に向けて寝ない方がいい」と言ったり、足を細かく揺らす行為を「貧乏ゆすり」と呼んだりする。また誰かが亡くなった時、地域によっては親族が死者のそばで一夜を明かす風習も耳にする。それらの由来も明かされていくことで、すでに廃れた俗信もあれば、先述のように、現代にも伝わる俗信が数多く存在することを、私たちは存分に知ることができる。
なお、俗信を解き明かすことの意義と研究の目的については、著者は以下のようにつづっている。
日本文化の基盤になっているもの──基層文化を明らかにすることが、民俗学の重要な課題の一つであるが、俗信はその基層文化の中で、大きな部分を占めているのである。およそ非科学的だと思われる切れ端の俗信一つにも、そういうことをいい始めた原因があって、一つ一つを見ると、くだらないものである場合もあるが、深い根を持っている。日本人の知識や技術の根元を探ることにもなるのである。
ちなみに、「鳥啼き」に関する話もしっかり収録されていた。長年の謎が解けた感がある。また、第四章の「呪的な食べ物」として取り上げられた味噌に関するあれこれは、初耳な習わしや使い方が多く、興味深かった。研究書としてはもちろん、最近流行しているフィクション仕立てのホラー小説や、怪談がお好きな方にも、お薦めしたい1冊だ。