全25種類の動物について日本人が持つイメージ、およびそのイメージの根源をひも解く1冊
「かちかち山」の昔話の起源は、確実なところでは、近世一八世紀に出た赤本『兎大手柄』までさかのぼることができる。その粗すじはつぎのようである。
むかしむかし爺が山に畠打ちに行き、婆がつくってくれた団子を食べていたが、それを穴に落してしまう。爺が団子をさがして穴を掘りすすめると、大きな古タヌキにでくわしたので、そのタヌキを捕らえて家に持ち帰り、天井に吊るしておいた。爺が留守のとき、タヌキはムギ搗きの手伝いをしようと婆をだまし、縛をとかせ、杵で婆を殺した。婆汁をつくり婆に化けたタヌキは、帰ってきた爺に婆汁を食わせると、「婆食らいの爺め」と叫びながら逃げ去った(以下ウサギがタヌキを制裁する段が続く)。
『日本動物民俗誌』は、1984年に上梓された『日本人の動物観』の姉妹編である1冊。動物の種類ごとに項目が設けられ、それぞれ4000字の制約のもとに「日本人のその動物についてのイメージがどのように形作られていったのか」が語られている。
著者の中村禎里氏は民俗学者ではなく、本来は科学史、特に生物学史の研究者である。そんな彼が「歴史と構造」をメインの切り口として、「日本人の動物観」に切り込んでいる。
単なる民俗学の専門家では気づけないであろう多角的な視点から、論拠に基づき、ときに筆者の仮定や推測も織り交ぜながら書かれている1冊だ。
論拠とされているのは『古事記』『日本書紀』『風土記』をはじめとしたさまざまな歴史書や『今昔物語集』をはじめとした古典文芸の作品、『神道集』ほかの宗教書など、さまざまなジャンルの民俗資料。ときには中国やインドなど、海外の古書や宗教書も引き合いに出されている。
項目として挙げられている動物は「サル・キツネ・トリ・シカ・イヌ・タヌキ・イノシシ・ムシ・ネズミ・オオカミ・ウシ・クマ・ネコ・サカナ・ウサギ・カニ・トカゲ・イタチ・ヘビ・カエル・ウマ・カワウソ・カモシカ・クモ」に加えて、最後に"遊び"として入れられた「人」も含めた25種類。
昔話や怪談でおなじみのタヌキやキツネ、神話の世界でよく目にするヘビやオオカミはともかく、特にそのようなイメージがないシカやウマ、カエルやネズミ、サカナなどまで、多くは神であったり呪詛(じゅそ)の象徴であったりと「畏怖の対象」とされてきたことがわかり、日本人がいかに動物たちの存在に独特な意味や価値を見出してきたかを思い知らされた。
かくてクマについては擬人化がほかの野獣のばあいよりもなされやすく、その霊力がとくに恐れられていることは、この動物がかつて神であったことを示唆するものだろう。もっともイノシシ・シカ・サル・オオカミなども、古くは動物神として力をふるっていたのだから、これらの動物とクマとのちがいの由来は、動物たちが歴史的にたどった道すじの相違にもとめなければならない。
とはいえ、日本における野生動物の保護問題は単なる感情論では片づけられず、日本人の精神性や宗教観などと深く関わっていることも、忘れてはならないだろう。本書に取り上げられている25種類の動物のほとんどが、日本人から「神、もしくは神の使い」、あるいは「堕ちた神・妖(あやかし)・怨霊の類」としてときに敬われ、畏怖されてきた存在であることを、本書で改めて認識させられた。
古くは「気高き神の使者」であったキツネが「人をダマす存在」「人に憑く妖(あやかし)の類」へと変遷していったのは何故なのか。
さまざまな童話や神話にその姿を見せるウサギやサル、タヌキやカエルは、なぜときに「善玉」、ときに「悪玉」の役割を与えられることになったのか。
25種類の動物たちの各論の後に記された「要約・結論および補論」の項目。その中に登場した表「日本の本格昔話における動物の互換性」も面白い。
動物たち個々の「各論」がズラリと並んだあとで、最後にこの「要約・結論および補論」で、動物たち同士の関係や「人との遠近」ほかの視点による比較も論じられている。この手の全体分析があってこそ、本書は「動物民俗事典の決定版」(小松和彦氏の解説より)としての価値を持ったと言えるだろう。なにより、著者の博覧強記ぶりに驚かされる1冊だ。