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2025.06.17

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あなたがまだ知らない「移動階級」の世界! 人生は移動距離で決まるのか?

「行きたい場所に、いつでも行けますか?」

こう聞かれたとき、あなたはなんと答えるだろうか。別の問い方でもいいかもしれない。

「自分の移動を自分で決めて、実行できますか?」
冒頭に掲げられた問いは、やがて「あなたにとって自由とは何か?」を読者自身の胸に問いかけ始めるかもしれない。地方移住を専門とする社会学者の著者は、1996年生まれという若手だが、都市と地方の両方の生活経験を持ち、鋭い視点で「移動階級社会」の姿を浮き彫りにする。

本書がテーマとする「移動格差(mobility gap)」とは何か? それは「人々の移動をめぐる機会や結果の格差と不平等、それが原因で生じるさまざまな社会的排除と階層化」を意味する概念であるという。そんなものが存在するのか?と訝る読者もいるかもしれないが、自分の生活と照らし合わせて考えてみれば、すぐに思い当たる事柄だらけだろう。経済的・身体的な理由などで気軽に行けるところ/行けないところ、普段から利用する/なかなか利用しない交通機関、日常生活のなかで享受している移動や物流のスムーズさ/困難さなどを思い浮かべれば、おのずとそこにグラデーションが現れてくるはずだ。人によっては、普段は目を背けている「残酷な現実」を眼前に突きつけるような内容かもしれない。
一つ断言できるのは、移動の機会や可能性は、人々に等しく与えられていないということである。そして、移動をめぐる格差や不平等は、社会的な地位の達成や日々の暮らしにも大きな影響を与えている。
こうとも言えるだろう。移動は、新たな階級・階層間の分断や闘争を生み出している側面もあるのだと――。
たとえば「世界各地を忙しく飛び回るビジネスマン」という表現から思い浮かぶのは、社会階層的には上位に位置するエリートの姿だろう。ここからも格差の匂いは感じ取れる。一方で、移動したくともできない人々もいる。パレスチナ自治区ガザに閉じ込められた一般市民に「そんなにイヤなら早く出て行けばいいのに」と言う無神経さは、誰にでも理解できるはずだ。そこにも政治的・民族的な格差は極めて残酷なかたちで存在している。

本書では実に多彩な「移動」のバリエーションが取り上げられる。日常生活の延長線上にあるものなら、旅、買い物、通勤通学など。非日常的な行動としては、災害避難、移住、移民など。また、当事者の行動ではなくサービスやインフラとして移動が関係するものとしては、物流、情報の送受信なども含まれる。

それらの移動に関して、どういった差異があり、その理由にはどんなものがあるのか。著者はさまざまなアンケート結果やグラフも駆使しながら、実態を明らかにしていく。そこには厳然と「不平等」や「不自由」が存在するが、それに対して物申したり、革命を求めたりする過激な思想書ではない。あくまで社会の見方を指し示し、我々が「見て見ぬふり」をしているかもしれない現実を改めて認識させ、つとめて冷静に問題提起を投げかける。そういう意味でも十分以上に刺激的な1冊だ。
お金があるほうが移動しやすく、お金がないと移動しづらい――私たちはそんな社会を生きている。所有しているお金の量が移動の機会や可能性を左右するというわけである。
この他にも、移動を伴うアクセスの貧困には、身体的側面、組織的側面、時間的側面といった要素が関係する。
地方の状況に精通する著者ならではの視点にも、ハッとさせられるところが多い。たとえば、コロナ禍以降盛んになったフードデリバリーについて。これも食品の「移動」をおこなう物流サービスのひとつである。
ただし、フードデリバリーに関する話題は、基本的には、利用者も配達者も“都市生活者に限定している”点を見過ごしてはならない。視点を変えると浮かびあがるのは、「地域格差」という別の問題である。
2025年時点で、利用可能な市区町村はその大半が市区もしくは一部の街に限られている。長野県は77市町村あるが、未だに多くの自治体で利用できない。子どもの頃から、ピザの配達が届く地域に住む人を羨ましいと思っていたが、この夢はUber Eatsが普及しているように見える現在でも達成できないのである。さらに、利用可能と表示されている地域であっても、全域で利用できるとは限らない。駅周辺だと使えるが、駅から離れた山間の地域では使えないというように。駅から離れた山間の地域に住む人のほうが、“買い物難民”になるリスクは高いのに、である。
このほかにも本書では、障害、政治、気候変動、ジェンダーといった「移動格差」を生み出すさまざまなファクターが紹介されていく。読者それぞれにハッとさせられる「気づき」が得られると思うが、個人的には(男なので)、ジェンダーに起因する移動の不平等に、今さらながら衝撃を受けた。
なぜ、女性のほうが運転中のケガのリスクが高いのか。要因の一つは、安全性能に関する基準が、長年にわたりドライバーとして“男性の体形”だけを想定してきたことにある。
ジャーナリストのキャロライン・クリアド=ペレスによれば、衝突安全テストにダミー(衝突テストで人間の代わりをする人形)が初めて導入されたのは1950年代だが、それから数十年の間、ダミーは平均的な男性の体格にもとづいていた。最も一般的なダミーは、身長177センチ、体重76キロで、筋肉量比率や脊柱の形状も男性にもとづいている。どちらも平均的な女性をかなり上回った想定だ。
不平等は、車の構造だけにとどまらない。本書を読んだあとは、都市全体、社会全体について、改めてその「構造」を見る目が変わるかもしれない。建築・設計といった具体物だけでなく、システムや概念もそこには含まれる。
2020年、世界銀行は、近代の都市は男性が男性のために設計したものであるため、女性には経済・社会的開発へのアクセスが限られていると指摘した。さらに、世界にはジェンダー格差の解消に取り組んできた都市もあるが、依然として都市計画分野に関わるのは男性が多く、ジェンダー規範に基づいた計画が進められている実態がある。私も地域の各種計画づくりに関わることがあるが、行政職員も参加する有識者や委員も、大半が男性というケースがほとんどである。
また、近年顕著になっているのが、移動そのものを「成功」と結びつける考え方だという。不勉強なもので、そういう発想があること自体よく知らなかったが、本書はそんな現代の風潮を紹介しつつ、そこにある問題点も明らかにする。
小型化されたモビリティーズに侵食された世界では、移動時間は、移動をしながら遂行される仕事、ビジネス、レジャーなどの活動を中心にまわるようになっている。つまり、今日の輸送システムと新しい情報伝達技術の間に存在する複雑な結びつきが意味するのは、移動時間は個人にとって退屈で、非生産的で、無駄な時間ではなく、むしろ、職業上あるいは私的な活動において生産的に使われているという事実である。
「移動」というキーワードにこそビジネスチャンスは転がっているという考え方は、確かに実践しがいのある活動なのかもしれない。だが、結局は「強者の論理」に過ぎない……その詳しい分析は本書を読んでほしいが、決して若者の希望をへし折るのが目的ではなく、むしろ冷静な思索をもたらす内容であると明言しておこう。
勝者は自分たちの移動や人脈、成功を「自分自身の能力や努力、優れた実績の結果に過ぎない」と考え、自分よりも移動しない人々を見下すだろう。現に、「できないとか言ってないで、いますぐ移動すればいいのに」「海外に移動してチャレンジする勇気がないから成功しないんだ」といった言葉が、移動強者とでも呼べる人々から聞こえてくる。そして、成功していると感じない移動性が低い人々は、こうなった責任は自分にあると思ってしまう。
(中略)
結局、「成功したいなら移動せよ」という主張の何が問題なのか? 答えは、実力や能力以外の構造的な不平等や環境要因によっても、人々の移動資本やネットワーク資本は成り立っているからである。
さらに視野を広げると、世界中の移動ツールが消費する膨大なエネルギーの問題もある。そして多くの移動は、タダではない。それ自体が経済・資源の両面において巨大な消費活動サイクルとなっていて、もはや全世界的に止めることのできない“怪物”と化している。
日々の移動を成立させるインフラなどのシステムは、24時間365日止まることなく、時間通りに配送し、常に通信を利用可能にし、物流ネットワークを成立させるために、莫大な量のエネルギーを消費している。人口の増加によって拡大する世界のエネルギー・インフラだが、近年では資本主義におけるスピードと不均等な発展の問題をますます悪化させていることも次第に明らかになってきた。
エネルギーなき移動は存在しないし、エネルギーがなければ私たちは生きていけない。しかし、エネルギーに根ざした文化は、自然環境や定住生活に甚大なダメージを与え、ネガティブな影響を与えてしまうというジレンマがある。
喫緊の課題である環境問題も含め、移動にまつわる数多くの社会問題が提示される本書だが、先述したように、それに対する解決法を安易に提示するような、お手軽な啓発書の類いではない。それでも、有益な考え方は間違いなく読者に与えてくれる。
移動を「正義」や「公平さ」の側面から考えるというアイディアは、移動をめぐる格差や不平等をはじめとする移動をめぐる課題を深く理解し、根本から解消していくためのヒントを私たちにもたらす。
その「モビリティ・ジャスティス」という考え方を、絵空事と感じる人もいるかもしれない。しかし、現代日本の抱えるリアルな危機感とセットで考えれば考えるほど、もうそれしかないのではないかと思わせる力強い説得力が、本書にはある。もしかしたら「移動」を中心として、社会意識や生活全体を見直すきっかけになるかもしれない1冊だ。

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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