しかし読み始めると、事前の心配は急速に薄れていった。1981年生まれの著者はトルコ文学(史)の専門家で、現在は大阪大学大学院外国語学部の准教授を務めている。これまでに多くの専門書や翻訳書を出版するかたわら、小説家としても活躍してきたという著者の筆は、読み手をあっという間にオスマン世界へと誘ってくれる。
さてオスマン帝国を知るにあたり、本書では前提となる3つのポイントが挙げられている。それは「広大さ、地域多様性の保持、そして類稀な長命」だ。冒頭では、「広大さ」を表すための領土の全景が図示される。
統治者たちが用いた言葉であるオスマン語で高らかに神護の諸国土(メマーリキ・マフルーセ)と称されたその領土は、十七世紀後半に約五五〇万平方キロメートルに達した。(中略)帝国の陸上面積は十六世紀以降、常に四〇〇万平方キロメートルを超え、これに黒海、東地中海、紅海、ペルシア湾、インド洋というその影響力の及ぶ海洋を加えれば、およそ六〇〇万平方キロメートルに迫る広大な世界を成した。現代に照らせば三〇以上の国と地域を包摂するその領域内には、一七世紀の時点で三〇〇〇万人ほどが暮らしていたと考えられている。

ちなみに、彼らの統治を支えたシステムとして、以下の点も挙げられている。それは、帝王に仕えた公僕たちの、身分を問わない育成制度と貴族のいない社会制度、そして帝国がその育成に必要とした言語である「オスマン語」の存在だ。
さまざまな民族的出自を有し、しかし一様に王朝に仕官する人々を繋ぐためのある一つの言語が形成された。それはオスマン語と呼ばれる。トルコ語を基調としながらも、アラビア語、ペルシア語などの語彙と文法がふんだんに取り込まれた高踏かつ難解な行政・芸術のための文語として発達したこのリングァ・フランカ(母語が異なる者たちの共通言語)こそが、オスマン帝国の王朝正史を綴り、また識者たちが幾千冊もの書物を著し、なにより公僕たちがいまなお一億点以上、残存する行政文書をしたためるのに用いた言語であった。
オスマン帝国の歴史は、戦いの記録でもある。「もしこの時代に生きていたら」と思うと、現代の一庶民としては身がすくむ場面も多い。それでも、著者独特の表現で彩られた本書は、歴代の覇者たちの日常を鮮やかに浮かび上がらせ、史実を知る喜びだけでなく小説のような臨場感ある読み心地をも与えてくれる。本書を通じて、壮大な大帝国の過去に触れてほしい。