今日のおすすめ

PICK UP

2025.04.01

レビュー

New

駆除か共生か!? 道東を恐怖と混乱に陥れた牛を襲うヒグマ「OSO18」とは?

道東の怪物

獲物を襲うが、食べない。罠にもかからない。確実に存在しているがいつどこに現れるかわからず、その姿を目撃したものもいない……。

ある1頭のヒグマについて語る言葉は正体不明の怪物の輪郭を描き出し、漠然とした恐怖を呼び起こす。

2019年の夏、北海道東部の標茶町に出現したヒグマが放牧中の牛を次々と殺傷しはじめる。襲われた牛の数は2023年までに合計66頭に及び、北海道庁が捕獲対応推進本部を立ち上げるという異例の事態となった。

襲った人間の肉を食べることから肉食と思われがちなヒグマだが、本来は雑食で、生涯一度も肉を食べない個体が9割を占めるという。また通常、ヒグマは森林や山岳地帯に生息し、放牧地のような開けた場所には出没しない。習性を知ると「家畜を襲うヒグマ」の異常さがわかる。

特異な点はこれだけではない。牛を襲うヒグマを見た者はおらず、犯行はいつも牧場主が行方不明の牛を探すことで明らかになる。移動経路は不明で、その姿はカメラにも写らない。罠にもかからず、次はどこに現れるかすら予測できない。

更に不思議なことに、このヒグマは獲物への執着が薄かった。獲物に強く執着すると言われるヒグマだが、この個体はわざわざ襲っておきながら、襲った牛に執着せず、現場に戻ることもない。それでいて、また別の場所で牛を襲う……。まるで狩りを楽しんでいるかのようだ。

『異形のヒグマ OSO18を創り出したもの』は、道東を恐怖と混乱に陥れたヒグマ「OSO18」をめぐる攻防を描いたドキュメントだ。NHKスペシャル取材班の山森英輔氏と有元優喜氏が2年にわたりOSO18の生態を調査、伝説のハンターたちとともにOSO18を追い続けた経過から生まれた。

いくつもの謎が「事実は小説より奇なり」を地でいくスリリングな展開とともに描かれ、ページを捲る手が止まらない。
果たしてそのヒグマは、どこにいるのか。
どうして、食べもしないのに襲うのか。
そしてなぜ、そのような個体が生まれたのか。
ネットやテレビを賑わせ、多くの関心を集めたOSO18の奇怪な行動とミステリアスな正体が明かされる。

怪物の実像

酪農家に大きな経済的被害をもたらし、地域住民に恐怖と不安を与えたヒグマは、最初に被害が確認された標茶町(オソツベツ)と、前足跡の幅が18cmだったことにちなんで「OSO18」と呼ばれることになる。
18cmの大きな前足の持ち主は大型のオスの可能性が高いこと、また足跡や獲物の牛に残された爪痕の一致から、多くの牛を襲ったのはすべて1頭の巨大ヒグマの仕業と推測された。捕獲どころか目撃すら叶わず、また半分の牛は傷つけられただけだったことから、OSO18は「忍者」「愉快犯」と呼ばれることもあった。

このヒグマの追跡をドキュメントとして記録しながら、その誕生の背景に迫るという趣旨の有元氏の提案(番組企画書)にはこのように記されている。
OSO18とは、いったい何者なのか。
人間が自然をコントロールしてきた時代の終焉を告げる存在なのか。
奪われた土地に再び侵入する無数の獣たちの象徴なのか。
あるいは、善を求めて過ちを犯す人間の写し鏡なのか。
――見えない怪物に、人間は何を見るのか。
取材のために専門家のもとを訪れた山森氏が耳にしたのは、こんな意外な一言だ。
OSO18は、本当はとてもいいクマだと思います。慎重さと臆病さを持った、賢くて、学習能力の高いヒグマ。だけど、どこかで道を間違えて牛を襲うようになった。
一方、北海道庁にOSO18の捕獲を託されたハンターは、こう語る。
「出没してる時期がほんの二、三ヵ月。それ以外の時期は出ていない。だから、基本的にどこにいるのかわからない。それに、何のために襲ってるのかも理解しづらい。(中略)食べるためにやってくれたほうがわかりやすくていいんだよ。食べるためじゃないんだもん。どう見ても。こんなヒグマは前例にないです。まるっきり」
専門家やハンターたちから見ても、OSO18は非常に用心深く高い知能を持つ一方で、行動原理が読めない。人間の気配に敏感なこと、人間の手の内を読むように痕跡を消す賢さよりも、何を考えているかわからず姿も見えない「不気味さ」が際立つ。推定される大きさや猟奇的な行動も相まって、人々の間で1頭のヒグマが「正体不明の怪物」とみなされる過程が描かれていく。個性豊かなハンターたち、理不尽な襲撃に怯える酪農家、難航する取材のリアルな描写と相まって、ドキュメンタリーでありながらミステリー小説のようでもある。

出現から3度目の夏、OSO18はついにその姿を現す。その名の由来となった足のサイズが新たな謎を呼び、やがてすべてが解明されていく過程で浮かび上がるのは、ある1頭のヒグマの生涯だった。

その特異な行動と被害の大きさから、日本のヒグマ事件史の中でも特筆すべき存在の「OSO18」。本書はその姿を正確に描きだしている。引き込まれて一気に読み終える爽快感と、読後の切なさをぜひ味わってほしい。

レビュアー

中野亜希

ガジェットと犬と編み物が好きなライター。読書は旅だと思ってます。

X(旧twitter):@752019

おすすめの記事

2024.02.14

レビュー

sima【コロナ3年間の真実】政権と世論に翻弄されながら危機と戦った感染症専門家はなぜ消されたのか?

2021.03.29

レビュー

東日本壊滅はなぜ免れたのか? 取材期間10年! 浮かび上がった衝撃的な事故の真相

2023.03.09

レビュー

スポーツカー「86」の復活に賭けたトヨタエンジニアの心ふるわすノンフィクション

最新情報を受け取る