小学生の女の子・ちぃちゃんのある疑問から、この本は始まる。
パパは やくそく やぶったのに
ごめんね も いわなかった
しごとだからって
どういうこと?
ぜんぜん わかんない
その“不条理への憤り”まじりの仕事に対する感情は、大人のほうこそ抱きがちなのではないだろうか。どうして私たちは仕事に振り回されてしまうのか? 家族に迷惑をかけてまでやらなくちゃいけない仕事って何だろう?
本書は『ツレがうつになりまして。』などの作品で知られる著者・細川貂々の『こころってなんだろう』『みらいってなんだろう』に続く、絵本シリーズ第3弾。今回のテーマは「しごと」。私たちがあまりに当たり前のこととして日常的に受け入れている大きなワードだが、子どもにとっても大人にとっても「答えを知りたい巨大な謎」である。
もちろん「そんなの全然、謎でもなんでもない」という人もいるだろう。「お金を稼ぐため」「生活を支えるため」「社会人としての義務」などといった決まり文句的な答えは咄嗟(とっさ)に出てくるかもしれないが、はたして本当にそれだけだろうか? 子どもに納得してもらえるほどの本質に辿(たど)り着いた答えになっているだろうか? 純真無垢な子どもの問いかけに、逆に物事の本質を見つめ直すきっかけを大人のほうが与えられることは、ままある。
テーマは巨大だが、かわいらしいタッチの絵と書き文字で、やさしく読者を導いてくれる読み味は、これまでの作品と変わらない。親子で一緒に読みながら同時に考え、学んでいけるような一冊だ。
「しごと」とは何かを考えることは、「こころ」や「みらい」を考えることとも繋がっていく――この本はそんな真理も教えてくれる。たとえばこんなくだり。
けっこう、読んでいて目の覚めるような思いを抱く大人の読者もいるのではないだろうか。あらゆる仕事が「他者との関係性」のうえで成り立っていることに気づけば、そのネットワークの膨大な広がりが「社会を構成するということ」のイメージに繋がり、同時にそれは「自己を確立する」ことを促す……読者はこの本からそんな図式をシンプルに思い描くことができるだろう。先述の「社会人としての義務」という漠然としたフレーズも、そうして解きほぐしていけば納得のいくものになりうる。このあたりは『こころってなんだろう』と併せて読むと、より深みを増すのではないだろうか。
自分が自分であるために、この社会で生きていくために、仕事は大事なものだとわかっていながら、常にスムーズに楽しく付き合っていけるとは限らない。その弊害が家族や周囲の人に降りかかってしまう場合もある(そして本書冒頭のような問いかけが生じる)。その難しさについて触れた下記の言葉は、シンプルなだけに、特に印象深い。
おとなはいつも
しごとと どうむきあっていくか
なやんでいる(それも しごと)
できるだけ仕事で悩まないように、みんなが幸福でいられるようにするにはどうすればいいか?という問いに対しては、“自分自身を理解すること”という「こころ」の課題が再び浮上する。
早いうちから自分の好きなこと、得意なことをできるだけ多く見つけることが、将来どんな仕事を選ぶかという「みらい」へと繋がることは、多くの大人が現在進行形で実感していることでもあるだろう。下記の言葉は、きっと子どもたちの背中を押してくれるのではないだろうか。
人は
スキなこと が とくいになる
とくいなこと を スキになる
という法則があるよ
この本で、時に恐ろしいモンスターのように描かれる「しごと」が、椅子の姿をしているのにも意味がある。そこは私たちがずっと長く、居心地よく座り続けられる場所であるべきだからだ。また、それらは決して恐れたり、敬遠したりする対象ではない。これからの人生を支えるパートナーであり、自分の意志で自由に腰かけたり立ち上がったりもできる、椅子なのだから。
もちろん、好きと得意が食い違うこと、なかなか自分に合う仕事を見つけられないこと、天職だと思っても生活が支えられないので諦めてしまうことなどもあるだろう。他人に頼らず「一匹狼のように生きたい」と思っても、そうもいかない現実に悩む人もいるかもしれない。それらは大人になり始めてから出会う葛藤なので、とりあえずまだ考えなくていい。
まずは自由で柔軟な子どもの心で、未来の「こうなりたい」自分をイメージするのは、とても大事なことだ。その想像と希望の翼を広げる手助けを、この本はさりげなくも力強くしてくれるはずである。
レビュアー
岡本敦史
ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。