テレビシリーズ『LOST』の脚本家ドリュー・ゴダードが、脚本と、そして監督も手がけた『キャビン』という映画があります。日本公開は2012年。
「女子大生のデイナは、少々遊び慣れた感じのする親友や、マッチョやオタク風味の男子学生たちとキャンプに出かけ、週末を森の中にある小屋で過ごす」という設定からはじまる物語。
彼女たちは、偶然、小屋の中で日記を見つける。その日記には恐ろしい殺人の記録が記され、最後には意味不明の言葉が書かれていた。デイナはその言葉を読み上げてしまう。おぞましい殺人鬼たちを蘇らせる呪文とも知らずに……。
ここまで読んで「なんかどっかで聴いた話だぞ!」と思う人もいるかもしれません。それは本当にその通りで、この映画の展開は、ホラー映画における〝お約束〟を緻密に踏襲していました。実は主人公たちの行動をモニタリングする謎のスタッフたちがいて「どんな設定のモンスターを登場させるか」「まず最初に殺されるのは尻軽だ」など、ホラーとして細かく演出されていたのです。
そう、この映画はメタフィクション。本来は、知らないふりをしているはずの「虚構」について、それが虚構であると頻繁に言及していく物語。
このメタフィクションの手法は、その世界のルール、すなわち「お約束」が、しっかりと決まっている分野で、その「お約束」を茶化すのにとても向いていると思います。実際、ゴダード監督の「キャビン」も、ホラーファンにはとても楽しく面白い作品になっていました。ちなみに私も大好きです。
ホラーの世界には「最初の物音は猫。次が本物」「生き残るのは生活態度が真面目な若い女性」など、数々の「お約束」が存在しますが、これに負けない、いやもしかするとこれ以上に、強烈に「お約束」がそびえたつジャンルが存在します。
すでにお気づきでしょう。「ミステリ」。その中でも謎解きを醍醐味とする「本格ミステリ」の分野です。
「ガリレオ」シリーズなど数多の作品で知られる東野圭吾氏の小説集『名探偵の掟』は、この本格ミステリのお約束を取り上げたメタフィクションの傑作。2009年にテレビドラマにもなっているので、そちらでご存じの方も多いかもしれません。
事件の語り役となるのは、大河原番三警部。主役となるのは、頭脳明晰、博学多才、行動力抜群の探偵(作中で本当にこう自称している)、天下一大五郎。
もうこの時点で、大河原警部は「ありきたりの推理で誤認ばかりしている頭の固い警察官」、そして天下一は「鮮やかに(しかしなぜか最後までその推理は明かさない。連続殺人の場合、最後の犠牲者が殺されるまで)、事件の謎を解いてしまう名探偵」という、お決まりの構図が目に浮かびますね。
実際、事件はその構図で進み、大河原警部と天下一のコンビは、密室殺人やダイイングメッセージ、アリバイトリックなど、ミステリで「お約束」のように登場してくる事件に挑戦し、見事に解決していきます。
凄いのは、事件のひとつひとつが一見ギャグのようでありながら、ちゃんと推理小説としても機能しているところ。「いや、いわゆる本格ミステリだって実は同じくらいのこと、やってるよ」という線も〝ギリギリのところで守る〟という離れ業が演じられます。
私はこの作品を、あるミステリ作家に勧められて読んだものですが、個人的に楽しかったのはその「メタ」のあり方でした。
通常、メタフィクションというと、「今あなたが読んでいるのは俺の創作した虚構だ」という感じで『作者が出てくるタイプ』と、本来決められた役割から、『登場人物が逸脱して動きだす』というふたつのパターンがあると思うのですが(中には登場人物が書いた作中作をさらに読ませるなど複雑なものもありますが)、本作は後者。
大河原や天下一、時には他の登場人物も、しばしば小説世界を離れ「あれはもうやりたくない」などとグチを漏らします。
「お約束」にガチガチに縛られた分野は、やがては衰退していくものです。だから本作は実は「謎解き小説」というものが抱える〝問題意識〟も、潜在的なテーマにならざるを得なかった。
そのため、著者の意図はどうあれ、このジャンルの書き手自身にとって「ミステリのお約束」は、ただ笑っていればいいものでもなかったことでしょう。である以上〝「書き手」を登場させる手法を使うには、ちょっと生々しくなり過ぎる〟ということだったのかもしれません。
しかし読み手にしてみると、小説世界から離れた大河原や天下一の言葉に、「作者の東野氏にとって、ミステリの世界は本当にあって、虚構の被造物たちもこんなに生々しく存在している」。そんな「愛」を感じたものでした。
この小説の後、東野氏は、問題意識をただ提起するだけではなく、自分自身で挑み、そしてその解答をあたかも作品にするようにして、大作家へと駆け上がっていった。その歴史はご存じの通りです。さすがというか、凄いというかありません。
「お約束」を扱うといっても、その知識は、昔、推理小説を読んだことがある、という人でも十分に楽しめるものです。ガチガチのファン以外は楽しくないだろうというところは、大胆にすっ飛ばしていたりするので、誰が読んでも面白い。未読の方がいらっしゃったら、ぜひオススメです。
レビュアー
作家。1969年、大阪府生まれ。主な著書に〝中年の青春小説〟『オッサンフォー』、現代と対峙するクリエーターに取材した『「メジャー」を生み出す マーケティングを超えるクリエーター』などがある。また『ガンダムUC(ユニコーン)証言集』では編著も手がける。「作家が自分たちで作る電子書籍」『AiR』の編集人。近刊は前ヴァージョンから大幅に改訂した『僕とツンデレとハイデガー ヴェルシオン・アドレサンス』。ただ今、講談社文庫より絶賛発売中。
近況:歌手、高田なみさんのライブに行きます。楽しみです。