楽しい政治とは、これいかに!
・映画の続編で主人公のキャラ設定が変わって違和感を覚えたとき
・展覧会を観た感想が友人とまったく違っていて、お互い驚いたとき
・自分はあまり興味のないイベントで街が沸いているなあ、と感じたとき
・ためになると思った動画や記事を友だちや家族にシェアしたとき
僕が思う「政治」とは何か? それは「いろいろな意見や立場の人々が共存するためのツール」だ。「目的」ではなく、「手段」である。ましてや職業政治家が牛耳る「業界」ではない。
社会には異なる考えをもつ人々がいる。それでもなんとかうまくやっていくには、それぞれが「知ること」や「知ってもらう」ためにコミュニケーションを行わないといけない。その作業を怠れば、人は社会から弾かれてしまう。別に「今すぐSNSで発信しよう」って話じゃない。では、人が社会や政治に関わる第一歩はどこにあるのか? 著者は言う。
社会を関わるべき場所にするには、関わり方を身につけるには、「政治」というツールで社会をよくするには、まずは「知ること」が必要だ。
言論や行動には責任もともなうけれど、知ることならば、大胆に「物見遊山」から始められる。
揺れ動き、変化する歴史
スーパーヒーローものドラマ『ウォッチメン』は、1921年の白人至上主義者による黒人殺戮事件「タルサ人種虐殺」の罪を描いている。このアメリカの負の歴史ともいえる事件は巧妙に隠蔽され、ごく最近まで知られていなかったが、『ウォッチメン』はそれが現在の社会問題とリンクしていることをあぶり出す。一方でドナルド・トランプは、この黒人殺戮事件を政治利用し、タルサの街で大統領選挙の集会を開いて支持者にアピールした。
また、みんな大好き「トイ・ストーリー」シリーズ。脇キャラの陶磁器の羊飼い少女ボー・ピープが、いきなり主役級になって活躍する『トイ・ストーリー4』の物語を覚えているだろうか? 保安官キャラのウッディが、とにかく煮え切らないことにイラッとした記憶があるが、本作はフェミニズムの台頭と、それに脅かされる家父長制の失墜を下敷きにしている。さらにいえば、シリーズを成功させ、ピクサー社の経営者でもあったジョン・ラセターがセクハラの疑いで、このころに会社から追い出されている。そのほかにも、Amazonプライムビデオで配信されているオカルトホラー『ゼム』や、アカデミー賞を受賞した『ノマドランド』などを素材に、エンターテインメント作品とアメリカの社会問題がどうリンクしているのかを、本書は明らかにしていく。
こうしたエンターテインメント作品が、ごく普通に人気を得て、受け入れられているというのは、その作品の力もあるが、近年のブラック・ライブズ・マター(BLM)や#Me Tooといった運動により、前述のキーワードが人々に理解され定着してきていることの証拠でもある。では、そこに至るまでの過程はどうなっているのだろう? 対立する考え方の人々がぶつかるとき、どんなコミュニケーションが生まれているのか?を追うのが本書の後半である。
集会やデモといったリアルの運動も紹介されているが、興味深いのはネットでの運動だ。たとえば「#BlackLivesMatter」のハッシュタグを使ったBLM運動に対抗して、保守派は「#WhiteLivesMatter」(白人の命も大切だ)という大量の投稿を行った。このバトルの現場に現れたのが、Kポップファン。社会問題や政治的立場に対して積極的に発言するBTSなどアーティストに呼応して「#WhiteLivesMatter」のハッシュタグにお気に入りのスター写真や動画貼り付けて大量投稿し、事実上ハッシュタグを乗っ取ってしまったのだ。
はたまた白人至上主義の人たちが、極右思想のシンボルとして利用したカエルのペペというマスコットがいる。そもそもペペは、おしっこをしながら「気持ちいいぜ〜」とつぶやく“たわいのない”キャラだったのに、作者の意図を超えて改変され、ヘイト版ペペがネットに溢れかえり、作者は作中でペペの葬儀まで行った。そんなペペが、突然2019年に復活する。その役割を担ったのは香港民主化運動。ペペは運動参加者の連帯や抵抗、反差別を訴えるアイコンとして普及し、極右のペペから民主化のペペとなったのだ。
このようなネットとリアルをまたいだ意味化/無意味化をめぐる現在進行形のバトルに加え、支配者側から書かれた歴史だけでなく、支配された側が語り継いできた歴史を知ること。その積み重ねの上に「わたしたちについての/わたしたちによる/わたしたちのための歴史」は作られていく。先日「コロンブス」をモチーフにした曲のPVが批判されたのが良い例だ。つい最近まで英雄的人物だったコロンブスが、彼の負の側面が広く知られるようになり、そのPVの無邪気さは容認されなくなった。歴史は変わるし、これからも変わり続ける。その原動力は、知ろうとすることに尽きる。たったそれだけのことで、著者のいう「楽しい政治」を体験できるのだ。