言葉は時に物事を覆い隠そうという人間の弱さに荷担することがあるのかもしれません。
「震災から3年になろうとする今、私たちが忘れてはいけないことは、自分たちがあのとき思ったこと、このままではいかんと思ったこと。そして被災地の人のことは、単に心のケアという問題でなく、彼らが立ち上がろうと、やり直そうとしているときになぜ首尾よくいかないのか、それを阻害しているものはいったいなんなのか……そういうことを考え続けなければならない。「絆」という言葉が隠しているのは、東北の人が再生しようとしている今のしんどさ、その背後にまだものすごく難しい問題があるということ。(略)そういうことをいちいち考えると複雑すぎてわからないから、みんなが思考停止するために「絆」という言葉を使って盛り上がった。そんな気がしてならないのです」(鷲田清一さん)
わかりやすく、そして厳しく自省の念を生じさせる言葉だと思います。3.11の1年後に開かれたシンポジウム、親鸞フォーラムが開かれました。この時期といえば
「事故当時の被害の実態や汚染状況の現在がようやく少しずつ解明されはじめた時期であった。(略)原発事故に関するすべてで何一つ目途が立たない中、もっとも早くに日本が踏み出した第一歩が、再稼働への道であった」(木越康さん)
という時期だったのです。この本はそのシンポジウムの講演をもとにして作られたものです。鷲田さんの言葉からもわかるように出版にあたって加筆されているものも含まれてはいるとは思います。それだけに、実はこの3年間に私たちが学んだことがいかに少なかったのかをも明らかにしているように思います。
ここに登場している姜尚中さん、高村薫さん、鷲田清一さん、本多弘之さんに共通した思い、それは、私たちがいまだに〈成長至上病〉にかかっているということではないかと思います。なぜそうなってしまったのでしょうか。それは日本の戦後の特殊な歴史がもたらしたものだったのです。
「高度成長といっても、日本の実力ではない。もちろん技術力はあるかもしれませんが、アジアの諸国に混乱と戦禍が続いたおかげでもあるわけです。つまり、日本以外のアジアは戦後ではなかったのです。戦争がずっと続いていた」(鷲田清一さん)
この歴史観は多くの人が認めているものだと思います。けれどほとんどの人(とりわけ政治家、官僚等)はこの特殊日本事情がもたらした成長をむしろ歓迎していたのではないでしょうか。もちろん、この成長が間違っていたといっているわけではありません。この時代が過ぎ去って、新たな時代に日本が入っているということを直視する必要があるといっているのだと思います。
それが「スモール・イズ・ビューティフルの再認識」(姜尚中さん)であり、「愚かだから思慮深く」(高村薫さん)であり「身の丈にあった」「ダウンサイジング」(鷲田清一さん)という生き方の提唱なのだと思います。そして「経済がもたらす罪を知り、そこから生まれ直して」(本多弘之さん)いくという決意を持とうと呼びかけています。
3・11を忘却してはならないし、そこからくみ取らなければならないものも(それを教訓といってはいけないようにも思います)、まだまだ私たちにはあると思います。原発は廃炉となり、燃料の最終処理が終わらない限り動き続けていると考える必要があるのではないかと思わせる一冊でした。
レビュアー
編集者とデザイナーによる覆面書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。