運行本数は少ないとはいえ、いやだからこそかえって必要不可欠なライフラインとなっている地方の鉄道、この本は東日本大震災で壊滅的な被害を受け、今のまだ復興中の常磐線、仙石線、石巻線、気仙沼線、大船渡線、釜石線、山田線、三陸鉄道の【あの日】とそれからを追ったルポルタージュです。
決して忘れてはならない【あの日】、これらの路線で何があったのか……
「地震発生時の二○一一(平成二三)年三月一一日、午前二時四六分、東北四県の沿岸地域を走る路線には三一本の列車が走っていた。この非常事態のなかで、『乗客、乗務員に死傷者が一人も出なかった」という事実は意外に知られていない」
乗客と乗務員数は千数百人を超えていたなかでの、この奇跡と呼ぶしかないことがいかにして起きたのか、芦原さんはその検証から始めています。
緊急マニュアルに津波のことはあったのか……偶然乗り合わせた2人の警察官の判断で救われた人たち、マニュアル通りの避難路を行こうとする乗務員を止め、動かない方がいいと的確な判断をした元消防団員の判断……間一髪の跨線橋への避難で辛くも助かった駅員たち……車内で夜を過ごすための工夫の数々……。
偶然同じ車両に乗り合わせた人々の助け合う【あの日】の姿が記されています。
おびただしい被害、死者、行方不明者のなかで始められた復興への歩み、その歩みはどのようななかで始められたのでしょうか。
「被災地にはじめて行ったのは震災から一ヵ月ほど経った二○一一(平成二三)年四月のことだった。その時はまだ雪の降る寒さだったから感じなかったが、その後五月、六月と訪ねた時、港近くの瓦礫からは凄まじい異臭が漂っていた。それは冷凍庫が流出し、放出された冷凍魚が溶け出して腐臭を発したものだが、そこには人間や家畜の遺体が放つ異臭も含まれていただろう。潮の匂いに交じり、海からきて、荒涼とした廃墟のような町に漂う異臭は、地獄からの暗示のようでもあり、身につくと長く消えなかった。そうした形のない死と向き合い、人々は日常を暮らしはじめていた」
幾たびも被災地を訪れた芦原さん、復興への道を歩む街、そして鉄道。
それを見続ける芦原さんの耳にこのような声が聞こえてきます。
「鉄道が消滅するということは、日常が消えること。地域の希望が消えることだ」
「鉄道がなくなると、地域が孤島のように取り残されてしまう」
鉄道の持つ大きな意味合いを感じさせる言葉だと思います。
そして、死と向き合いながら進められている復興への歩み、誤解をおそれずにいえば、それはまた地方が生き残るためのひとつの姿を私たちに思い起こさせるものなのではないでしょうか。
レビュアー
編集者とデザイナーによる覆面書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。