運命的なものを感じた。
私はそれなりにITに詳しいふりをしていながら、アップル製品をひとつも持っていないんだ、じつは。
それを知った友人・知人はこう問う。なぜ、アップルを持ってないのか。この質問もそうとう無神経だと思うが、理由はないわけじゃない。
電子書籍の黎明期に、アップル・ストアに商品を置いてくれなかったからである。要は、アップルの殿様商売が、このオレ様にノーと言ったのさ。そういう人間が「誰がアップルなんかに金を使ってやるもんか!」と思ったところで詮ないことだろう。
ただ、アップル・ストアができる前から、アップルにお金を払ったことはない。オープンソース・ムーブメント(たとえば、インターネットの基盤技術はこれで構築されている)におおいに肩入れし、シンパシーを抱いたりしたのも、アップルとはその思想において真逆だったからだろう。要は、思想的にも好きになれなかったんだろうな。
いずれにせよ、アップルはキライだった。
ことに近年は、iPhoneの世界的なブームもあって、「よくわかんないけどアップル」な連中が増えた。スターバックスでコーヒー注文してマックを開くとカッコいい、と考える浅薄なやつらだ。
なるほどドヤ顔ってこういう顔のことね。そう教えてくれたのも彼らである。
ただね、本当はそういう連中を山ほど生み出せる会社や製品がすごいんだよ。
ガソリン車をはじめて作ったのがダイムラーさんだなんてことと関係なく、ベンツは人気車たり得ている。ウンチクが愛されているわけではない。製品が愛されているのだ。アップルも同じ。ウンチクの力を借りているうちはホンモノじゃない。
本書は言わずと知れたベストセラーであり、間違いなく20~21世紀の偉人に数えられだろうスティーブ・ジョブズの伝記である。たぶん、読者のほとんどがファナティックなアップル・ファン/ジョブズ・ファンだろう。そうでない自分のような人間が読むこと、それ自体に運命的なものを感じてもおかしくない。要は、読めと言われないと読まない本なのだ、これは。
そんな筆者にとっても、ジョブズは魅力的な人間だった。
世のエンジニアの多くがセンスをまるで持ってない愚鈍な理屈屋であることを目にすると、いよいよ彼のセンスは光る。
たとえばそれは、「アップル」という社名によく現れている。いやでもビートルズを彷彿させると同時に、さまざまなイメージを含有した言葉。これを選択するセンスって本当に凄い。
いいかい、MicrosoftとかIBMなんて名前は、誰だってつけられるんだよ。アップルはそうじゃないんだ。
でも、昨年オランダに開校したという「スティーブ・ジョブズ学校」はいただけない。それは、彼の伝記たる本書を読んだ者なら誰でも感じるんじゃないだろうか。
ジョブズは偉大だ。でもそれは、学校をドロップアウトしてインドを旅したとか、若くして子を作ったとか、他人を排撃するエキセントリックな男だったとか、あんまり芳しくない評価と同居している。
それらは教育できることじゃないし、かりに教えられたとしても子供に授けることじゃない。ジョブズはこれらの特徴あってあの人格たり得たのだ。学校とジョブズは永遠に相容れることはない。
本書を読むと、そのことがよくわかる。これは、現代においてもっとも偉大な人間の生涯を綴った一大叙事詩である。
レビュアー
早稲田大学卒。書籍編集者として100冊以上の本を企画・編集(うち半分を執筆)。日本に本格的なIT教育を普及させるため、国内ではじめての小中学生向けプログラミング学習機関「TENTO」を設立。TENTO名義で『12歳からはじめるHTML5とCSS3』(ラトルズ)を、個人名義で講談社ブルーバックス『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの?』を出版。「IT知識は万人が持つべき基礎素養」が持論。2013年より身体障害者になった。