この本によると、雑誌『オリーブ』は1.初期のアメリカ礼賛時代、2.付属校文化とリセエンヌ文化の共存時代、3.ナチュラル&カルチャー時代、という三段階で変化してきたそうです。
私はこの中の2の時代から読み始めましたが、確かに後に若乃花と結婚した栗尾美恵子さんのことは鮮明に覚えています。でも、当時は四国の中高生だったので、東京に付属校文化があるということにはそこまで気をとられておらず、リセエンヌ文化のほうを読み込み、その後の3.ナチュラル&カルチャー時代に自然についていったくちです。
酒井さんによると、2.付属校文化とリセエンヌ文化の共存時代には、東京のイケてる高校生たちは、自分の女子高生という属性を自覚していたと言います。これは、その後に一般化する女子高生ブームなどにつながっていったのではないでしょうか。
そして、当時は、都内のイケてる私立高校の女子たちがたくさん『オリーブ』に出ていたそうです。そうです、というのは私の記憶があいまいだからですが、そんな、当時『オリーブ』に出ていた本物のオリーブ少女たちに、この本ではインタビューする「元オリーブ少女の面接時間」というコーナーもあります。
そのコーナーによると、実際に私立に通っていたオリーブ少女のひとりは、実はあんまり真面目な「オリーブ少女」ではなく、「ひらひらでフワフワの服とか、やりすぎの髪型とか、とにかく何事もやりすぎている感じがダサいと思っていました、心から」というではありませんか! 『オリーブ』のファッションリーダーは、「オリーブ少女」じゃなかったという告白は面白くもあり衝撃でもありました。
また、当時の『オリーブ』は、「東京が最もイケてる」という価値観もあったそうです。そこは私も覚えていて、広尾のF.O.B COOPなどにはいつか行かなくては! と思いながら誌面を見ていた記憶があります。実際に上京した後、広尾でこんなところにお茶できるところが! と思って入ったら、後で考えたらそこがF.O.B COOPでした。
さて、「オリーブ少女」のリーダーは私立校の女の子だった、ということと、東京がイケてる、という条件を見て思い出したのは、なぜか今のファション誌『VERY』のことでした。『VERY』には、私立校かどうかはわからないけれど、階層的にイケてるであろう都心の主婦が、その属性は自分でもイケてるということを自覚していて、また、東京がイケてるという価値観も根強いように感じます。現に今月号でも、広尾、代沢、芝浦、中之島などがフィーチャーされていました。
『オリーブ』と『VERY』がつながっているとはもちろん思ってはいませんが、中期の「オリーブ」の中にはほんの少しですが、『VERY』的な要素もあったのだなと思ったのです。それは同時に、女性誌には、こうした「この雑誌を読んでる私はイケている」と思わせることや「東京にはキラキラした文化がある」という要素が普遍的に必要で、それ無しでは成り立たないということでもあるのかもしれません。もちろん、その「イケている」ということは時代によって変わっていくので、それをどう掬い取っていくのかも女性誌には大切なのでしょうけれど……。
レビュアー
1972年生まれ。フリーライター。愛媛と東京でのOL生活を経て、アジア系のムックの編集やラジオ「アジアン!プラス」(文化放送)のデイレクター業などに携わる。現在は、日本をはじめ香港、台湾、韓国のエンターテイメント全般や、女性について執筆中。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)、共著に「女子会2.0」(NHK出版)がある。