TED(Technology Entertainment Design)のプレゼンテーション大会(TED Conference)で賞賛されたアーティスト、エリック・ウォールさんが初めて書いたビジネス書がこの本です。エリックさんは即興で絵を描きながら自分の考えを聴衆に訴えかけるという斬新なプレゼンテーションの方法を編み出した人です。
「ビジネスの知性と芸術の直観、企業のセンスと創造的感性のどちらも組み込んだ新しい分野に挑んだのです。この点を納得してもらうため、プレゼンテーションの間にステージでキャンバスに即興で絵を描いています。アート作品によって、私の考えを目に見える形に表現しているのです」
というように、なによりもエリックさんのプレゼンテーションを〈見る〉のが肝心だと思います。これはYouTubeで見られます。ぜひこれを見ながらこの本を読んでみてください。
エリックさんのこの本は精神(狭い意味でのビジネス精神を超えて人間としての精神です)のストレッチのようなものではないかと思います。仕事に創造性を生かそうというのは以前からも主張されていました。でも、それができなかったことを正面から解説したものはなかったのではないでしょうか。創造性を求めるほうの立場からのみ要求し、実現されないのは受け手の問題だとされてきたのではないでしょうか。要求者自身がどこまで創造性ということをわかっていたのでしょう。想像にはリスクが生じます(時にそれは破壊的ですらあります)。要求者はリスクをとることを考えないで創造性だけを要求していたのではないでしょうか。
このことをエリックさんは「データにとらわれない」「「やる前」に許可を求めず、「やった後」で許しをもとめる」「肩書きをすてる」「結果を捨てる」「挑発する」という話の中で伝えようとしています。これらはなによりも、子どもの持っている自由なとらわれのない精神を取り戻そうということにほかなりません。
子どもはみな芸術家(アーティスト)だという言葉もしばしば耳にされたことがあるのではないでしょうか。それを取り戻すことが始まりなのです。この本にはアインシュタインやピカソ、ジョブスたちの話が数多く紹介されています。どれもが創造性にとって必要な好奇心の大切さを教えてくれます。好奇心が創造性を生む元になるのです。
ではなぜその好奇心が失われてしまうのでしょうか。それは同調性圧力(環境圧力)というものだと思います。(KY圧力もある種の同調性圧力といえるかもしれませんが……)そのような環境圧力に負けないためにエリックさんはアーティスト宣言をしているのだと思います。
エリックさんのいう〈アーティスト〉とはなにも特別な才能の持ち主というわけではありません。
「私は、この世の中のすべての人に、自分のことをアーティストだと思っていただきたいのです。左脳しか持たない人に私は一度も出会ったことはありません。「アーティスト」という称号は肩書きなどではなく、「人間」と同じ意味なのです」
結果をおそれず自分の感じていること・信じていることに夢中になること。「思う・考える」ということにとらわれず「思わない・考えない」ことを恐れないこと、だれもが持っている創造力はいつも解放されることを待っているのです。
ところで、この本の最後に近いところで紹介されたチェスタートンのエピソードは笑ってしまいました。
「世界を悪くしているものはなにか?」
というアンケートにチェスタートンはこう答えます。
「拝啓 悪いのは私です。 敬具」
と……。さすが推理小説『ブラウン神父』シリーズや 『木曜日だった男』 、『正統とは何か』等を書いた人だと思いました。一読して笑い、そして一考するエピソードです。
レビュアー
編集者とデザイナーによる覆面書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。