政治家っておもしろい
政治家は、みんなこういう本をだせばいいのになあ、なんて思った。とてもおもしろい。
石破茂の『保守政治家 わが政策、わが天命』を読んだあとで、つい「石破茂」とネットで検索してしまった。ちょうど数日前に石破氏は自民党総裁選に立候補すると正式に発表したところだった。5度目の出馬で、今回は“最後の戦い”であり、“38年間の政治生活の集大成”だという。だから当然ニュースに事欠かない。数時間おきに「こう言った」「ああ言った」「発言をちょっと調整」と、いろんな粒度の情報があぶくのように膨れては消えていく。SNSはもっと騒がしいだろう。
ここまで世間が忙しくなると、私はSNSからは距離を置いて、テレビも消して、情報源を新聞とラジオだけに絞る(2022年の夏頃から少しずつネットを避けはじめて、2024年の都知事選では一切見なかった)。
そして今回もそのつもりだった。総裁を選ぶ権利は私にはないし、次の衆院選の参考程度に誰が出馬してどんなことを発言しているのかザッと見るくらいでいいか、と。ところが本書を読んでしまったおかげで新聞が100倍おもしろい。「地方創生」や「防災省」なんて言葉の一粒一粒が、ちゃんと自分のものとして受け取れる。どちらも本書で石破氏が丁寧に論を張り、大切に扱っていた言葉だ。そう、政治家は言葉でできている。そして人間は言葉を信じられなくなると正気を保つのがだいぶ難しくなる。
700文字くらいの新聞記事や1分足らずのニュースからは、政治の一部どころか小指の先ほどの情報しか私は読み取れない。実はその奥には人間の仕事や姿勢、そして思想が隠れているのに。
で、普段は正気を保てなくなるから絶対にやらない「ネットで検索」も今回はやってしまっている。この本の答え合わせをしているようで楽しいのだ。
ということで、与党も野党も、党首候補の人たちにはぜひこういう本を出してもらいたいし、出せるものなら出してみてよ、と思う。言葉を信じさせてほしい。
とてもよい読書体験でもあったので、そのことも踏まえつつ本書を紹介したい。どの政党を支持していても、どんな信条でも、政治なんてどうでもいいよという人でも、読んで損はないと思う。なお電子版も出ているが、個人的には紙の本をおすすめしたい。よくしなる表紙が手になじんで、前のめりで読めるからだ。
保守とは「態度」
この本を読んでよかったことの一つは「保守」に対する私の見方を改められた点だ。石破氏は繰り返し「保守とは態度である」と語りかける。
保守というのは、本来、性急な変化を希求する「革新」に対してブレーキをかけつつ、今までの社会の良さを残しながら漸進しようというスタンスです。保守は、ですからあくまで「ありよう」や「態度」であって、そのものがイデオロギーではありえないし、一定のイデオロギーを前面に出して性急な変化を求めるのであれば、それはおそらく「右翼」というのでしょう。
だから私に対して人格攻撃的な批判を展開するような人々は、どんなに「保守」を自称しようとも、決して「保守」ではありえないのです。
そしてこのあと石破氏が展開するのは“自称保守”の人びとが口をつぐんでしまった北方領土関連の話題だ。ぐうの音も出ない。ちなみに“人格攻撃的な批判”については「いくら叩かれ慣れている私でも、あまり楽しい話ではありません」と率直に書いた上で、それでも口を閉ざさない自身の立場を静かに示している。
さらに「保守」と真っ向から対立していそうな「リベラル」についても、石破氏は次のように考えている。
政治家も、相手を尊重し、もしおのれに誤りありとせば正していく。少数意見を大切にし、国会では野党の質問にも丁寧に答える。それが保守のあり方です。
そしてこの意味においては、「リベラル」と「保守」とはきわめて近い概念だと思っています。「リベラル」は「保守」とは逆に、左翼勢力に標榜されることが多い言葉ですが、リベラルの本質もまた寛容性にあるはずです。(中略)だから基本的には、リベラルと左翼とはあまり関係はありません。
厳しいことを臆さず言うが、言葉を丁寧に扱い、聞く耳ももつ。議論と対話を重ねる石破氏の政治手法が感じられる一文だ。敵と味方に分かれて派手な取っ組み合いをするような政治と比べると、とっても地味で、気が遠くなる。
正直、前に進んでいるのか後ろに下がっているのか、何が決定されているのかわからないような閉塞感もある。でもその方が、少なくとも国を動かす場では「取り返しのつかないような大間違い」を起こす確率が低いと私は思う。そして「人も国家も間違えることがある」という事実と「なぜ間違えたか」の論考は、石破氏がこの本の中で繰り返し語りかけるポイントでもある。
“角栄先生”と“父”
本書は石破氏の政治家人生の原点についても大きく踏み込んでいる。キーワードの筆頭は「田中角栄」と「父」だ。とても個人的でナイーブなのにダイナミック。つまり物語として非常におもしろい。そしてそのおもしろさは「親しみが持てる」といった軽くてポップなものではなく、どこか重たい。TikTokで表現できるのだろうか(できないんじゃないかなあ)。
島根県知事を4期務め参議院議員となった石破二朗氏は「田中角栄のためなら死んでもいい」というくらい田中氏に心酔していた。この2人の絆は、単に「縁がある」では片付かないくらい深く、その濃密な関係は息子である石破茂氏に継承される。
興味深いのは、「政治家になってはいけない」という父の遺言を“角栄先生”がひっくり返して石破氏を政治の道にいざなう点だ。“闇将軍”こと田中氏と当時24歳の銀行員だった石破氏とのやりとりの生々しさといったら! 乱暴に一言でいうなら「父性の二階建て」だ。そして世襲政治への批判を世襲議員みずからが展開することのもどかしさと“まともさ”も本書で味わえる。
田中氏は「石破茂の父親代わり」となり、石破氏の結婚式ではこんなスピーチまで披露する。時は1983年。ロッキード事件のことを思い出しながら読んでいただきたい。
今振り返っても分不相応な、盛大な披露宴でした。角栄先生が親代わりで、主賓が当時蔵相を務めておられた竹下登先生でした。
妻の職場は丸紅でしたから、角栄先生が出席される結婚式に一体誰を招待したらいいか、相当議論があったようです。来てくださった丸紅関係者の皆さんは、角栄先生がスピーチで一体何を話されるのか、戦々恐々としていました。角栄先生は、先ほどの私とのエピソードをスピーチに織り交ぜてお話しになりました。「石破君にはもう決まった女性がいるという。誰だと聞いたら『丸紅の女性』だと。何っ? 丸紅? しかし、丸紅は良い会社だ。うん、私のことがなければもっといい会社だ」
こんな際どくもあたたかい祝いの席があるのか。そして石破氏が語る田中氏とのエピソードには、それが選挙であっても冠婚葬祭であっても「微妙な政局の襞」を感じさせる出来事がちりばめられている。
日米安保条約
本書でもっともショッキングだったのは「国防」に関する話だ。防衛大臣を務めた石破氏による国防と憲法九条へのまなざしにも“父”の痕跡が見てとれる。石破氏の政策スタンスは、扇情的でもなんでもなく、むしろ冷静なのに、私がそれまで想像もしなかったことが語られる。そして「なぜ私が想像もしなかったのか」を考えると、とてもショックを受ける。
石破氏は「角栄先生の対米自立の構えについて、再評価されてしかるべき」という種明かしのような前置きののち、次のように語る。
私は、日本はまだ真の独立国とはいえない、と思っています。日米安保条約の本質はその非対称性にあります。米国が日本を防衛する義務を負い、日本は領域内に米軍を受け入れる義務を負う。世界に米軍基地を置いている国は数多ありますが、条約上の義務として受け入れているのは日本だけです。義務として外国軍駐留を許している国のどこが独立国なのでしょうか。
この考えは「保守とは“寛容”であり“態度”」というメッセージと同じくらい、粘り強く繰り返される。やがて本書は後半に進むにつれ選挙演説のようなグルーヴ感を帯びてくる。
同盟とは、相手国の戦争に「巻き込まれる恐怖」と相手国から「見捨てられる恐怖」との相克の中で管理されるものです。我々はあまりにも長い間、日米同盟を基軸とすることに慣れすぎてしまい、日本人が自分で考えて政策選択することを放棄してきました。しかしこの先このままでは、効果的な抑止力の構築は難しいと思っています。
この考えのもと、石破氏の改憲に対する姿勢も本書では示されている。なぜ加憲案が「杜撰」であり、なぜ改憲が必要なのかが、草案とともに語られる。このあたりは演説や討論番組ではなく本でじっくり読めて本当によかった箇所だ。
文民統制と国防、そして国が独立しているとはどういう状態なのかが論理的に示されている。つまり石破氏は議論のカードを静かに切っているのだ。しかも頭の中をほとんど開示している。影響を受けた政治家、たくさんの書籍(本書は読書案内でもある)、近現代史の捉え方、そして自民党との関わり方。政治家ってなんておもしろいんだ!
もしも石破氏と異なる意見を持ち、改憲に反対するのなら、耳を傾け、そして論理的に言葉を返していく必要がある。
だからどの立場でも読んでおいたほうがいい本なのだ。なにせ、もしも憲法改正を問うときは、私も投票をしなければいけなくて、こればっかりは、なんとなくポップに選ぶわけにはいかないからだ。
レビュアー
ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。
X(旧twitter):@LidoHanamori