「その瞬間」を生き延びても
2024年8月、宮崎県沖でマグニチュード(M)7.1の地震が発生した。それを受け、南海トラフ巨大地震発生の可能性が平時より高まっているとして、臨時情報「巨大地震注意」が発表された。
ほどなくしてこの注意報は解除されたが、「この地震による巨大地震発生のリスクの上昇を判定するまでの期間は地震への警戒を怠らないようにしてほしい」……この呼びかけに「今できることはなんだろう?」と思いを巡らせた人も多いのではないだろうか。
そんな今だから、読んでおきたいマンガが『南海トラフ巨大地震』だ。
2025年2月11日、15時07分。和歌山南方沖で発生した震源の深さ10km、M9.2を記録する「南海トラフ巨大地震」に遭遇した主人公“西藤命(さいとうめい)”の目を通して、いつか起こる「巨大地震のリアル」を描きだす。
夢も希望もない日々を送っていた27歳の男性・西藤命は、名古屋港で「南海トラフ巨大地震」に遭遇し、居あわせた老人を助けようとして、津波に飲み込まれてしまう。
しかし、命はビルの屋上で意識を取り戻す。
一見、異常なく見える屋上と、背後で津波に流される家や車のコントラストにぞっとする。
なぜ命は、こんな津波から生還できたのか? 出張で名古屋に来ていた許斐結衣(このみゆい)と、プラントエンジニアの朝霞剛太郎(あさかこうたろう)が協力し合い、命と老人を救出してくれたのだ。
悲惨な状況だが、朝霞は言う。
え、これで?
そう、西日本の太平洋沿岸を震源とする「南海トラフ巨大地震」が発生した場合に最も危惧されているのは津波。太平洋側の各地で、東日本大震災の比ではない巨大な津波が起こりえるという。
名古屋港の場合は、地形の特徴からこれほどの高波が襲いくる事態にはなりにくいというが、それは「巨大地震の瞬間を生き延びれば、助かる」という意味では全くない。
本作は大震災を題材としたフィクションだが、それだけに「起きる地震の規模」「その瞬間、居あわせた場所」「地震の起きるタイミング」のすべてが、およそ想定できる範囲での最悪パターンという状況だ。
命(めい)くんのように、たまたま海岸付近で大地震に見舞われた場合は「難易度鬼・セーブなし」の避難が事前予告無しで開始され、しかもゲームオーバーはすなわち死を意味します。(高荷智也氏の解説記事より)
この本は、巨大地震の瞬間、幸運にも命を守ることができた「その後」に何が起こるのか、そしてそれがいかに過酷かを、命の目を通じて見せてくれる。
命を守る選択を
主人公の「命」という名には、最愛の母が込めた想いがある。
あなたは その命(いのち)を
何のために使うの?
その身に授かった“使命”は何かしら?
この言葉も影響してか、命はただ震災の現場に居あわせただけの、名も知らない老人を助けることにこだわり続ける。何度も大きな余震に見舞われ、海に流出した重油による「津波火災」に見舞われてもそれは変わらない。
多くの人が避難していた建物が、身動きの取れない彼らともども、なすすべもなく燃えていく……。
それが決して対岸の火事ではないことを目の当たりにしてもなお、自分の命を最優先にするということがぴんと来ていない様子もうかがえる。
一方、「自分は幸運だ、きっと何とかなる」と油断しがちな命を時に叱咤し、冷静な判断力と頭の回転の速さで避難の指揮を執る朝霞には、元陸上自衛隊隊員という経歴がある。
たとえば、火災避難の際はこんなちょっとした確認が生死を分けるという。
極限状態において、このような小さな確認を忘れず、パニックを起こさず、着実に行うために必要なのは知識だけではなく、経験や想像力、強靭な精神だ。それを備えた朝霞を主人公にすれば、ケガを負うことすら最小限に、大震災を生き抜くhow toを説くストーリーを作ることも難しくないと思う。
しかし、本作では現実的な判断を下す朝霞に、老人を救うために出来ることはないかと、命は何度も食い下がる。
読者目線なら朝霞の判断が正しいことはすぐにわかるが、これが実際に自分の身に起きたとき、私は迷いなく朝霞の意見に従えるか?と考えると自信がない。また、自分の命を優先する選択の直後に、ビルのドアを躊躇なく開け、あっさり命を失うかもしれない。
このマンガは巨大地震の現場では「ゲームオーバー、すなわち死」はすぐそばにあること、それを回避するにはどうしたらいいのかを、命と朝霞の行動の対比とリアルな災害の描写で私たちに強くイメージさせてくれる。
巻末には、備え・防災アドバイザーの高荷智也さんによる解説記事が掲載されている。
自分や家族が即死することを防ぐ建物対策・室内対策に加え、震災後にその場にとどまることで危険が増す場合の避難行動についても学ぶことができる。
大地震で倒壊した建物に押しつぶされた方、津波に巻き込まれてしまわれた方、大規模な火災から逃げ切ることができなかった方、こうした方々の声を聞くことができたら、どのようなアドバイスを得ることができるでしょうか。(中略)災害で命を落とされた方々の声をイメージすることで、本当に大切な対策が見えてきます。
本書を繰り返し読み、いつかの“その日”にどう行動するか、イメージを膨らませ、何度でも自分に問いかけたい。
レビュアー
ガジェットと犬と編み物が好きなライター。読書は旅だと思ってます。
X(旧twitter):@752019