AIが短歌をつくる、AIと短歌をつくる
2024年7月時点の生成AIたちはそれぞれ出力に特徴がある。とくに文章は「自然」であればあるほど「優秀」なんて言われたりするが、私はこの「(自然だから)優秀」という評価がものすごく好きじゃない。もっといい評価軸がほしい。
そして、あくまで現時点での話だが、AIが作った文章かどうかは読むとわかる。たとえばAIに1500~2000文字程度のビジネス文書の初稿を作らせ(一瞬で作ってくれる!)、そこから人間が最終稿を仕上げようとすると、独特のやりにくさがある。要件を満たし、整合性だってあるのに。個人的には大勢の人間と一緒に一つの原稿を仕上げるときの何倍もAI相手はしんどい。不思議でたまらないし、遅かれ早かれAIはもっと進化して私の小さな悩みなんて吹き飛ばす気もする。早くそうなってほしい。
1500文字で「人間じゃない」様子を見せてくれるAIは、31文字の言語表現でどうふるまうのか。「人間じゃない」ことが、恥や死と無縁のAIがものすごいスピードで作る言葉が、人間にとってかなり面白いんじゃないか。
『AIは短歌をどう詠むか』を必要とした理由はそこにある。AIに期待しているし、私が言葉に対して整合性以上のものを求めているのは明らかで、ではそれは何なのかを見つけたかったのだ。
本書の著者である浦川徹氏は自然言語処理(コンピューターが言葉を扱うこと)の研究開発をしている人だ。短歌を生成する「短歌AI」を開発し、ご自身でも短歌を詠んでいる。
ということで本書はテクノロジーと文芸の両方から「AI」を扱い、「短歌」のつくりかたも述べている。つまり、私たち読者である人間は、AIと一緒に短歌をつくりながら、AIのふるまいを見つめ、言葉を見直す。
短歌を好きな人や、技術者の人が読んでも面白いはずだ。もちろん「生成AIってなんなのさ」と遠巻きに眺めている人、そして私のように「生成AIがんばってよ」とジリジリしている人も楽しめる内容だ。
言葉ならではの難しさ
今となっては「ふーん」なんて言いながらAIが作る文章を眺めているが、AIが生まれて60年以上経過した現在にやっと文章をスラスラと作れるようになったことについて、本書と共に振り返りたい。
今ではあまりにも生活に溶け込みすぎてしまって意識することもありませんが、コンピュータはあらゆる情報を数値として扱っています。(中略)
すなわち、言葉もコンピュータが処理をするためには、それを数値として扱う必要があるのです。
画像ならば「この座標にある色は何番」なんて数値で表せるし、音声も周波数や音量といった数値をもつ。つまり数値として扱いやすいが、さあ言葉は? 浦川氏は次のように説明する。
言葉を扱う場合には、単純な数値の操作が効果を発揮することはほとんどありません。(中略)
言葉が文字という記号によって表され、その奥に複雑な意味や文脈を持ち、かつそれらが人間によって経験につくられてきたためと言えます。(中略)
コンピュータおよびその内部で実現されるAIが言葉を効果的に処理するためには、言葉の持っている「意味」や「文脈」を反映した数値表現を獲得する必要があるのです。
ここで登場するのが「ニューラルネットワーク」と呼ばれるAIだ。近年のニューラルネットワークは複雑なパターンを学習し、その学習をもとに、新しいデータ対して「つまりこう?」といわんばかりに特徴をつかむ。このニューラルネットワークが長年の試行錯誤の果てに洗練され、同時にコンピュータの性能が上がっていくことで、AIは言葉の近くにやって来た。
AIは、大量のテキストデータから言葉のつながりが表すパターンを学習することで、人間のように文章を生成する能力を身につけています。そうした文章を生成することのできるAIを「言語モデル」と呼びます。(中略)
言語モデルは、入力された文章の文脈に基づいて、次にくる可能性のある言葉を予測することができるのです。
「猿も木から?」と問われれば大抵の人間が「落ちる」と答えるのと同じようなふるまいをAIも身につけたのだ。本書の序章と第1章読むと、コンピュータとAIと言葉の関係、そして浦川氏が開発した「短歌AI」の概要がつかめるはずだ。
創作のために型を身につける
浦川氏が短歌AIを作っていくさまは、短歌を作ってみたい人間の好奇心をかき立てる。最初の一歩は「型」だ。まずは「五・七・五・七・七の定型をなるべく満たす文字列を生成する」こと。そして日本語の「音」を理解すること。これらの型をもとに、短歌AIはこんな歌を作る。
画面では表示されないバーコードセグメントを非表示にできる
まぶしくて見ていてつらい夕焼けの空のまにまにオレンジの花
うーん! 浦川氏も「果たして短歌と呼んでいいのか」と厳しい評価。いや、短歌の超初心者の私もこんな歌をウッカリ作っちゃいそうだけど……でもなんだかなあ。浦川氏は次のように分析する。
日本語の音を理解しながらの生成に関しては、いまだ改善の余地が大いにあります。(中略)字面だけでは追えない、AIでは容易に扱えない日本語の音から、この音に対する感覚を長い間保ってきた私たち人間の潜在的な力も見えてくるようです。
そう、音。ここで私が本稿の冒頭でぶつくさ書いた「AIの文章はわかる」の原因のひとつを見つけた。今のAIが作った文章を音読すると、なんとなくヘンテコなのだ。
こんなふうに本書は「AIができること」と「人間だからできること」を繊細にほぐしつつ、短歌の世界に入っていく。
俵万智さんの短歌を学習
短歌AIの成長は、短歌をつくる私たちの成長とも重なる。そしてAIならではの課題も浮き彫りにする。たとえば「学習」だ。
言語モデルをよりよくするための学習には、大量のテキストが必要だ。じゃあその大量のテキストは、どこからもってくる?
無作為にまた作者に許可を取ることなく、人間がつくった短歌を収集して、言語モデルの学習に利用するという行為は、現行の法律や研究という範囲では許容されるかもしれません。しかし、実際の応用を考えると、たとえば「学習データとほぼ同じ短歌が生成された時にどうする?」「許可なく自分の短歌が学習に使われていたらどうする?」といった、創作における著作権やモラルの点で、課題があり、また躊躇(ちゅうちょ)するところがあります。
これは世界中で議論されているテーマだ。あらゆるAIがぶつかる問題だが、幸運にも短歌AIはすばらしい「先生」に恵まれる。歌人の俵万智さんだ。ある日、縁あって浦川氏は俵さんに短歌AIのデモンストレーションを披露することになった。すると……?
「今日がここ十年でいちばん緊張しています」と告白してからの開始となった打ち合わせでしたが、ご本人に〈短歌AI〉をお見せするととても興味を持っていただき、なんとそれまで出されている全歌集を学習データとしてご提供いただけることになったのです。
なんて強力な助っ人だろうか。そして学習データの大切さが痛いほどわかるエピソードだ。俵さんのデータを学習した短歌AIの大躍進ぶりに、本を握りしめたまま「うわっ」と声が出そうになった。一部を紹介しよう。
俵さんのデータを学習した短歌AIは「万智さんAI」と名付けられ(もはや“別物”だから名前も分けられるべきなのだ。そして語呂がいい!)、疑似短歌だけを学んだAIを「短歌AI」と呼び、それぞれの実力を見ることに。
さあ、上の句「二週間前に赤本注文す」に、「万智さんAI」と「短歌AI」はどんな下の句を生成する?
入力:二週間前に赤本注文す
生成(万智さんAI):
この本のこときっと息子は
父は病気のことを書かねば
景色がふわっと広がって、いい「匂い」がする。万智さんAIいいじゃない。次に短歌AI。
入力:二週間前に赤本注文す
生成(短歌AI):
だが発送が遅れたりなど
さきに青本注文すすむ
別人、いや別AIだ。短歌AIについて浦川氏にくわしく解説してもらおう。
「普通な」短歌を生成していることがおわかりいただけるでしょう。「赤本を注文したけど、発送がおくれる」「さきに青本の注文がすすむ」……これではあまりに報告的、と言いますか、普通すぎる内容で、短歌の言葉から遠い、と誰しもが感じるのではないでしょうか。学習するデータが「ほんとうの短歌」になることで、言語モデルの生成も大きく姿を変えることが実感いただけたかと思います。
やがて万智さんAIは、俵さんご本人をして「これはやられた」と言わしめるような歌も作ってしまう。そちらについては、ぜひ本書を手に取って確かめていただきたい。
型を身につけ、語彙をふやし、さらに短歌ならではのテクニックである「(言葉を)飛ばす」すらも、浦川氏は短歌AIにプログラムしていく。そしてあらゆるステップで「人間ならこうなんだけど……」という壁にぶつかり、それと同時に、健気に少しずつハードルをクリアして短歌をもくもくと作り続けるAIに優しいまなざしも向ける。
浦川氏の研究の過程は、短歌入門でもある。つまり短歌AIと私は、やがてきょうだい弟子のような関係になるのだ。すると途中から「AIとのつき合い方」が気になってくる。ニューラルネットワークがひょいっと進化したのだから、ブレイクスルーはいつか待っているはずだ。「AIなんて全然だめ」なんて、私は口が裂けても言えない。でも同時に、この兄弟子(一応、浦川氏に先に会ったのはAIの方だから、兄としておく)と私は、敵対関係でもなんでもないなあと思うのだ。そんな奇妙な気持ちを第5章はしっかり受け止めてくれる。
言語モデルが生成できない言葉を生み出すということが、今後の短歌の創作において重要となるかもしれません。ただその一方で、「AIにはつくれない歌」ばかりを志向していては、創作は「AIとの勝ち負け」という狭い対立構造のなかにとどまり続けます。結局のところ、AIを利用しようがしまいが、これまでの歴史やいまある世界を理解した上で、これまでにない新しいあなただけの歌をつくる、ということに尽きる気がします。
短歌AIの挙動や成長過程を見ているつもりが、やがて自分の顔にぶつかる。地に足をつけて、一歩ずつ前に進みながら、AIと言葉、そして人間について考えることのできる本だ。
レビュアー
ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。
X(旧twitter):@LidoHanamori