刺激的な題名に好奇心をくすぐられた。副題のとおり、本書の舞台は17世紀のスペイン。「太陽の沈まない国」と評された時代を経て、徐々に国力を失い始めたころ誕生した王・フェリペ4世が本書の中心人物だ。彼の祖父は絶対君主制の代表的な人物として知られるフェリペ2世だが、その息子であり、父であるフェリペ3世は狩猟やカードゲームに明け暮れ、政治的手腕はからきしだった。
そんな父に似たのか、弱冠15歳で王となったフェリペ4世の治世も褒められたものではなかった。国政は寵愛する臣下に任せっぱなし。私生活では最初の妻との政略結婚後、20歳の時の伯爵令嬢とのスキャンダルを皮切りに、60年の生涯にわたり数々の女性と浮名を流したという。
この浮気な国王の放埓な宮廷生活はかなり弱年の頃に遡り、相手が既婚であろうと未亡人であろうとお構いなく、宮廷の侍女や、はては街角の娼婦にまでおよんだといわれる。おまけに修道女に熱を上げたという噂話まである。また芝居小屋へ足を運べば、そこで女優を見初め、言い寄ることもあった。王にとって事が性愛となると階級は存在しなかった。
まさにタイトル通りの奔放さ! あまりの熱心さに面食らってしまう。では彼が妻に見向きもしなかったかと言えば、そうでもない。王は多くの女性と恋を楽しんだものの、その関係はいずれも短かった。そして最初の王妃・イザベルとの間には7人の子を、二人目の王妃・マリアーナとの間には5人の子をもうけた。しかし大国同士の近親婚ゆえ夭折する者も多く、時に王は我が子の死を「余が神を怒らせたことによる自業自得が明白」と、信頼する修道女に告白していたという。自覚がある分、その苦悩は深かっただろうが、後悔をしても最期まで行動を改められなかった点を含めて、実に人間らしい人物だったともいえる。
若き日のフェリペ4世、ベラスケス作、プラド美術館蔵 c Wikimedia Commons
本書は、2003年に岩波書店より刊行された『浮気な国王フェリペ四世の宮廷生活』を改題し、文庫化したもの。今回の発売にあたり、あとがきが追加されている。21年前に出版された本ではあるが、本書でつづられる400年前の日々はまるで昨日のことのようにも読める新鮮さで、当時の人々と今の自分たちの暮らしが地続きであることを強く感じられる。
著者は石川県に生まれた。スペインのグラナダ大学へ留学したのち、アメリカのイリノイ大学大学院にて博士課程を修了した。その後、南山大学で教鞭を執りながら多数の論文を発表するとともに、スペインの文学や演劇に関する著書や訳書を多く出版した。現在は南山大学名誉教授となっている。
さて本書の魅力は、フェリペ4世の愛の冒険譚だけに留まらない。彼の人生を中心に、彼が生まれるまでと没後の歴史、つまり16世紀から17世紀末のスペインをめぐる政治や文化が「これでもか!」とばかりに詰め込まれている。特に当時の帝国としてのスペインを取り巻く事情を描いた第二部では、イベリア半島の政情と対外政策、当時の人口や社会階級制度、市井の人々の暮らしとカトリック教会との関係まで、広く網羅されている。その情報量の多さには時折溺れそうになったが、今まで知らなかったスペインが一気に流れ込んでくるようで、読み終わった後の満足感は高かった。
ちなみに政治家・フェリペ4世は無能だったが、他方では狩猟の達人であり、文芸や演劇など芸術の庇護者として名を残した。わけても絵画の分野においては、王室の財政を傾かせるほどのめり込み、多くの作品を収集したという。彼がパトロンとなって目をかけた中には、17世紀のスペインを代表する宮廷画家・ベラスケスもおり、王のコレクションは現在のプラド美術館の礎を築いたそうだ。もし彼が異なる時代や立場に生まれていたならば、また違った形で活躍できたかもしれない。
ディエゴ・ベラスケスの自画像、ウフィーツィ美術館蔵 c Wikimedia Commons
なお晩年のフェリペ4世がこぼした悔恨は、修道女との往復書簡で読むことができる。中でも響いたのはこの一文だ。
余は、今日できることを大変いやな思いで明日に延ばしてしまうことを、そなたに白状します。
ああ、気持ちがよくわかる! あまりにも人間らしく、王としては情けない限りだがまったく憎めない。ベラスケスの描いた立派な肖像画からは想像しがたい正直な言葉に、為政者に向かなかった王・フェリペ4世の姿を見た。
狩猟服姿のフェリペ4世、ベラスケス作、プラド美術館蔵 c Wikimedia Commons
レビュアー
元書店員。在職中より、マンガ大賞の設立・運営を行ってきた。現在は女性漫画家(クリエイター)のマネジメント会社である、(株)スピカワークスの広報として働いている。