独身の友人から急な連絡があった。「猫たちの面倒をみてほしい」。開口一番、電話でそう言われた私は、何があったのかわからず目を白黒しながら事情を聞いた。すると入院することになったという。長い付き合いの彼女の依頼をむげにはできない。ただこちらとしては猫より本人の容態を先に聞きたかったが、彼女にとっては自分よりも猫が上。病状以上に、えさのやり方から投薬の方法までを事細かに伝授された私は、しばらくの間、猫の即席お世話係となった。
そんな猫好きの愛の深さは、時代や場所をも超えて共通しているのかもしれない。全9章にわたる本書のトップバッターを飾っているのが、そう、猫である。
本書の各章は均等の長さを持ってはいない。猫と犬の章がとくに長いのは、何といってもこの両動物が古代エジプト人にもっとも親しまれ、もっとも愛されたからである。そしてまた、現代人が古代エジプト人のこの傾向を受けついでいるからである。猫の章はもっとも長いものとなっているが、その理由の一つは、私自身が猫愛好者であるということにある。
この告白からもわかる通り、著者の猫好きもかなりのもの。だがさらにその上を行く勢いで、古代エジプト人の猫への愛は強烈だ。彼らの関係は、およそ4000年も前にさかのぼる。
古代エジプト人が野生猫を飼いならして家猫としたのはいつであるかについては、二つの説が行われている。一つは中王国時代とし、他の一つは新王国時代とする。前者をとれば、前二〇〇〇年ごろとなり、後者をとれば前一六〇〇年ごろとなる。しかし、いずれの説もくわしくその根拠を示していない。少なくとも私の知るかぎり、そうである。
その上で著者は「私自身は中王国時代説を採る」として、発掘された遺跡や資料を示しながら、古代エジプトにおける猫と人との関係と、猫が神格化されていった過程、そして猫の死にまつわる驚きの慣習と罰則を語っていく。鼠と対峙しながら暮らしていた古代エジプト人にとって、家猫となった猫は欠かせない「生活同伴者」となった。
1921年に生まれた著者は、東京外国語学校(現・東京外国語大学)仏語部を卒業後、1955年から朝日新聞社の特派員として2年間エジプトに滞在したことをきっかけに、古代エジプトの研究や翻訳をてがけるようになる。その後多くの著作を刊行し、1991年に亡くなった。その著作のうちである本書は、文藝春秋社から1984年に出版された『古代エジプト動物記』を改題し、解説を付けて復刻されたもの。古代エジプトに暮らした人々にとって、動物の存在がどういった役割を担い、どれだけの存在感を示していたのか。著者はその様子を多面的に描き出す。
序文では
宗教、政治、美術、動物学、考古学、文学、日常生活、生産、医療の諸側面から動物を見なくてはならず、なかなか難しい仕事であった。
と著者がこぼす通り、とにかく話題が幅広い。猫にはじまり本書に登場する犬や蛇、黄金虫(=日本名でタマオシコガネ、国際的には神聖黄金虫)、鰐(ワニ)が、それぞれミイラとして埋葬された話や、彼らにまつわる神話、物語も紹介されている。ちなみにライオンやエジプトハゲワシは、飼育していた個体数の少なさや環境の問題で、当時ミイラ化されても現代まで残ることができなかったらしい。そんな事情も本書で初めて知った。ぼんやりとしか知らなかった古代エジプトが、温度を持って、立体として急速に浮かび上がってくるようだった。
解説を担当された金沢大学古代文明・文化資源学研究所所長で、同大学新学術創生研究機構教授でもある河合望氏によれば、「現在でも本書のように古代エジプトの動物を扱った類書はなく、復刻版の意義は大きい」とのことで、著者の独自性が際立って見える。なお研究としては没後40年を経て進展した部分もあり、それらは河合氏の解説で逐一フォローされている。
くわえて、読みながら「年表と地図があるといいな……」と思っていたら、なんと巻末にしっかり収録されていた。気づくのが遅く、最初に目次を調べるべきだった!と頭をかいた。これから読まれる方は私の反省を踏まえて、解説と巻末を参照しつつ楽しんでほしい。
レビュアー
元書店員。在職中より、マンガ大賞の設立・運営を行ってきた。現在は女性漫画家(クリエイター)のマネジメント会社である、(株)スピカワークスの広報として働いている。