古代ギリシア世界に都市国家を築き、芸術・建築・哲学など、さまざまな文化を発展させた先進国アテネ。その代表的文化のひとつが、紀元前5世紀前後に発達したアテネ民主政である。その革新的な政治形態が、最も長く安定した時代はいつか? それは「古典期」と呼ばれる栄光の紀元前5世紀ではなく、紀元前338年、ギリシア連合軍が「カイロネイアの戦い」で大敗を喫し、アテネが大国マケドニアの支配下に置かれた終焉期だった……。本書は、世界史では見過ごされがちな「知られざる時代」に光を当てた、興味深い一冊である。
本書では、この時代のキーパーソンとして数人の政治家たちにスポットが当てられるが、なかでも主役級の登場人物として扱われるのが、デモステネスである。彼はマケドニア王フィリポスの脅威を早くから民衆に訴え、反マケドニア派の急先鋒として台頭し、「カイロネイアの戦い」では自ら兵士として戦場に赴く。しかし、戦況が厳しくなると武器を捨て、あたふたと戦場から逃げ出したという。それでも卑怯者として断罪されることはなく、アテネ民主政末期を支えた中心人物となった……。その一筋縄ではいかない人物像を、著者は生い立ちから晩年のキャリアまで、つまびらかに語っていく。毀誉褒貶(きよほうへん)の激しかった歴史上の人物に再評価を与えるという点では、時代小説的な味わいもある。
もともとデモステネスが反マケドニア/反フィリポス路線を打ち出したのは、決して「先見の明」があったからではなかった、と著者は冷静に分析する。当時のアテネでは若手政治家が自らの存在をアピールするために、ほとんど手当たり次第に攻撃対象や批判対象を国内外に見つけ、他とは一線を画す新鮮な政策を打ち出す必要があったのだとか。そんな「異議申し立て放題」「裁判起こし放題」ともいうべき血気盛んな政治状況にも驚かされるが、そこで独自路線を見出したデモステネスの運命もまた劇的である。
彼はこのとき、自らの成功の足がかりとして、いわば立身出世のためのコマとしてフィリポスを選びとったのである。その時点では、デモステネス自身も、このフィリポスというコマは、これまでの政治家たちがその時々で用いてきたペルシアやスパルタやテーベといった複数のコマのひとつに過ぎないと思っていたのだろう。
しかし、結果として、それは途方もなく巨大なコマであることがまもなくわかる。
とはいえ、デモステネスは口先だけのインチキ詐欺師というわけでもなかった。現実に大国化していくマケドニアへの対抗策にライフワークとして取り組み、すぐ逃亡してしまったとはいえ戦線にも赴き、敗戦後は内政の立て直しや戦後処理にも奔走するなど、有言実行の人でもあった。
市民たちも、民会や法廷におけるデモステネスの政治家としての振舞いと、戦場での兵士としての振舞いを区別していたようである。カイロネイアの戦場から逃亡したデモステネスが政治家としての信望を失わなかったのは、彼に対する告発がいずれも不成功に終わったことからも見てとれる。
戦勝国となったマケドニアは、アテネに対して意外なほどの寛大さを示した。他に類を見ない独自の文化を尊重するかのように、徹底した直接民主政を維持させた。それからの十数年間は、数年ごとに戦争に明け暮れていたアテネの歴史には珍しく、平和のなかで内政に集中できた時期でもあった……これを皮肉な状況と捉えるか、政治の真理を見出だすかは読者次第だが、著者はこの時代を「最期の輝き」として再評価する。
敗戦以降のパートでは「冠の裁判」や「ハルパロス事件」といった象徴的な出来事を取り上げ、デモステネスとは対照的な親マケドニア派の宿敵アイスキネス、優れた政治家/軍人として厚く支持されたフォキオンといった登場人物が交錯するドラマチックな人間模様を追っていく。その構成は『仁義なき戦い』のごとく、スリリングな実録抗争劇を眺めているような味わいもある。たとえば、前330年に行われたライバル同士の最終決戦、「冠の裁判」のくだりにはこんな描写が……。
そして、アイスキネスはすでに政界から引退していたのであるから、デモステネスにとって、もはや彼を政界から排除する必要はなかった。デモステネスが裁判の開始を企てたのは、現在の政治や政策とは関連のない、アイスキネスに対する個人的な敵意ゆえだったと見るべきだろう。
フィリポスの後をついだアレクサンドロス王は世界征服を目指し、東方遠征から帰って間もなく突然の死を迎える。それを機にアテネの人々は再び立ち上がるが、今度こそラミア戦争(前323~322年)で最期を迎えてしまう。だが、そこに至るまでの時代は決して「衰退期」などではなく、むしろ注目すべき時代であったと本書は強く主張する。それは、アテネの人々が民主政という独自の文化を、誇りをもって静かに死守した時代。その功罪を見つめることで、「歴史に学ぶこと」の大切さもまた痛感させる。
現存する史料には欠落も多く、またこれまで発表された膨大な研究資料には多種多様な仮説も含まれているが、著者はそれらを注意深く精査したうえで、約2300年前のギリシア世界に思いを馳せる。デモステネスたちの末路には諸行無常の悲哀も漂うが、その時代・その場所に確かに生きた人々の存在感も生き生きと感じさせる。
歴史上の出来事をただ「点」の連続として捉える教科書的な見方ではなく、ひと続きの「線」や「面」として時代を広範かつ細部まで見つめれば、時代のリアリティは格段に増す。それは紀元前4世紀のアテネが舞台でも可能なのだ、と本書は教えてくれる。
レビュアー
ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。