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2024.07.10

レビュー

町中華から超高級店まで、世界中の中華料理店をめぐった作家が見つけたものとは?

遥か昔から世界各地に進出し、たくましく生活の基盤を築いてきた華人たち。そのなかでも大きな割合を占めるのが、中華料理店の経営者や料理人を生業とする人々である。本書は彼らにスポットライトを当てた、読み応え満点のルポルタージュだ。

著者は中国系カナダ人の映像作家で、ドキュメンタリー『Chinese Restaurants』シリーズ5部作(2003~2005年)を手掛けた関卓中(チョック・クワン)。この本はその書籍化で、さまざまな国と地域で働く華人の生きざまと、彼らが生み出してきた“ご当地中華料理”の数々がディテール豊かに語られる。

タイトルにあるディアスポラとは、もともとパレスチナ以外の地に離散・移住したユダヤ人に対して使われた言葉。現在ではユダヤ人に限らず、故郷を離れて外国に暮らす民族(と、そのコミュニティ)を指して広く使われることもある。たとえば中国朝鮮族や、日系ペルー人なども一種のディアスポラといえよう。なかでも中華系ディアスポラの進出範囲は極めて広く、歴史も長い。

著者自身も香港に生まれ、少年時代はシンガポール・香港・日本を転々とし、1976年にカナダに移住したディアスポラの一人である。彼の興味は必然的に、同じように故郷以外の場所で生きる華人のアイデンティティー、彼らが辿ってきた紆余曲折、その矜持や人生観が少なからず反映された料理の味そのものへと向かう。

世界のどこに行っても家族経営の中華料理店は、移民、コミュニティ、おいしい料理の象徴である。こうした店が世界のいたるところにあって、見知らぬ土地に滞在する旅人、点心や北京ダック、さらには現地化された意外な中華料理を生み出す料理人らの集まる前哨基地のようになっている。新入りの華人にとって、その土地に溶け込む近道は、中華料理店を開くことだ。何しろ他国の人々には太刀打ちできない独特の仕事だし、合法的な移民か不法移民かを問わず、新参者の働き口になり、自立の手助けとなる。

全16章にわたって紹介されるのは、中東、アフリカ、中南米、さらに北極圏に至るまで、見知らぬ異国の地で独自の道を切り開いた中華料理店の経営者たちである。彼らはいずれも多種多様な家族史と個人史、移住理由の持ち主だ。自由を求めて海外に飛び出した者、不毛なイデオロギー闘争に背を向けた者、豊かな生活を夢見て苛酷な生業を選んだ者……その多くは華人としてのアイデンティティーを守り、同胞同士で支えあう。保守的な部分もありながら、それが外地で生き残る知恵でもある。なかには人種の壁や婚姻制度などにはとらわれない生き方を実践する者や、旧世代の価値観とは明らかに異なる若者世代もいて、その意識のあり方も様々だ。生き方と料理、その多様性が面白い。

伝統的な中華料理の手法に地元産食材を組み合わせ、今風の言葉で言うフュージョン料理を生み出すことは、世界中の中華料理店で決して珍しくない。とはいえ、アフリカで熱々の蒸しスープとは? この類まれなる体験は、今も記憶から消えることがない。

本書には数多くの美味しそうな料理の描写が登場するが、たとえば下記の場面の舞台がどこか、即座に言い当てられる読者は少ないだろう。「まさかこんな場所でこんな本格中華が食べられるなんて!」という著者の驚きも、この本の見どころである。

蝦餃(ハーガオ/海老蒸し餃子)は、透明感のある皮から中に詰まった海老が透けて見える。叉焼包(チャーシューパオ/叉焼まん)は、ふんわりとしていて蒸し立ての熱々が味わえる。汁鳳爪(シーチャプホンジャウ/鶏足の豆醤〈トウチジャン〉蒸し)は皮までこってり、しっとりしている。牛肉丸(ガウヨッユン/牛肉団子)は香辛料が絶妙だ。そして何よりも重要なポイントだが、頬張るとほろほろと崩れていく柔らかさが自慢だ。
だが、ハイライトは豆腐花(ダウフファ/豆花)だ。つるんとなめらかな口当たりで、毎朝、木桶で蒸して作る伝統製法を採用し、温かい豆腐に氷砂糖シロップをたっぷり添えて提供する。香港以外の地でこれほどおいしい豆腐花を食べたことがない。とびきりの絶品である。

正解はカリブ海の島国、トリニダード・トバゴ。著者はその感動を「香港から何千キロも離れた地で、今までで最高水準の点心と実感した」とまで評する。華人としての、料理人としてのプライドを示すような場面だが、もっとフレキシブルに「現地の状況に順応した」スタイルを獲得した料理人たちも多く登場する。

第7章に登場するマダガスカルの港湾都市タマタブの「レストラン・ル・ジェイド」は、著者が「香港のトップクラスの店と比べても遜色ない」と太鼓判を押す高級店である。だが、マダムのミデイ・チャンは一度も中国や香港に行ったことがなく、料理は父からの教えと、香港の有名な料理本から学んだと言って著者を驚かせる。厨房で働くスタッフも、本場仕込みではない。

「誰も本物の中華料理は食べたことがないんです。上手に料理するのに必要な本物の味を知らないんですね。中には、ほんの2、3ヵ月でコツをつかむ優秀なスタッフもいます。正式なやり方なんてありません。私を見て覚えるんです」

各章に登場する人物はいずれも個性豊かで、さまざまな思いが交錯する人間ドラマとして読んでも面白い。特に、アルゼンチンのブエノスアイレスで「故郷という概念を見失った」71歳の老人と出会う第15章は、まるで映画のようにドラマチックで、哀愁に溢れている。

また、中国人ディアスポラにまつわる歴史的・文化的知識は、日本人の多くが知らないことばかりだろう。カナダの厳しい移民制限をすり抜けるため、すでに亡くなった人間の身分を装って“ペーパー・サン(書類上の息子)”として海を渡った移民たちの存在。中華民族の中でも特に国外離散が多い集団として知られる客家(はっか)の伝統と結束。国共内戦が移民たちにもたらした影響。六七暴動(=文化大革命の影響を受けて1967年に起きた香港左派暴動)のあと、北欧の海運会社が移民希望者に図った便宜など、中国史に興味を持つ人は必読の内容である。キューバを舞台にした第10章に登場する、特定の氏族によって運営されるコミュニティ「龍崗総公所」の存在にも驚かされること請け合いだ。

さて、本書でひときわ強烈に“中華パワー”を感じさせるのが、ペルーが舞台の第16章である。なんとペルー国内には2万~3万軒の中華料理店があり、中華以外のレストランの合計数を上回るほどだという。なお、現地では中華料理ならびに中華料理店のことを「チーファ」と呼ぶそうだ。

ファビオラが言うように、チーファは、レストランだけでなく、料理自体も指す言葉だ。中華料理とペルー料理を調和させた料理であり、スパイスも食材も料理法も融合している。他の国々では中華料理を「エスニック」と捉えるが、ペルーは違う。チーファはペルー人の食生活に深く根付いていて、それ自体がペルー料理になっている。実際、ペルーが中華料理を“国有化”し、自国のものにしてしまったと言っていい。

ここで思い当たるのが、日本の“中華料理”だ。ラーメンやニラレバ炒め、天津飯や冷やし中華といったメニューは、日本人の好みに合わせて、本場の中華料理とは異なる進化やアレンジが加えられた“和製中華”である。それらは現在、日本人が最も慣れ親しんだ庶民的外食メニューと言っていいだろう。今回、日本版だけの書き下ろしとして、横浜育ちの著者による興味深い考察が終章として加えられている。これも、中華料理の恩恵を一度でも受けた日本人ならぜひ読んでほしい内容である。

近年は“本場の味”を求める日本人も多く、中国人も納得の中華料理を提供する場が身近に増えつつあり、それはそれで食いしん坊としては非常に歓迎すべきことだ。ただ、日本の和製中華も、ペルーのチーファも、その国の食文化としてすっかり定着してしまった今、そう簡単に滅びることはないだろう。そのどちらも受け入れ、味わうことが、真に国際的で多様性のある社会といえるのではないだろうか。

本書を読めば読むほど、世界各地で独自のスタイルで生き残る中華料理、そして世界のどこであろうと生き延びる人間の生命力への興味が、否応なく湧いてくるはずだ。つまり、読者にも国境を越えさせる力を持つ一冊である。

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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