複雑にして濃密。それが台湾の歴史である、と著者は言う。
本書は若林正丈『台湾――変容し躊躇するアイデンティティ』(筑摩書房、2001年)の増補版だが、その内容を出版社側が再吟味したうえで、今回のタイトルに改題されたという。読むと確かに、まさにいま「台湾の歴史」について知りたい人には最適の一冊となっている。
かつては先住民族のみが暮らしていた台湾島に、漢民族が移住を始めたのは17世紀のこと。まずオランダ東インド会社が台湾南部を植民地・通商基地として統治し、続いて「反清復明」の旗を掲げて水軍を率いた鄭氏が進出、それを倒した清朝が統治を引き継ぎ(この時期に漢族移民の人口は10倍に膨れ上がったとか)、さらに日清戦争に勝利した大日本帝国が植民地として支配した。太平洋戦争で日本が敗北したあとは中華民国の領土となったが、国共内戦で共産党軍の猛攻から逃れてきた国民党が台北に臨時政府を置いたため、中華民国=台湾となって現在に至る。つまり「外からの侵略」に翻弄され続けた400年だったわけだ。
漢族優勢社会となった現在の台湾が形成されるまでの道筋は、かように短くも波瀾万丈である。もちろん、マイノリティに追いやられたとは言え、17世紀以前からこの地に住み続けている先住民族(台湾原住民)の存在も忘れてはならない。映画『セデック・バレ』(2011年)の題材にもなった霧社事件……1930年に起きたタイヤル族による日本人襲撃・武装蜂起事件についても本書では語られる。ただ、台湾原住民は文字を持たず、明確な歴史記録が残されていない。そのため本書では17世紀以降の近現代史が、現在につながる「台湾史」として語られる。台湾原住民について詳しく知りたい方は、『台湾原住民研究への招待』(日本順益台湾原住民研究会編、1998年、風響社)などの文献を当たっていただければと思う。
その位置や地形から、本書では「海のアジア」と「陸のアジア」の「気圧の谷」という表現も用いられる台湾。地政学的見地から国際的緊張関係をはらんだ要衝と見られることも多い。米中の対立構造に巻き込まれている点では、朝鮮半島の立ち位置に近いとも言えるだろう。その政治的歴史もどこか似ている。
台湾の歴史を一気に複雑化したのが、もともとは「よそ者」だった中華民国の存在だろう。よく台湾史について触れると「本省人」「外省人」という言い方が出てきて混乱させられることがあるが、本書ではそのあたりも分かりやすく説明されている。
この訓令(引用者注:1946年1月発布の「台湾住民の中華民国国籍回復」を告げる国府行政院訓令)で中華民国国籍を回復した男女およびその父系の子孫が本省人、それによらず中華民国国籍を所有しており台湾に居住する男女およびその父系の子孫が外省人ということになる。日本統治下の「本島人」は中華民国統治下の「本省人」となったわけである。本省人と外省人の関係は、法的にはここからスタートしていることになる。その関係が、二・二八事件とその後の外省人の大量移住で台湾の多重族群社会における新たな、最もインパクトの強いレベルの族群関係となるのは、まもなくのことである。
本省人と外省人の間には、言語の壁もあった。もともと台湾の漢民族はローカルな南方語である台湾母語(福佬語、客家語)を話し、植民地時代には日本語教育が徹底されていた。それが今度は北京語を基礎として作られた中国標準語の徹底的普及を要求され、その言語的ハンデが若き本省人エリートの社会進出を阻みさえしたという。
1947年、外省人統治の腐敗と横暴に、本省人の怒りが暴動となって爆発した「二・二八事件」が発生。そして、蒋介石率いる国民党政府による本省人知識階級への容赦なき弾圧・粛清が始まる。その悲劇は、侯孝賢監督の映画『悲情城市』(1989年)で描かれるころまで長年タブーであり続けた。その後も一党独裁体制のもと、50年代には反共摘発キャンペーンを名目とした「白色テロ」が継続する。政治の場でも、地位が高くなればなるほど本省人の存在は弾き出された。これらの暗い歴史は、現在の台湾の姿からは想像もできないかもしれない。
「白色テロ」はまた二・二八事件に踵を接して行われた「恐怖による政治教育」でもあった。政治を危険なものと見なし、有効な反抗は無理であると見る態度を、台湾住民は身に付けざるを得なかったのである。恐怖と相互不信が人々の日常生活における政治関係の基調となってしまった。
現在の日本人が抱える政治的無気力を考えると、あまり他人事とは思えない。ただ、日本の場合は厳しい弾圧などは加えないまま骨抜きにする技術が発達しているせいか、自ら「暗黙の了解」に従ってしまう国民的性格のせいか、従順ぶりがより不気味に感じられることもある。
本書で最も熱量高く重点的に語られるのが、1980~90年代にかけての台湾国内政治における激動の時代。1986年には戦後初めての野党「民進党」が誕生し、1988年に蒋経国(蒋介石の息子)が死去すると、本省人の李登輝が総統職を引き継ぎ、積極的に民主化を推し進めた。1996年には初めての直接選挙による総統選が行われ、2000年にはついに政権交代が実現する……その過程は実にドラマチックである。今回の増補版では、2020年1月までの総統選挙にスポットを当てた補説「総統選挙が刻む台湾の四半世紀――なおも変容し躊躇するアイデンティティ」と、台湾の現在と未来を展望する短めのコラム「『台湾は何処にあるか』と『台湾は何であるか』」が追加されている。
「総統選挙が刻む台湾の四半世紀」では、総統選挙の詳しい解説とともに、台湾の人々の選挙に対する意識の高さも示される。日本の絶望的な投票率の低さを思うと非常に羨ましくもあり、きっと投票システムも全世代が参加しやすく整備されているのだろうなと考えると、意外にも不便の極みだったりする。
台湾では戸籍地での投票が義務付けられ、期日前投票、郵便投票、不在者投票、在外公館投票などが一切認められていません。また、有権者は必ずしも戸籍地に住んでいるわけではありません。そのため、選挙の前日や選挙当日の朝、有権者の大移動が発生します。学生や若者の多くは戸籍を故郷に置いたままなので、ハイウェー・バスや新幹線などは大混雑になります。
それでもみんな選挙に行くのだ。投票のために飛行機で戻ってくる海外居住者もいるという。余計に意識の高低差を思い知らされるが、そんな台湾人の積極的政治参加意識のなかにある「願望」「台湾アイデンティティ」についての本書の分析も興味深い。それにしても、韓国もそうだが、やはり国民の総意として社会全体を変えた経験のある国は、強い。
海峡を挟んで睨み合う中華人民共和国の脅威は、現在進行形で増している。2024年1月に台湾総統選挙を控えた現在、本書はリアルタイムの緊張感を読者に与えつつ、我々が思っている以上の台湾人のたくましさも教えてくれる。痛ましい過去の歴史を経て、進歩的で成熟した民主国家として歩み続ける努力を怠らない台湾の姿勢からは、日本も学ぶところは多いはずだ。
レビュアー
ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。