まさにタイトルの勝利。これは思わず手に取らざるを得ない。そして実際に読み始めると、「裏切り者」という言葉の意味を改めて考えさせずにおかない、なかなかに奥深い一冊である。
春秋時代から明末清初にかけて、約2500年にわたる戦乱の中国史に綺羅星(きらぼし)のごとく登場した「裏切り上等」な登場人物たち。そのラインナップは実に濃密かつ刺激的で、中身もさまざまだ。
たとえば第一章に登場する伍子胥(ごししょ)は、家族を殺した主君を討つべく敵国に身を投じる執念の復讐者タイプ。第二章には、相手かまわず有力者に自分を売り込んで立身出世を図った蘇秦(そしん)のような流浪の策士タイプが多数登場。第四章の主人公は「三国志」の愛読者にもおなじみの軍師・司馬懿(しばい)。諸葛亮と火花を散らした冷静沈着かつ粘り腰の策略家だ。そして第八章で取り上げられる呉三桂(ごさんけい)は、さらわれた恋人を奪い返すべく敵国に援軍を求めるという、まさに目的のためには手段を選ばない激情型である。
なかには裏切り者と呼ぶには少しためらってしまうようなケースも見受けられる。たまたまモラルや忠誠心が薄く、代わりに人並外れた激情的気質やサバイバル本能を持つ人物が、戦国の世に一旗揚げようとすれば……結果的にそれは「裏切りの軌跡」に見えてしまうかもしれない。そういうタイプの人物像は、けっこう現代社会にも遍在するのではないだろうか。
一方で「これぞ裏切り!」といえる問答無用の悪人も、もちろん登場する。第三章で取り上げられる秦の宦官・趙高(ちょうこう)はその筆頭だ。始皇帝が旅先で死んだ際、その遺書を趙高が握り潰し、権力の座を奪うくだりは特に強烈である。このとき旅に随行していた丞相・李斯(りし)、始皇帝の末子・胡亥(こがい)は、後継になるはずだった長男・扶蘇(ふそ)を陥れる残酷な陰謀に巻き込まれる。
趙高は胡亥を説得し、しぶる李斯を説き伏せ、周到に陰謀をめぐらした。かくして三者共謀のうえ、李斯が始皇帝の命を受けたと称して、胡亥を太子に立てる一方、趙高は扶蘇あての遺書を破棄し、まったく異なる内容の詔勅(しょうちょく)を偽作した。それは、父を非難した扶蘇、および強情な扶蘇の矯正をまかされながら、その任務をまっとうできなかった将軍蒙恬(もうてん)に、自殺を命じるというものであった。
(中略)
始皇帝が沙丘で死んだのは夏の盛りの七月であった。このため、咸陽に帰還するまでの一ヵ月あまりの間に、死体が腐敗し、死体を乗せた轀涼車(おんりょうしゃ)から悪臭がたちのぼった。これをごまかすため、趙高らは始皇帝の命令と称して大量の塩魚を轀涼車に載せたという。文字どおり、胸のわるくなるようなグロテスクな話である。
陰謀を魚の匂いで彩る上記のサイドストーリーもおどろおどろしいが、共犯者にさせられたあげく、壮絶な極刑に処される李斯の末路もすさまじい。始皇帝の懐刀(ふところがたな)といわれた李斯も、もともとは秦の敵国だった楚の出身。いわば趙高との「裏切り者対決」という雰囲気もある。
その陰惨さとはまるで違ったムードを醸し出すのが、第六章に登場する安禄山(あんろくざん)。知力・体力・戦闘力を兼ね備えた巨漢の武将で、唐の国王・玄宗の前では徹底して気のいい道化を演じ、出世街道を驀進した人物……そんな彼がなぜ王朝に反旗を翻(ひるがえ)すに至ったか? その劇的過程と、人間味あふれるキャラクターが実に魅力的だ。玄宗や楊貴妃の前で赤子のフリまでしてみせる恥の捨てっぷりといい、ほとんどマインド・コントロールのように裏切りに導かれていくメンタルの弱さといい、なんとも憎めない。
そんな安禄山が、持ち前の愛嬌で周囲を油断させながら、実は「裏切り」の萌芽を見せつけていたような描写には、ゾクッとする。
もっとも、動きの鈍さを誇示するヨチヨチ歩きじたい、偽装だったのかもしれない。その証拠に、歩行もままならないくせに、「胡旋舞(こせんぶ)」を舞うときだけは別人のごとく敏捷になり、はげしいリズムに乗って、風のように舞いつづけたという話もある。西域から伝わった「胡旋舞」は、小さな毬(まり)に乗って旋回しながら舞う、曲芸に近い舞踊だった。
一時は200キロ超にも達したという肥満体で、華麗に激しく舞い踊る安禄山。ぜひ香港の名優サモ・ハン・キンポーに演じてほしい場面である。
本書のクライマックスにふさわしい存在感を見せつけるのが、第七章で“極め付きの「裏切り者」”と紹介される秦檜(しんかい)。中国ではいまも「英雄殺しの売国奴」として蛇蝎のごとく忌み嫌われているという。
南宋王朝に仕えた秦檜は、一度は女真族の金王朝に逮捕されて捕虜となり、数年後にひょっこり戻ってきた。すっかり変節していた彼は、異民族国家との“屈辱的”和平条約を締結させ、さらに金軍と戦った英雄・岳飛(がくひ)とのその息子を冷酷に処刑する……。著者はこの秦檜を、平和のためにあえて汚れ役を担った人物として、再評価を促す。
前章までで取り上げた王莽(おうもう)・司馬懿(しばい)・桓温(かんおん)そして安禄山(あんろくざん)も、自らが仕えた王朝を滅ぼし、これに取ってかわろうとしたという意味での、裏切り者であった。しかし、秦檜は対立する異民族の王朝とコンタクトをとったがゆえに、後世の人々から漢民族きっての裏切り者と目された。前四者と秦檜では、いうまでもなく裏切りの位相に根本的な差異がある。
漢民族の裏切り者が、漢民族の王朝の命脈を保つ。意識するとしないとにかかわらず、そんな歴史のパラドックスを生きた秦檜は、なるほど権力の座に見苦しくしがみついたものの、だからといって、はたして彼を裏切り者だと決めつけることができようか。
とはいえ、晩年には息子や孫を歴史資料の編纂職に就かせ、自分の悪評を消し去ろうとした秦檜の悪あがきもしっかり記し、単純に聖人君子扱いなどはしない。その人間くささが、また味わい深い。
ところで、本書を読み進めながらボディブローのように効いてくるのが、「自決に追い込まれる」人間の数の多さである。かつての日本の武家社会とも通じるが、そういう非情な世界でしぶとく生きのびるためには、ある程度のずぶとさ、モラルの欠落は必要だったのかもしれない。「なんて命の軽い世界なんだ」と唖然としながら読み進めているうちに、だんだんと「現代にもその名残りは一部にしっかり残っているのでは?」と、不気味な感覚にも襲われる一冊である。
レビュアー
ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。