それから陛下は私の方を向かれて、「徳齢(デーリン)、あなたはいろいろなことでたいそう役に立ちますから、私の頭等宮眷にします。あなたは外国人の覲見(きんけん)の支度のすべてや、私の通訳をしなければならないのだから、あまり仕事をしてはいけません。そのほかには、私の宝玉類の面倒を見ていただきましょう。荒い仕事は一切させたくありませんよ。(後略)」
ある日突然、若い女性がお妃さまのお屋敷に招かれる……本書はそんな「少女の夢」を体現した、おとぎ話のようなノンフィクションである。著者の徳齢は清国外交官の父を持ち、父の赴任先である日本で3年、フランスで4年、多感な青春時代を過ごした。1903年、彼女が23歳の時に、一家は数年ぶりに故郷へ帰ってくる。長い海外生活のなかで豊富な知識と教養を身につけた徳齢は、時の権力者・西太后の目に留まり、宮廷住み込みの通訳兼女官として約2年間仕えることになる。
本書は徳齢が宮廷を去ったあと、1911年に上海で刊行された回顧録『Two Years in the Forbidden City(紫禁城の二年)』の翻訳である。本書序文でも訳者の太田七郎・田中克己が触れているが、紫禁城を描いた部分は実は少なく、大半の場面は西太后が好んだ夏の離宮(万寿山頤和園)を舞台にしている。また、原文は英語で書かれているにもかかわらず、中華圏ならではの言葉遣いや文化様式、膨大かつ独特な固有名詞、さらに帰国子女である著者が客観的視点で見つめた中国的メンタリティに至るまでが見事に訳出されていて、ぐいぐい読ませる。
西太后は、清の第9代皇帝・咸豊帝の側妃として宮廷入りし、最終的には清朝末期の実質的最高権力者にまで登りつめた人物である。度重なる政変や内乱、立ちはだかる外国勢力の脅威にさらされた激動の時代を生き抜き、逞(たくま)しい指導者としても、非情な女帝としても恐れられた。中国・香港の合作映画『西太后』(1984年)ではその悪女ぶりが史実以上にスキャンダラスに描かれ、ベルナルド・ベルトルッチ監督の歴史大作『ラストエンペラー』(1987)では清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀がわずか2歳で即位するくだりに登場。中華圏以外の人々にも存在が広く知られるようになった。その私生活は、宮廷内のようすを外部に漏らさないよう情報統制が徹底されていたため、長年謎に包まれたままであった。
一方、海外で教育を受け、外国語や一般教養に加え、上流階級の作法や豊富な文化的知識も身につけた著者の徳齢は、当時の清国女性としてはかなりイレギュラーな存在だった。だからこそ彼女は西太后の寵愛を受け、間近でその姿を公私にわたり目にすることになる。しかも、徳齢には卓抜した観察眼と記憶力、ディテールを表現する文才があった。発表当時、世にも珍しい異国の王宮内の日常をこと細かに描いた書物として、各国でベストセラーになったというのも大いに頷ける内容だ。
宮廷内の豪奢な生活、厳格なしきたり、権謀術数が張り巡らされた人間関係など、見どころは多い。なかでも目を惹くのが、やはり西太后の人間性を赤裸々に浮き彫りにする描写の数々である。プライドは高く、気性は荒く、とことん外国嫌い。長年の宮廷暮らしのなかで育まれた猜疑心の強さと歯に衣着せぬ物言いが、著者の視点から見事にすくい上げられる。
同時に、著者は崇拝と言ってもいいほどのリスペクトを西太后に捧げており、その知性も、独立心も、時折見せる少女性も、敬意と愛らしさを込めて人間くさく描かれる。米国人画家キャサリン・カールに、自分の肖像画を描かせたときの発言も面白い。虚栄心や頑固さをむき出しにしつつ、どこかユーモラスな魅力が滲む。
「私は外国の芸能にはなに一つ驚くべきものを見ません。今あの閨秀画家が描いているこの画像を例にとって見ましょう。私はこれが名画になろうとは少しも思われません。あまり雑に見えます。(太后陛下は油絵というものがお解りにならなかったのです)。それにまた、なんだってあのひとは描いている間、その物をいつも自分の前に置かせたがるのでしょう。普通の支那人の画家でも一ぺん見ただけで、私の衣裳でも鞋(くつ)でも何でも描けるのですよ。あのひとは私の考えではどうもあまり大した絵描きのはずがありません。もっとも、あなたは私がそう言ったとあの女(ひと)に話すには及びませんが」
いわゆる暴露本とは異なる品の良さを醸(かも)し出すのは、対象への掛け値なしの愛情ゆえだろう。ところどころ、著者が自身の観察眼と人心掌握術をひけらかすような部分もあるが、それも愛嬌として読ませてしまうクレバーさがある。
登場人物のほとんどが女性で、全編にわたり横溢(おういつ)する「女の園」的な華やかさも、読んでいて楽しい要因のひとつだろう。パリ仕立ての洋装で現れ、その育ちの良さと知識量で明らかにひいきされる徳齢に対し、周囲の女官や宦官たちのやっかみも相当だったという記述もあるが、そんな嫉妬に洟(はな)もひっかけない著者のドライな態度が気持ちいい。当時の旧弊な女性観からは逸脱した独立心も含め、どこか性格的に共通する部分が西太后と著者にはあり、それが両者の距離感に繋がっていたようにも思える(著者自身がそんな印象に読者を誘導しているところもあるが)。
映画的イメージを喚起する場面も少なくない。西太后の肖像画を史上初めて西洋画のスタイルで描くことになり、徳齢がその仲介役と、米国人画家キャサリン・カールの通訳兼世話役をつとめるくだりは、うまく脚色すれば1本の長編映画になりそうだ。そして、西太后が第11代皇帝として擁立するものの、叛逆に失敗して幽閉状態にあった光緒帝の登場シーンも印象に残る。終盤、著者が宮廷を去るときに光緒帝が「グッドラック」と英語で告げるシーンなど、ウォン・カーウァイ監督に雰囲気たっぷりに映像化してほしいほどである。
1908年、西太后は当時2歳の幼児だった溥儀を、第12代皇帝・宣統帝に擁立。同年、光緒帝は何者かに毒殺され、その翌日、西太后も最後の仕事をやりきったかのように世を去った。徳齢はその3年後に本書を発表するが、同じ年に辛亥革命が起き、清は滅亡する。そして著者自身も……。その史実が伝える無常感は、きらびやかで詩情豊かな瞬間が数多く描かれた本書の読後に、切なくロマンティックな余韻をもたらす。
レビュアー
ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。