いま、歌舞伎町では何が起こっているのか? 東京・新宿にある日本有数の繁華街であり、「猥雑」「魔窟」「いかがわしい」といったイメージが常につきまとう街、歌舞伎町。欲望と自由への渇望が渦巻き、己を解放したいと願う人を惹きつけてやまない魔性の都。そんな町の姿も、そこに集まる人々も、時代の変遷のなかで性質を変え、ひと昔前とはまったく違った様相を魅せている。
著者は『「ぴえん」という病 SNS時代の消費と承認』でデビューした注目の才人、佐々木チワワ。本書は雑誌「FRIDAY」での連載を書籍化したもので、約2年間にわたる「歌舞伎町の最先端」の観測記録となっている。彼女は高校生のときに堅苦しい日常生活から逃れるために歌舞伎町に飛び込んで以来、その町とそこに息づく人間たちとじかに触れあってきたという。
装画には『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』の浅野いにお、帯コメントにキャバクラ勤務経験のあるオズワルド伊藤俊介、さらに『闇金ウシジマくん』『九条の大罪』の真鍋昌平との対談を収録という、なんとも手厚い仕様に編集サイドの熱い意気込みが感じられる。そして、中身もべらぼうに面白い。巻頭言の勇ましいフレーズが、本書の魅力のすべてを語っているようでもある。
過去なんて関係ない。歌舞伎町はどんな人間にも「出場」資格があり、名をあげるチャンスをつかみ取ることができる。究極の敗者復活戦の場にもなるのである。
本書にたびたび登場する「トー横キッズ」「パパ活」「ホストバブル」といったキーワードの数々は、マスコミの報道で目にした人も少なくないだろう。だが、著者が自ら町を歩き、豪快に遊び、等身大の目線をもって現場の最前線で拾い上げた声には、表層的なニュース記事にはたどり着けないリアリティがある。こちらの凝り固まった想像力を凌駕するような真実を見渡す、広大で清新な視野を与えてくれる。それがまさにフィールドワークの強みだ。以前取り上げた『風俗画入門』で、風俗という言葉の正しい意味について書いたが、これぞ正しい意味での現代風俗研究である。
たとえば「いま歌舞伎町の住人たちが一堂に会する場所といえば足つぼマッサージ屋」なんていう情報は、現場に出ている人にしかわからない。なるほど~と唸ってしまうような意外な理由はぜひ本書で確認してほしい。また、「ホストクラブに費やす資金を得るために売春で稼ぐ女性」というと、いかにも社会問題的なマイナスイメージで捉えられてしまうだろう(もちろんそういう視点もあって良いと思うが)。しかし本書を読むと、いかに効率的に稼ぐかを考えながら体を張って大金を手にし、あっという間にそれを使い果たしてしまう女性たちの生命力のほうに圧倒される。
そのほかにも「市川海老蔵にブチギレるパパ活女子」「FBIに追われる海外出稼ぎ女子」「歌舞伎町でカネを使いまくる太客の正体」「スタジオジブリの恩恵を受ける新米ホスト」といった魅力的な見出しが並び、読者に新たな知見を授けてくれる。様々な職種や業界、そして町全体に浸透している独自ルールについてのコメントも興味深い。
「歌舞伎町の人間って、『応援しています!』って気持ちは言葉じゃなくて行動で示せっていう教育が刷り込まれてるんですよ」
これらの歌舞伎町住人たちの肉声は、素人の陳腐な想像力では決して生まれてこないフレーズの宝箱だ。大久保公園周辺で路上売春(立ちんぼ)をしている20歳女子の言葉など、もはや清々しいほどである。
「パパ活って言ってもほぼ売春です。割り切って、『大人』(セックス)もしてる。アプリでパパ活の予定組んで、空いた時間に立ちんぼして、とか。そうやって予定埋めて鬼回転してる。ウチらの界隈で、客をぶん回すことを『鬼回転』って言うんですけど。そしたら1日10万円とかいくんで」
20代前半でこれだけ取材力があり、中身が濃くリーダビリティにも優れたルポを週刊ペースで書き続けるという才能がシンプルにすごい。もっとディープな町の暗部にまで迫れば骨太の社会派ドキュメントになったかもしれないが、その代わりに失われてしまうものも大きかっただろう。歌舞伎町で働き、歌舞伎町で消費する若者たちと同じ目線の観察日記だからこそ、そのパワフルな活気と生命力をここまでポップに活写できたのではないだろうか。
ただし、そういう過激で猥雑な文化をただ無頓着に面白がっているわけではない。悪質なメンズコンセプトカフェが未成年の客から大金を巻き上げたり、性的行為を要求したりするケースに対しては、こんなコメントをしている。
「好きなものにお金を使う」という推し活が一般的になってきた昨今、それが行き過ぎたがゆえに事件化するケースも増えてきている。過激な推し活に対する規制は進むのだろうか。
このように著者自身の「真っ当な目線」も随所に感じられる。それは歌舞伎町を本当の地獄にはしたくないという、この町に対する愛着の表れでもあるのかもしれない。
警察が警戒を強めているのは、最近、トー横キッズの間で流行している薬物の過剰摂取ODだという。トー横では路上ODが横行しており、泡を吹きながら倒れ込んだ少年少女が担架で運ばれ、その様子を周りが笑いながら動画に撮ってSNSに上げるという光景をよく見かける。
タイトルにもなっているオーバードーズ(OD)が、トー横キッズの間で一種の「遊び」として流行したという記事はひときわ衝撃的だ。場合によっては深刻な後遺症を残すか、死に直結するものとして我々が認識している言葉を、子供たちは一時の暇つぶしとして楽しんでいる。その自暴自棄ぶりは、未来に希望が持てない日本社会の現状を如実に映し出した現象なのではないか……とも思えてくる。そういう意味でも『オーバードーズな人たち』というタイトルは秀逸である。
本書の強烈な内容の数々は、様々な思索を読者に促してくれる。資本主義社会は人間をどこまで変えてしまうのか(ホストバブル)、需要がなくならないから供給も絶えないのではないのか(パパ活)、自由を求める子どもたちの世界に支配やコントロールを持ち込む大人こそが最悪の存在なのではないか(トー横キッズ)などなど、いろいろと思うところは多いはずだ。
最大の効能は、すべての読者に「自分を見つめ直す機会」を与えることである。どんな人生を送っていようが、貧しかろうが裕福だろうが、若かろうが老いていようが、都会暮らしだろうが田舎住まいだろうが、親だろうが子供だろうが、「自分はどうなのか」と考えさせずにおかない。他人事のように高みの見物を決め込むような人間でいることを許さない、そんな気迫が伝わるというか、乗り移ってくるような一冊である。
レビュアー
ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。