なんともふしぎな本だ。読み始めと読み終わりで、印象がガラっと変わる。斜に構えたエッセイのようで、結論はきちんと「経営」に着地するし、昭和軽薄体を模したという「令和冷笑体」なる文章に慣れたころには、発想の転換と新たな概念を正面から突きつけられる。著者の自虐に笑いながらページをめくり、直球な結論に真顔で本を閉じる。得難い体験だった。
はじめに本書は、「日常は経営であふれている」と断言する。と言ってもこの場合の「経営」は、「事業を営む」とか「お金儲けをする」といった意味ではない。こんな定義だ。
本来の経営は「価値創造(=他者と自分を同時に幸せにすること)という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げる対立を解消して、豊かな共同体を創り上げること」だ。
この経営概念の下では誰もが人生を経営する当事者となる。
つまり誰もがともに幸せになるよう、より良い方法を選びながら問題を解決し、自分たちのいる場所を運営していくことであれば、すべては「経営」に該当する。本書では「世界中の伝統的宗教で人間の苦しみと幸せの源泉とされているもの」を元に、著者が選んだ15のテーマに沿って、具体的な事例や比喩が紹介される。その上で、それぞれをどう捉え直せばより良い「経営」ができるのか──問題点と解決法も示される。
著者は1989年に佐賀県で生まれた。だがその経歴はかなり波乱に満ちたもので、「私自身これまで経営に何度も救われてきた」という言葉とともに、こう述懐されている。
父の会社の倒産と借金、中卒自衛官として過ごした日々、日中に働きながら高卒認定試験(旧・大検)経由での受験勉強、学生起業……。空気を読めない私が自衛隊の集団生活をやり過ごしたのも、効率的な勉強も、母子家庭における学費・生活費の調達も、父の借金の整理も、本書の出版さえも、失敗しながらも価値創造を繰り返すことで可能となった(本書を読んだ後なら確実に上手くやれたはずだが)。
苦労とユーモアの同居ぶりに、思わず目を白黒させた。著者はその後、2013年に慶應義塾大学商学部を卒業。2018年には、東京大学大学院経済学研究科マネジメント専攻博士課程を修了し、東京大学初の博士(経営学)を授与された。現在は慶應義塾大学商学部の准教授を務めながら、ビジネスモデルとイノベーションに関する研究と執筆を続けている。
ちなみに著者の遊び心は、本書の節題にもあふれていた。例を挙げると、
胃の名残(なご)り:健康をめぐる「過ぎたるは猶及ばざるが如し」
亡国志:本来の目的を忘れた国は亡びる
といった具合に、「既存の文芸作品・映画作品・哲学書等を参考にして作成」したという。元ネタがわかると思わずニヤリとしてしまうが、単なるパロディ以上の意味にとれるものもあり、趣深い。この試みは「経営」の新たな定義を読み手にとって身近なものとし、飽きさせずに理解を進めてくれる大事な手助けとなっている。一方、それゆえ自分が一体何の本を読んでいるのか、ふと忘れてしまう瞬間が何度もあって、著者の手のひらの上で踊らされているようでもあった。
本書で示された「経営」の概念を知ることは、個人や社会が豊かになるために必須の思考だと著者は説く。価値は奪い合うものではなく、無限に創造できるもの──重みあるその主張を、軽やかな文体とともに楽しみながら読みこなしてほしい。
レビュアー
元書店員。在職中より、マンガ大賞の設立・運営を行ってきた。現在は女性漫画家(クリエイター)のマネジメント会社である、(株)スピカワークスの広報として働いている。