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2024.01.03

レビュー

現存する最古の遊具、奈良県生駒山上遊園地にある「飛行塔」がみた戦争と子ども

飛行塔からずっと

奈良市民、東大阪市民にとって、生駒山は特別なものだ。
山から吹きおろす冷たい風。青と赤の2種類ある骨董品のようなケーブルカー*。「こんな山の中で降りる人いんの?」と誰もが思うケーブルカーの駅。そして見慣れてしまうとどんな夜景の名所に行っても感動しなくなる、生駒山の夜景。昔は絶叫マシンもあったけど「USJには勝たれへんわ」と、じいちゃんばあちゃんが孫と安心して遊べる入園無料のアミューズメントスポットになった生駒山上遊園地。

なにがどうスゴイってわけじゃないけれど、それでもやっぱり生駒山はちょっと特別なのだ。
だって、そこにはあるんですよ。
生駒山には飛行塔がある。
万博記念公園に太陽の塔があり、名鉄百貨店にナナちゃんがいて、仙台駅にステンドグラスがあるように、生駒山には飛行塔がある。地元の人にしてみれば、あって当然のものがあるだけの話だけど、それは取り替えがきかない記憶のシンボルなのだ。

わたしがこの山に生まれたのは、今から百年近く前のことです。
「生まれた」といういい方は変でしょうか。正確には「造られた」ですね。

この物語の語り部は生駒山の飛行塔。西に大阪平野、東に奈良盆地を見下ろす飛行塔が、戦前、戦中、戦後の移り変わりを語るファンタジー作品だ。

*ケーブルカー=すずらん号と白樺号。現在、これに加えて4種のケーブルカーが走っている。

撒(ま)かれる種、芽吹く種

1929年3月、生駒山上遊園地はオープンする。飛行塔は子供たちが乗る飛行機を吊り上げてグルグルと旋回させる。一日中働き続ける飛行塔にカラスはたずねる。

「飛行塔さんさ、こんなに朝から晩まで仕事していたら、『もう子どもたち、乗せたくない!』って思わないの?」
「いいや、子どもたちのよろこぶ顔を見られるなら、一晩ずっとでも乗せていたいくらいだよ」


『100年見つめてきました』(作:吉野万理子 絵:川上和生)より引用

季節ごとに変化する山々の景色を楽しみ、トンビを介してはるか東にある浅草の花屋敷とやりとりをする飛行塔。生駒山の中腹に住み、牛を飼い田んぼの仕事を手伝う少年・友作との交流する賑やかで穏やかな毎日は、時の流れとともにきな臭くなっていく。

遊園地の近くに、戦場へと送り出されるパイロットを育成する航空道場が造られ、軍人が園内を行き来する。武器を作るため、複線だった生駒ケーブルの線路は単線に、子供たちを乗せていた飛行機は、飛行塔から切り取られる。しかし、塔の部分は残される。軍の見張り台として使うために……。

鳥たちの集団が、空を横切っていくのが見えました。はるか上空です。でもそのわりに、鳥が大きいのです。
いや、あれは鳥じゃない。航空機でしょうか。
友作も同時に気づいたようで、
「敵機発見!」
と、大声でさけびました。展望台の下から軍人たちが、勢いよくはしごを上がってきました。
あの航空機の集団は、どこまで飛んでいくのでしょう。
航空機から、ぱらぱらと何かが落ちはじめました。遠いからわかりづらいのです。まるで植物の小さな種を、落としているように見えます。

その正体を次の瞬間、知りました。
地面に種が落ちてからしばらくして、小さなほのおが見えたのです。まもなく黒いけむりが広がっていきました。

生駒山から見る夜景は美しい。今の比ではないかもしれないけれど、戦前だって美しかったはずだ。しかし戦時中、そこに人が生きていることを隠すために「灯火管制」が敷かれ、大阪平野の夜景は消えた。それでも空襲は行われ、正確に、効率的に、無慈悲に、家を焼き、街を焼き、人を焼き殺した。

飛行塔は話すことはできても、状況を変えることはできない。できることは、傍観者として見つめることだけ。そんな傍観者の飛行塔は懺悔する。

以前、戦争が起きるころ、「どこかよその国でやるなら、わたしたちの生活は変わらないのではないか」と思っていました。
なんとバカなことを考えたのでしょう。
よその国で戦争がおこなわれたならば、そこでたくさんの人の命が失われていたのです。わたしの目の前で起きていることと同じように。


『100年見つめてきました』(作:吉野万理子 絵:川上和生)より引用

ウクライナ、パレスチナ、ミャンマー……。生駒山の飛行塔からは見えないけれど、メディアを通して見聞きする私たちは、傍観者としてなにを考えているだろう。

切り取られてしまったわたしの分身、四つの飛行機。
その金属のかたまりは、砲弾になったかもしれないし、特攻艇になったかもしれないのです。
(中略)
でも、わたしの分身だった飛行機が、砲弾になって発射されて敵に向かっていくところは、どうしても想像したくなかったのでした。

傍観者であることは、戦争に加担していない、ということにはならない。
その責任を問われないとしても、「想像したくない」という言葉で済む問題でもない。
この物語は「太平洋戦争はひどいものでした」という“むかし語り”ではなく、「戦争においては、誰ひとりとして傍観者たり得ない」というメッセージを抱えている。

戦争は終わる。
友作は15歳。志願すれば兵隊になれたのに、志願しなかった自分を責めていた……。

時は流れ、飛行塔に飛行機が戻り、再び子どもたちを乗せて回りはじめる。浅草の花屋敷は浅草花やしきとなって復活し、生駒ケーブルは単線から複線へ。そして久しぶりに友作が顔を見せる。

「うちの子ども。リカコいうねん」

戦後復興、高度経済成長、大阪万博から21世紀へ、飛行塔は見つめつづける。
その道のりは、現在のところ希望への道筋だったと言えるのだろう。
でも、それは生駒山の飛行塔から見渡せる限りにおいての話だ。
さらに高みから、衛星を通して世界を見渡している私たちは、今を希望への道筋にあると言えるのだろうか?
私たちは傍観者になっていないか?

100年見つめてきました

作 : 吉野 万理子
絵 : 川上 和生

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レビュアー

嶋津善之 イメージ
嶋津善之

関西出身、映画・漫画・小説から投資・不動産・テック系まで、なんでも対応するライター兼、編集者。座右の銘は「終わらない仕事はない」。

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