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2023.12.06

レビュー

巨大な欲望の館──世界最古のデパート「ボン・マルシェ」の誕生と成功譚

「ほしい」を発生させる場所

日本橋三越の純白の森のような化粧品売り場を抜けて大きな吹き抜けのホールに出ると、巨大な天女像が私を待っている。あの天女様を見上げると「降参です」と思う。ここでの買い物は特別であり、ここにある商品はいつか全部私の物になるのだと信じ込ませる迫力に満ちているのだ(お財布が空っぽの日に行ったってそう思う)。

そう、良いデパートには迫力がある。そしてパリのデパートは、世界中のデパートがお手本にしていると一瞬でわかるくらい、荘厳で洗練されたパワースポットだ。なかでも世界最古のデパート「ボン・マルシェ」は別格。あの靴売り場は世界一美しい場所だと信じている。食料品売り場のミネラルウォーターの棚すら水晶の御殿のよう。

ボン・マルシェの誕生と成功の歴史をひもとく『デパートの誕生』の著者、鹿島茂先生は大のデパート好き。デパートのチャームポイントについて「ありったけの贅沢(ぜいたく)を「無料」で見せてくれるのだから、こんなにありがたいところはない 」とおっしゃる。同感です。では、なぜデパートはそんなに豪華絢爛なのか。なぜ私たちの欲望をかきたてるのか。

デパートにひとたび足を踏みいれた買い物客は、必要によって買うのではなく、その場で初めて必要を見いだすことになったのである。

デパート愛好家なら「そのとおり!」と抱きしめたくなるような本だ。ドキッとすること請け合い。

そして社史やゾラの文献からボン・マルシェの歴史をたどると、現代の私たちを取り囲む「消費」が見えてくる。私を「あれもこれも全部ほしい!」と狂わせるあの天女様がなぜデパートにおわすのかについても、大いに納得した。

デパート好きはもちろん、小売りや経営の世界に触れたい人にも強くおすすめしたい本だ。本書のあとがきでも言及されているが、現在のボン・マルシェは、ベルナール・アルノー率いるコングロマリットのLVMHグループの一員だ。

買い物はいつから楽しくなったのか

デパートという商業形態は、19世紀のマガザン・ド・ヌヴォテ(流行品店)と呼ばれる商店から芽生えた。まずは、マガザン・ド・ヌヴォテが登場するまでの買い物の地獄っぷりを紹介したい。

十九世紀前半までのフランスの商店では、入店自由の原則がなかったばかりか、退店自由の原則もなかった。つまり、いったん商店の敷居を跨(また)いだら最後、何も商品を買わずに出てくるということは許されなかったのである。(中略)
良い商人とは、たくさん売る商人ではなく、高く売る術を心得た商人のことを意味していた。したがって、客の側からすれば、買い物は、金銭に頓着しなくていい一部の上流階級を除けば、決して楽しいことではなく、必要を満たすためにいやいやしなければならないことだったのである。

ショー・ウィンドーはなく、店内も薄暗い。もう何の店なのかわかったもんじゃない。そんななか、新業態のマガザン・ド・ヌヴォテは、店の奥まで見通せる大きな窓、明るい店内、そして価格交渉不要の明朗会計といった現代の買い物に近い体験を提供した。ショッピング界の革命児である。そこにウィンドー・ショッピングの文化やガス灯といったテクノロジーが重なり、商店は「なんとなく足を運ぶ場所」へと進化する。

そんなマガザン・ド・ヌヴォテの商法をさらに磨き上げたのが、ボン・マルシェの生みの親であるアリスティッド・ブシコーとその妻マルグリットだ。ブシコーが採った販売戦略や商法は現代の小売りと非常によく似ている。あらゆるところで商品を買い付け、その商品が売れるよう流行を生み出し、回転効率を下げないために定期的にバーゲン(ソルド)を行う。そして店内は巧みな動線設計によって形作られる。

たとえば、デパートの「エクスポジシオン(大売り出し)」もブシコーが発明した。

バーゲンの終わった一月下旬のある寒い日、売り上げの落ち込みを回避する方法はないものかと思案しながら窓の外の冬景色をぼんやりと見つめていたブシコーは、空から降ってくる粉雪に目をとめた。その瞬間、「白」という言葉が頭にひらめいた。(中略)
ブシコーは、暮れの大売り出しと年頭のバーゲンのあと、春物を売り出すにはまだ寒いこの時期に、季節商品とは関係の薄いこの「白物」を集中的に売り出すことを思いついた。
かくして、二月の初め「エクスポジシオン・ド・ブラン」と銘打った「白物」の大売り出しが始まった。それは、エクスポジシオン(展覧会)というにふさわしい、ありとあらゆる白生地商品のオンパレードで、店内の多くの売り場がこの商品の展示のために使われ、店内はまさに白一色の銀世界と化した。

ここから続くエクスポジシオンの様子の美しいことといったら! 鹿島先生の文章も、鹿島先生が引用するゾラの文章も、全部キラキラと踊るようだ。読むだけで胸が弾んで今すぐそこに行きたくなる。そう、行きたくなるのだ。

一九二三年の「白物セール」では、「北極」というテーマに従って、アール・デコ調にセットされたシロクマやペンギンが、ホールに入った客を出迎えるようになっていた。
ようするに、ブシコーにとって、店内の商品ディスプレイは、〈ボン・マルシェ〉という劇場を舞台にして展開する大スペクタクル・ショーにほかならなかったのである。

言葉だけでも素晴らしいが、写真をみると「降参!」となるだろう。

ため息がでる。ボン・マルシェがいかに勢いのある店であるかがよくわかる美しさだ。

ところで、このディスプレイに「わぁ!」と心を奪われる人は、女性が多いのではないだろうか。実際、ボン・マルシェに通いつめたのはパリの女たちであり、今だって多くのデパートが女性の買い物を中心に設計されている。

廉価販売、バーゲン・セール、目玉商品といった販売戦術そのものに関するソフト・ウェアについても、またオペラ座か大聖堂を思わせる豪華絢爛たる店舗、天上の楽園かと見まがう内部のオプティカルな装飾、スペクタクル・ショーとしてのディスプレイなどのハード・ウェアについても、ブシコーが心を砕(くだ)いたのは、ただただいかにして女性客を〈ボン・マルシェ〉にひきつけるかということであった。

デパートに通いつめる女の一人としてドキッとする言葉ばかりが並ぶ本だ。私を年がら年中絡め取る、あのデパートという奇妙で華やかで幸せな空間は、19世紀には既に完成していたのか……。

そして「第三章 教育装置としてのデパート」に進むと、ますます思い当たる節にぶつかり、頭を抱えてしまうのだ。ブシコーの天才ぶりに白旗を揚げてしまう。

仕組まれた「欲望」

荘厳な空間に、計算された動線。そこにあふれる多種多様な品揃えに、大売り出し。客を熱狂させるこれらの舞台装置と演出を揃えてもデパートは完成しない。

客は巨大なデパートのすべての売り場を見てまわるわけではないから、なんでもかんでも衝動買いをするわけではない。

私は自分のことをたいそうなお調子者だと痛感しているからよくわかる。デパートで「衝動買い」をした覚えは、あんまりないのだ。お調子者だからこそ、だいぶ用心して、ガマンしている。大抵の物は、身をよじるくらい欲しくてたまらなくなってから買っている。そして、この「欲しくなる」仕掛けもブシコーが作ったものなのだ!

理想的なアッパー・ミドルの生活を隅々にいたるまで実現するには、これこれの家具や食器類を揃え、これこれのカジュアル・ウェアを身につけ、これこれのヴァカンス用品を購入しなければならないというように、具体的なライフ・スタイルを中産階級の消費者に教育してやる必要があるのだ。なぜなら、彼らはまだ何を買うべきかを知らず、しかも、それが買うことができるのも知らないからだ。消費者に、到達すべき理想と目標を教え、彼らを励ますこと。これが〈ボン・マルシェ〉の、ひいてはデパートすべての任務となる。

物質が欲しいのではなく、憧れの人生が欲しい。これほど深くて逃れられない欲望はない。かつてのパルコや西武百貨店の広告が都会のライフスタイルや気分を強く提案していたのを思い出す。

ブシコー先生が手がけた巨大教育機関ことボン・マルシェは、商品によって人びとに理想の生活を教え、商品を買わせていった。その手段のひとつが広告ビラやパンフレットだ。いわばこれらは教科書である(うちのポストにも、毎月たっぷり届いてますとも!)。

なかでもおもしろいのは顧客に無料で配った「アジャンダ」という年間予定表付きの手帳だ。季節のイベントとデパートの催事情報などが載った便利手帳のようなのだが……?

しかし、さらにページをめくると、ホーム・パーティーの招待客の名前と住所を曜日別に記入するためのリストという意外な要素が目に入ってくる。一覧表の上には、夜会服に身をくるんだ男女が楽しげに談笑している光景が描かれている。この記号を解読すれば、〈ボン・マルシェ〉の提唱するワン・ランク上のライフ・スタイルを実践するには、すくなくとも週の何日かは、曜日を決めてホーム・パーティーを開かなければならないので、夜会服は何通りか揃えておくべきだということになるだろう。

「え、そういうものなの……?」とホーム・パーティを計画する人の姿が目に浮かぶ。一年目はおずおずと、二年目はあれもこれも買って盛大に。さあもう止まらない。アジャンダの巧妙な心理作戦よ!

どんな人から買いたいか?

第四章と第五章は、ボン・マルシェの経営の内側に迫る。労働条件や、現場のマネージャーと役員の報酬設計の差など、実によくできていると感心する。そして、社員教育の方針にもブシコーによる顧客心理の掌握術が透けて見えるのだ。

たとえば、訪れる客に接する従業員はどんな人物であるべきか。つまり、デパートの客は、どんな人から商品を買ってしまうのか。

〈ボン・マルシェ〉の顧客層は、主に第二帝政期に上昇をとげた中層のブルジョワジーだった。この階級は、上層のブルジョワジーに憧れつつ、下層のブルジョワジーとの差別化(ディスタンクション)を生きがいとする特権を持っていたが、肝心の〈ボン・マルシェ〉の店員はどうかといえば、収入的には顧客とそれほど大きな開きがあったわけではないが、意識的にはまだ完全に下層ブルジョワジーであり、マガザン・ド・ヌヴォテ時代の店員根性が染みついてしまっていた。(中略)
こうした客と店員の階級意識の違いは、ブシコーにとっては必ずしも好ましいことではなかった。(中略)なぜなら、〈ボン・マルシェ〉を発展させるには、アッパー・ミドルのライフ・スタイルという理想を掲げて、これにむかって邁進するように顧客を鼓舞することが必要だが、中流意識に凝り固まっている買い物客を相手にする店員が下層ブルジョワジーのままではいけないからだ。

社員のブルジョワ化のために、彼らの生活態度や外観、そして文化面でもブシコーは変化を求め、「ハイソ」になれる環境を用意した。これはまさに会社の福利厚生制度であり、鹿島先生は現代のホワイトカラーと重ねて次のように指摘する。

日本でサラリーマンに中流意識を注入するのに、もっとも役立ったのがイギリスの貴族のスポーツ「ゴルフ」であったことを思えば、ブシコーのこの戦術の先見性がわかろうというものである。

デパートだけではなく、私たちの生活を取り巻く消費資本主義そのものをブシコーは生み出した。そしてボン・マルシェは非常に優れた経営者によって育まれた会社であることがわかる本だ。

次にパリへ行くときは、本書の「パリのデパート小事典」を頼りに現存するデパートを巡りたい。そしてブシコー学校の生徒である私は、必ずボン・マルシェの入口をじっくり見なければいけない。本書で私の心をもっとも捉えたのは、この一文だったからだ。

いまでも〈ボン・マルシェ〉の入口には、〈アリスティッド・ブシコーの店〉という昔ながらの看板がかかっている。創業者の名前をいまだに掲げているデパートは、パリでは唯一この〈ボン・マルシェ〉だけである。

レビュアー

花森リド イメージ
花森リド

ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。
twitter:@LidoHanamori

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