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さだまさし×加藤タキの異色対談! 時代の最先端を駆け抜けてきた「タキ姐」のすべて

2023.11.04
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語るべき事が多すぎる加藤タキという人物について

本書はタイトルどおり、さだまさしが、敬愛する加藤タキに行ったインタビュー本だ。

まず、さだまさしファンに向けて先回りしてお伝えしたいのだが、「本書はインタビュー本ゆえに“さだまさし濃度”が薄いのではないか?」と思われるかもしれないが心配はご無用。タイトルは『さだまさしが聞きたかった、「人生の達人」タキ姐のすべて』だが、『さだまさしが「人生の達人」タキに話したかったすべて』というタイトルでもいいくらい、さだまさしの面白エピソードがたくさん詰まっている。ファンなら満足すること請け合いだ。

さて、加藤タキという人物がいかにすごいか書きたいのだが、コンパクトにまとめるのが非常に難しい。加藤タキを知らず、本書を読む前にネットで来歴を調べ始めて、興味のツボにハマり2時間が過ぎたくらいだ。無理を承知でポイントを絞って説明するなら、

彼女の母は、戦後初の総選挙で日本初の女性衆議院議員となった加藤シヅエ。国際会議に出席中の母を追いかけ、12歳にして一人で渡米したことをきっかけに英語習得を決意して留学。モンキーズの日本初来日から、様々な俳優、音楽家の日本公演に関わるアーティスト・コーディネーターとして活躍した……

ということになる。父は「火の玉勘十」と呼ばれた労働運動家・加藤勘十で、夫は建築家・プロダクトデザイナーの黒川雅之とか、絶対外せない情報がまだまだあるのだが、そこは端折(はしょ)ってアーティスト・コーディネーターとして関わった人を列挙しよう。オードリー・ヘプバーン、フランク・シナトラ、マレーネ・ディートリッヒ、ライザ・ミネリ、ドナ・サマー、ディオンヌ・ワーウィックにマイケル・ジャクソン……。ちょっと、めまいがする。そんなハリウッド、いや世界のエンターテイナー(と、そのエージェント)と渡り合い、日本公演やテレビ出演をコーディネート。その仕事と卓越した通訳で、プライベートで交流したアーティストも多いという。

数あるエピソードでもすごいと思ったのは、HONDAの原付バイク「ロードパル」のCM出演を、大女優ソフィア・ローレンとその夫カルロ・ポンティに直接交渉した話だ。カルロ・ポンティとは、フェリーニ、ゴダール、アントニオーニ、デ・シーカ、ポランスキーからウォーホルまで偉大(すぎる)映画監督の名作を世に送り出したイタリアの大大大プロデューサーだ。そんな彼を、30代の加藤タキはこう口説いたという。

「ソフィア・ローレンさんは映画女優としてとっても人気が高いし、素晴らしい演技者です。日本ではお茶の間という家族みんなで集うところがあって、そこで全国のテレビを通じて身近にソフィア・ローレンさんを見るということは、間違いなくあなたがこれから製作なさる映画にも、彼女のためにもいいと思う」

こわい! そのど真ん中のストレートボールを投げるの、考えるだけでこわい!
そのCM(https://www.youtube.com/watch?v=jMvIJ-WH_7Y)を監督したのが大林宣彦で、商品は売れに売れ、原付バイクが日本に根付くきっかけになる。CM中でソフィア・ローレンが叫ぶ「ラッタッター」というセリフは、原付バイクそのものを指す名詞として、ロードパルの名前以上に浸透したことを私はよく覚えている。

ロールモデルとしての母娘

そんな加藤タキとさだまさしの接点は、『関白宣言』という曲が発表された1979年にまでさかのぼる。この曲を発表した当時、歌詞が男尊女卑的であると女権論者から猛バッシングを受けるのだが、思わぬところから擁護の声が上がる。これまで女性の社会・経済的地位向上のために戦ってきた加藤シヅエが、「男はこれで良し、女もこれで良し、この歌はこれで良し」と評したのだ。これをきっかけに加藤家とさだまさしの交流が始まった。

そんな長い付き合いの二人が、どうして今この本を出そうと思ったのか?
さらにいえば、どうしてさだまさしは我々に加藤タキを紹介したいのか?

どんなふうに生きていったらいいのかってみんな迷うじゃないですか。年を取れば取るほど迷うはずなんですよ。その迷いの最中(さなか)の人たちに、やっぱりタキ姐らしい、勇気凛凛と湧いてくるような、いろいろヒントを教えてもらえるといいなと思っているの。

さだまさしは、“こんなふうに生きてみたい”と思うロールモデルとして、加藤タキをもっともっと我々に知ってもらいたいのだ。若い人にはもちろん、老人が持つ知恵が尊重されない状況に忸怩(じくじ)たる思いを抱き、同世代の人に「頑張れ!」とエールを送りたかったのではないか。「加藤タキみたいに、凛と生きろ!」と。

さらに、さだまさしは加藤タキを通してもう一人、凛と生きた人を今に蘇らせたかったのだと思う。その人とは加藤シヅエ。

加藤タキが、母シヅエから言われた言葉が出てくる。

みんな怪我すれば、同じ赤い血を流すの。痛かったり悲しかったりすると、同じしょっぱい涙流すの。だから、みんな、どんな人も同じなの。

同時に、こうも言われるのだ。

ママとあなたと顔が違うでしょ? ママとパパも違うし、みんな顔違うでしょ? てことは、頭の中で考えていることもみんな違うの。違って当たり前なの。あなたはあなた、ママはママ。違うけれど同じ人間なの。


加藤シヅエは、この言葉を転んで足を擦りむき、血を流して泣いている“3歳”の娘に言ったというのだ。それ、3歳の子供に言う? その言葉をすぐに理解したわけではないが鮮烈に覚えていたという加藤タキは、どんなに偉い人や有名人であっても、一般人であっても、その言葉を胸に相手と接するという。

最後に、もうひとつ紹介したい。加藤タキが42歳で男の子を出産したとき、母シヅエからこう言われたという。

「あなたの子どもが挫折することを恐れてはいけない」

刺さった、刺さった。
一人娘を持つ身として、もう死ぬかと思うくらい心に刺さった。

  • 電子あり
『さだまさしが聞きたかった、「人生の達人」タキ姐のすべて』書影
著:加藤 タキ/さだまさし

さだまさしが、長年敬愛してやまない「タキ姐」こと加藤タキに、聞いてみたかったことをすべて聞いてみた。
日本を代表する社会運動家・女性初の代議士として活躍した母・シヅエの娘として生まれ、ショービジネス黎明期の1970-80年代の日本でアーティスト・コーディネーターという職業を自ら切り拓き、オードリー・ヘプバーン、ソフィア・ローレンをはじめ世界的な大物アーティストたちと個人的親交を結び、さらに78歳のいまも、淡々と飄々と、そして凛として生きる。
そんな彼女が伝えるとらわれず自由に生きるヒント。

【おもな内容】
第1章 年齢にとらわれない生き方
エレガンスの秘訣──喜怒哀楽すべてが感動ー社交ダンスは67歳、シャンソンは75歳から始めたーこの年齢では待っていても何も来ないもの──自分を省みない人は美しくない etc.
 
第2章 ふたりの歴史
『関白宣言』がきっかけに──偲ぶ会でずっとかけ続けた『勇気凛凛』──シヅエ先生に『偶成』を聴かせたかったー悔しいという思いで英語を身につけた etc.

第3章 世界のスターに学んだこと
ヘプバーンほど素敵な女性はいない──ソフィア・ローレンの短い爪に母性を感じた──シナトラはステージに上がるとき、左足から出るーディートリッヒの孤独──マイケル・ジャクソンが作った一つの宇宙──自分も楽しみ、みんなも喜ぶ心遣いの発想 etc.

第4章 男と女
理想通りにいかなかった最初の結婚──離婚パーティー──存在自体がユーモア etc.

第5章 世代を超えて
いつも間違っているかも、と思う──息子をコーディネートしてしまう母ー人それぞれの育ち方──「あなたはどうしたいの?」を何度でも繰り返す──「春の海の心」 etc.

レビュアー

嶋津善之 イメージ
嶋津善之

関西出身、映画・漫画・小説から投資・不動産・テック系まで、なんでも対応するライター兼、編集者。座右の銘は「終わらない仕事はない」。

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