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なぜ日本の民俗学は、河童やザシキワラシの話から始められたのか?
(著:柳田 國男 訳:新谷 尚紀)
疑問を解決してくれる本
本書は、三島由紀夫の次のような文章を紹介しています。
日本民俗学の発祥の記念塔というべき名高い名著であるが、私は永年(ながねん)これを文学として読んできた。殊(こと)に何回よみ返したかわからないのは、その序文である。名文であるのみではなく、氏の若き日の抒情(じょじょう)と哀傷がにじんでいる。魂の故郷へ人々を埒(らっ)し去る詩的な力にあふれている。
三島が『遠野物語』を賞賛したのはこればかりではありません。「生涯にわたり」と表現しても言い過ぎにならないほど、彼は幾度となく『遠野物語』にふれました。魅せられていた、と言ってもいいでしょう。
ひとりの作家をそれほどに夢中にさせる力がありながら、『遠野物語』は受け入れやすいものではありません。本書の重要な役割は、まずそこにあります。
『遠野物語』の文章はすでに古典の域に至っており、現在の中学生や高校生にとっては難しい文章ともなっています。そこで、柳田國男のもとの文章をそこなうことのないように気をつけながら、現代口語訳の文章をそえておくことにします。
もうひとつ、特筆すべきことがあります。本書は口語訳で取り上げるのが難しいタームを註のかたちで詳説してくれるのです。たとえば、上記の三島が何度も読んだと語る文章には、次のような一節があります。
此書の如きは陳勝呉広のみ
なんのこっちゃと思う人も多いでしょう。かくいう自分がそうでした。「陳勝呉広」を調べれば意味をとることができたのでしょうが、短い一文ですし、わかんなくても文全体の意図を汲むことは可能なので、スルーしてしまったのです。
本書は、こういうワードをとりあげて解説してくれています。そういうことだったのかあ、と思いました。おそらく、本書に出会うことがなかったなら、よくわからないまま過ごしていたにちがいありません。この短い文がこれほど豊穣だとは知りませんでした。
本書は、長年の疑問を氷解してくれる、たいへんありがたい一冊であります。
多くの種子を宿した『遠野物語』
註にはもうひとつ、大きな特徴があります。『遠野物語』の原文をもとに、その後の民俗学の発展によって得られた知識が開示されているのです。
ケガレという概念のもととなる穢れという日本語について整理してみました。歴史的には八世紀の記紀の語る死穢の国、黄泉の国から帰還したイザナギの禊ぎ祓えの神話、『続日本紀』の称徳朝の穢れの文言の頻出、(中略)ケガレに対しては忌みという感覚と禊ぎ祓え清めという儀礼が不可欠とされてきた歴史が確認できました。
またその一方、民俗の中の死穢や血穢、また、災厄や罪穢れなどへの対応についても整理してみました。
ケガレについて述べたものですが、『遠野物語』にケガレという語は一度も出てきません。これは、遠野にはお盆のときに藁でつくった人形を焼く風習がある、という話に付随情報を記したもの(一〇九話)の注釈として語られたものです。もとの柳田の文章は「だから何だよ」と言いたくなるほど短くそっけないものでした。
しかし、本書の註は相当な分量があります。まず全国の人形のありかたについて述べ、続いて和泉式部のセクシャリティについてふれた後、ケガレについて語ります。これだけだと、それぞれがなんの関連もないように思われますが、読者はきっと、たしかにこれは柳田が書いた数行から発展したものだという感覚を持つことができるでしょう。
わたしたちはつい、明治期など古い時代に書かれた文学を、古き良きものとして分類し、納戸の奥深くにしまいこんでしまいます。じつはそれって、すごくもったいないことなんだよ、とても豊穣な世界を捨て去ってしまうってことなんだ。本書にはその主張があります。『遠野物語』はじゅうぶんに興味を持続することができる、アクチュアリティに満ちたものだとえいえるでしょう。
思えば、この時期(8月)は伝統的に怪談がさかんな時期で、テレビをつければ怪談番組をやっています。『遠野物語』もまた、佐々木鏡石という遠野出身の若者が、柳田に遠野の怪談を語ったことからはじまりました。怪談、こわい話というのは時代の変遷にかかわらず人の興味をひく、エバーグリーンなものなのです。
それはどうしてなんだろう――。
本書には、『遠野物語』の紹介をしつつ、その大きな謎を解明していこうという志の高さがあります。
なお、水木しげる先生が描かれた『水木しげるの遠野物語』は、作品に籠められた幾多の要素を表現してあまりあるものです。『遠野物語』って今でもしっかり怖いよな、と体感できる傑作になっています。
- 電子あり
なぜ日本の民俗学は、河童やザシキワラシの話から始められたのか?
全部読まなければ、この本のすごさはわからない!
日本民俗学の創始者である柳田の原点にして代表作。
平地人を戦慄せしめよ/此書は現在の事実なり――高らかな挑発の言のもと、柳田はいったい何を企てたか。
「平地人を戦慄せしめよ」という高らかな宣言に込められたものとは何か。
「ザシキワラシ、オシラサマや河童たちが躍る不思議な世界」
「叙情豊かな日本人の原風景」
という本書がまとってきたイメージの奥にある真価とは何か?
民俗学を創始した記念碑的作品の真価がわかる、平易な訳文と懇切な解説の全訳注。
【本書「はじめに」】
『遠野物語』は、現在ではたいへん有名な本になっています。一つには、日本民俗学を創始した柳田國男の代表的な著作としてです。もう一つには、遠野の人佐々木喜き善ぜんが語った東北の村の古く豊かな生活の世界を語っている著作としてです。ザシキワラシやオシラサマや河童たち、その不思議な世界が語られており、あたかも日本の近代化の中で失われていった叙情豊かな日本人の原風景を語ってくれているもののように思われているからです。
しかし、そのようなイメージは、実はこれまで『遠野物語』を紹介してきた数多くの著作物の文章の受け売りの積み重ねの中で作られたものではないかと思われます。やはり、自分で直接、『遠野物語』の本文を読んでごらんになるのがよいと思います。すると、柳田があらたに日本民俗学という学問を創始していくその原点がわかり、そこから民俗学とはどのような視点と方法を特徴とする学問か、その独創的な面がわかってきます。
(中略)
この『遠野物語』の文章はすでに古典の域に至っており、現在の中学生や高校生にとっては難しい文章ともなっています。そこで、柳田國男のもとの文章をそこなうことのないように気をつけながら、現代口語訳の文章をそえておくことにします。
*本書は講談社学術文庫のための訳し下ろしです
*明治43(1910)6月に聚精堂から刊行された初版本を底本としています
レビュアー
早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 何が便利で、何が怖いのか』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。
https://hon-yak.net/
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