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開成中学の生徒たちが「ネットの誹謗中傷」に向き合った白熱の授業の記録

2023.08.11
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あらかじめ用意された答えは答えにならない

ネットの誹謗中傷の話題が、連日ニュースサイトのトップ記事になっている。
多くの人が誹謗中傷で命を絶ち、被害者は声を挙げ、皆が「誹謗中傷は許されない」と思い、法律が少しずつ整備され、裁判で判決が出て、それでもやっぱり誹謗中傷で人が命を絶ち、ニュースサイトで誹謗中傷のトピックがビューを稼ぎ、政治家が「もっと厳罰化した方がいいのでは?」と言い始め、人が命を絶ち、人が命を絶ち、人が命を絶つ……。

ネットの誹謗中傷がなくならない。

本書『中学校の授業でネット中傷を考えた』は、私立開成中学校で行われた「ネットの誹謗中傷」についての授業をルポルタージュしたものだ。スマイリーキクチ著『突然、僕は殺人犯にされた』(竹書房文庫)を課題図書に、神田邦彦教諭(榊邦彦という名前で執筆活動もされている)が6回にわたって行った「国語1」の授業。その目指すところは、非常に感覚的だ。

「生徒たちに学んでほしいのは、ノウハウではなく、思考する力なんです。知識として知るだけではダメで、お腹の中で理解するというか。中傷されたときにどうするかとか、知識として『やってはいけない』ではなく、お腹のあたりから居心地悪くなる感じです。そこまで持っていると、そこまで理解していると……」
神田先生は続けた。
「中傷はしないのではないかと思うんです」

しかし、ネットで誹謗中傷しないための答えなど、はじめからあるのではないか?
・人を傷つけること、嫌がることを言ってはいけない。
・その言葉を使ったら、相手はどう感じるだろう? という想像力を持つ。
小学校の道徳で教えられることを守れない人間が、誹謗中傷を行うのだ。そんな答えがある状態から、6回の授業を通して「お腹のあたりから居心地悪い」という感覚を持てるのだろうか? 本書を読み進むなかで、神田教諭が提示するテーマや疑問に沿って、生徒たちと著者、私たちは思考し「お腹のあたりから居心地悪い」という感覚の正体を探ることになる。

「一周回って」たどり着くこと

ネットの誹謗中傷について法整備が進み、罰則が規定され、個人の特定も可能になったが、今も誹謗中傷はなくなっていない。見えてきたのは、加害者たちは「なにが誹謗中傷なのか」「なにが罰に値するのか」を認識していないということ。なぜなら、SNSのリツイートやいいねの評価に承認欲求が満たされるばかりで、誹謗中傷行為の加虐性を理解していないから……。と、ここまでは誰もがなんとなく分かっている。さらに神田教諭は、さまざまな視点を提示する。

たとえば哲学者オルテガが、文明が発達し生活が便利になるほど人は何も考えずに行動することを指摘した「文明社会の野蛮人」という言葉。文明社会の真ん中でスマホの恩恵を受けている私たちは、野蛮さを増していないか?
さらに心理学者マズローの欲求五段階説と、ネットの誹謗中傷の動機付けを対比する。そこから見えるのは、「欲求実現に忠実であれば、人は皆、誹謗中傷を行うものだ」という事実。


では、誹謗中傷を行う人が抱える欲求とは何か? それは「正義を行使したい」という欲求だ。しかし、正義は常に危うい。小さな争いから差別、戦争まで正義が掲げられなかったことはない。ネット時代においては、24時間フル稼働で正義が量産されている。

「そもそも人間は自分に危険なものや、了解できないものを排除して生き残ってきているわけだ。だから、凄惨ないじめに関わった人は追いやりたくなるんじゃないか。極端に言えば、やっつけたくなる。正義感っていうのは、そういう感覚と結び付いていると思う」(中略)
「欲求五段階のピラミッドのうち、最上段の自己実現欲求の実現に見えて、実は、ピラミッドの底辺の部分(生理的欲求や安全欲求)から関わっているんじゃないかな。それだけに、正義を行使したという感覚は非常に厄介だと思うんです」

「正義を行使したい」という欲求は、欲求をある程度満たした人が行うのではなく、満たされない人が、自らを守るために抱く欲求である。そうした根源的な欲求を、人は抑え込めるのか?

でも、人がいかなる正義を持っていようが、ネットに書き込まなければネットの誹謗中傷は起こらない。そこで議論は「表現の自由」という領域に踏み込む。

〈表現の自由↔個人の尊厳・人権の保護〉

神田教諭が提示した二つの関係をもとに、教室の議論は白熱する。
「表現の自由は、個人の人権を守るためにこそある」という神田教諭と、「まず表現の自由があって、その先に人権の保護がある」という生徒。それはどちらも正しい。ただ面倒なのは、一方が欠けたら一方が損なわれる関係でありながら、一方が一方を損なうこともあるという点だ。そのために両者の関係性は、常に揺らいでいる。そして神田先生はこう言い切る。

「何を書いてよくて、何を書いてはいけないのか、僕も分かりません!」(中略)
「誹謗中傷と批判の明確な線引きや、厳罰化と言論の自由の問題にしても……僕も正解は分からないけれど、発信するときに僕なりのスタンスはある。スタンスは選ぼうと」

誹謗中傷はしてはいけない。
しかし、どこからが誹謗中傷とするか線引きはない。
そしてどんな発信でも、人を傷つける可能性はある。
だから発信するときは、自分のスタンスを選ばなくてはいけない。
答えはひとつではなく、ひとりひとりが答えを見つけなければいけない。

「お腹あたりから居心地悪い」感覚とは、問題に答えがないという不確かさ。そして発信する自分の正義や欲求、自分が持つ表現と向こう側にいる人の尊厳を、問い続けなければならないということ。そこまで考えずに、無邪気にSNSを使ってきたことの危うさを知るからだろう。

本書は、ネット上で誹謗中傷を受けて命を絶った木村花さんの母・響子さんが、小学校で行った特別授業も収めている。そこで響子さんは、丁寧に小学生に問い、その答えを受け止める。繰り返されるネットの誹謗中傷に有効なのは、繰り返し問い続けることなのだ。その先にはきっと豊かな未来が待っているはずだ。

  • 電子あり
『中学校の授業でネット中傷を考えた 指先ひとつで加害者にならないために』書影
著:宇多川 はるか

指先をほんの少し動かしただけで、瞬時にして人を傷つけ、ときにはその激しい言葉が人の命まで奪ってしまうネット上の誹謗中傷。テクノロジーが発達した現代の新たな問題にとりくんだのは、全国でもトップの東大進学率を誇る開成中学の神田邦彦教諭(国語担当)だった。神田先生の特別授業を追った白熱の記録が、1冊にまとまった!

ネット上の誹謗中傷はなぜ起こるのか?
どうしたらなくせるのか?
現代社会に忽然と姿を現し、いまだ解決の糸口さえつかめていないこの大きな課題に対して、開成中学の生徒たちは、神田先生とともに真剣に考え、議論を戦わせた――。
その迫真の授業を再現するとともに、新聞記者である著者と、授業に参加した生徒たちとの対話、授業をふまえて生徒たちがまとめたレポートもあわせて掲載し、この問題へのさまざまなアプローチを紹介していく。
巻末には、リアリティ番組『テラスハウス』に出演した際の言動がネット上で批判の的となり、自ら命を絶ったプロレスラー・木村花さんの母・響子さんが千葉県の小学校で行った特別授業の全容も掲載する。

レビュアー

嶋津善之 イメージ
嶋津善之

関西出身、映画・漫画・小説から投資・不動産・テック系まで、なんでも対応するライター兼、編集者。座右の銘は「終わらない仕事はない」。

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