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世界が終わるときやってくる。56億7千万年後に降臨し人々を救う「弥勒」とは。

弥勒
(著:宮田 登)
2023.08.07
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未来に生きる仏、弥勒

誤解の多いところですが、「仏教」の「仏」に釈迦の意味はまったくありません。古代インドの原語(サンスクリット)にもありません。
ときどき仏教の開祖は釈迦(ガウタマ・シッダールタ)であるという紹介を見ますが、仏教に詳しい方ほど嘘言うなよと思っているでしょう。

仏=Buddhaとは目覚めた人(悟りを開いた人)の意味です。そこに釈迦の意味はなく、なんとなれば釈迦自身も自分の前には7人の仏があったと語ったとされています(過去七仏)。過去に7人の仏、現在が釈迦、そして未来にも仏はあります。それが弥勒です。弥勒は56億7千万年後の未来、仏となって降臨し、この世界に幸福をもたらすといわれています。

56億7千万年なんてとんでもない。そう感じる方も多いでしょう。クロマニョン人が描いたとされるラスコーの壁画でさえ2万年前です。56億7千万年は人間の尺度ではありません。

もっとも、弥勒自身はおそらく、そんなに長い時間だと感じてはいないでしょう。56億7七千万年はあくまでこの世界の時間の尺度でいえばそうなるので、弥勒が修行している世界(兜率天/とそつてん)ではそんなに長い時間ではありません。
早い話が並行世界SFが展開されているわけで、紀元前にそんな考えがあったというのはとても興味深いことのように思えます。あえて現代性をもたせるならば、量子力学的に否定できない考え方だと言うこともできるでしょう。

日本での受容、世界での受容

本書は仏教での弥勒の扱いを追求するものではありません。

将来、必ず出現するだろう弥勒菩薩に対する信仰が、日本の民間社会に受容されてどのように展開するかは、日本人の宗教のあり方を考えるに当たってきわめて興味深い問題である。
この未来仏信仰の教えは、仏教が移動・伝播(でんぱ)する折に、それぞれの民族に受け止められる段階で、さまざまな形態を示してくるわけなのである。

ご存じのとおり、仏教は北インドに生まれ、シルクロードを通って大陸を横断し、日本に伝わりました。ヒマラヤがあるために現在のイスラム世界も通過しています。
弥勒の考え方ももちろん同じルートを通りました。現代とは異なり産地直送はあり得ませんから、途中で土着の信仰を取り入れたり捨て去ったりしながら運ばれてきたのです。
当然のこと、各地でその受容形態は異なっています。

著者の宮田登先生は高名な民俗学者であり(故人)、本書の前に『ミロク信仰の研究』を上梓されていました。豊富なフィールドワークと資料によって、日本におけるミロク信仰と、さまざまな受容のかたちを述べられていたのです。先生はここで、未来仏の受容には7つの形態があることを指摘されています。

本書は、第一章でこれをまとめつつ、日本国内のみだった前著の視点を世界に広げたものです。

時間・空間を超えて弥勒の雄大なスケールは、どこから生まれ、どのように発展したのだろうか。弥勒は未来における人間のあり様を説き、人間の救いを説いて、多くの民族の心をひきつけて止まないのである。いまだその全容はつかみがたいが、巨大な人類文化の深淵を垣間見る思いがする。

弥勒はメシアにならなかった

宮田先生は本書で、未来仏である弥勒がついにメシアにならなかったことを指摘されています。いつかは判然としない未来にこの世に降臨することが約束されている点では、弥勒はイエス・キリストとまったく異なるところがありません。しかし、弥勒はイエスのように、人々を裁くことはありません。中国では民衆運動の旗印となったこともありますが、日本ではそれすらありませんでした。

日本の宗教社会には、未来に現れるメシアというものの出現を、具体的に説くという性格は、きわめて乏しいといえる。したがって、弥勒=メシアを待望して、至福千年というか、千年王国論を展開するような宗教運動というものにも欠けていることになる。
現象的にはそのように結論づけられるのであるが、それでは、なぜそうなのかということについては、幾つか比較する視野をもってみるべきである。東南アジアから東アジアを含めたた中で、弥勒信仰を、すなわち大乗仏教の文化圏の中で、それぞれの民族性に合わせて検討する必要があるということになる。

日本でのさまざまな受容形態をあらためてふりかえりつつ、本書は「なぜなのか」に回答を与えようとしています。しかし、ついにそこに到達することはありませんでした。
ただし、ヒントは開示されています。ここではそれにふれることはしませんが、自分はなるほどなと思いました。
本書は弥勒=未来仏という仏教(世界宗教)に特徴的な思想をたどりながら、「日本人とはなにか」というもうひとつのテーマをたどっていきます。他では得られぬたいへん有意義な読書体験をもたらしてくれる書物です。

なお、宮田先生は差異を表現するために、「みろく」「ミロク」「弥勒」の三種の表記を使い分けています。

  • 電子あり
『弥勒』書影
著:宮田 登

世界が終わるとき、やってくる。
蘇我馬子も藤原道長も惚れ込んだ弥勒(みろく)信仰。56億7千万年後に降臨し人々を救う、未来仏とは何か?

広隆寺の国宝として有名な、弥勒菩薩半跏思惟像。弥勒とは、56億7千万年後に現れて衆生を救うという、阿弥陀や釈迦と並ぶ仏のことである。古代日本に伝わると、災害や飢饉と結びつき、末法思想(メシアニズム)として全国の民衆に広がった。戦後民俗学の泰斗が、中国・朝鮮との比較を通して、日本独自の弥勒信仰の歴史と民俗を復元し、日本文化の原型を描き出す。宗教民俗学を土台にした日本文化論!

【目次】
はじめに
第一章 民間伝承としての弥勒
第二章 宗教運動と弥勒
第三章 比較宗教論における弥勒
第四章 日本仏教と弥勒
第五章 鹿島信仰と弥勒
第六章 朝鮮半島と沖縄の弥勒
第七章 世直しと弥勒
第八章 大本教の中の弥勒
まとめ

レビュアー

草野真一 イメージ
草野真一

早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 何が便利で、何が怖いのか』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。
https://hon-yak.net/

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