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同和運動、自民党、山口組……すべてをつないだ男・上田藤兵衛が目にした戦後史の死角

2023.03.08
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まるで蜘蛛の巣だ。第1章「起点」から、本書はその膨大な情報量と、魑魅魍魎(ちみもうりょう)のごとき登場人物の奔流で読者を圧倒する。

ものものしい響きの本書タイトル「同和のドン」とは、京都府出身の運動家・実業家、上田藤兵衞の異名である。1986年に創設された自民党系の活動団体「全国自由同和会」(後に自由同和会)のトップとして、社会党系の部落解放同盟、共産党系の全国部落解放運動連合会(全解連)と並び、部落問題解決に邁進してきた。彼がすべての始まりと語る出来事――1983年の品川プリンスホテルでの暴力沙汰を綴る第1章では、一人の人間が複雑怪奇な人物相関図に呑み込まれるさまを臨場感たっぷりに描き出す。

当時、全日本同和会京都府連合会の青年部長だった上田は、先輩の兄が携わる霊園事業で起きたトラブル解決のため、鎌倉の住職を訪ねる。その話し合いの席でちょっぴり声を荒げた翌日、彼は「地上げの帝王」こと早坂太吉に呼び出され、品川のホテルへ。そこで待っていたのは、悪名高き「エセ同和」尾崎清光と早坂、その配下の群れであった。

「そら、エセ同和として有名な男ですから名前は知ってた。なんで尾崎がここに、という思いのまま、『返事をもらいにきたんやけど、これなんですか……』と、派手な“出迎え”に文句をつけた。返ってきた尾崎の答えは、『なに~、このドチンピラが!』でした」

上田はボコボコに痛めつけられた挙げ句、簀巻(すま)きにされてリムジンに押し込められた。絶体絶命の窮地をからくも救ったのは、「バカ政」の異名を持つ住吉会最高顧問・浜本政吉からの電話だった……。

このオールスターぶりはどうしたことか。唖然とするほかない導入部で、本書は読者を一気に引き込んでいく。

元自民党幹事長の野中広務と強固な協力関係を築く一方、五代目山口組組長・渡辺芳則とも深い親交があった上田藤兵衞。この両極端な交友関係が示すように、水と油を引き合わせ、いずれの勢力にも顔の利く稀有な人物である。本書はその数奇な生きざまにフォーカスするかと思いきや、単なる評伝の枠からもはみ出し、想像を超えた広がりを見せていく。ひいては古来より連綿と受け継がれてきた日本の差別構造、近代化以降の政治と暴力と人権運動の関係をつまびらかに描こうという、野心的な1冊なのだ。

たとえば、上田がなぜ同和問題にのめり込むことになったのか、その出自から紐解くくだり。彼自身が「夙(しゅく)」と呼ばれる被差別部落の出身者だったから……という説明だけで終わるほど、話は単純ではない。本書はそういった複雑な歴史的/個人的背景に深く分け入り、一面的な理解では全容を掴めない事象にどんどん突き進んでいくので、読みながら振り落とされないよう注意しなければならない。

「夙(しゅく)」は天皇の陵(墓)の守護・管理を担う者。死という「穢(けが)れ」を扱う点では、葬送・屠畜・皮革業などの職人を含む「穢多(えた)」と同じようにかつて差別対象であった。しかし、京都・山科の天智天皇陵を守る上田家は誇り高き家柄であり、材木業を営む実家は裕福で、少なくとも少年時代は被差別者としてのコンプレックスとは無縁の幸福な日々を過ごしたという。ところが家業が破綻し、貧困が彼の性格を変える。青年期は暴力沙汰に明け暮れ、やがて右翼団体「玄洋社」の構成員となり、しまいには殺人罪で刑務所入り……そこで、同じく服役中だった山口組の渡辺芳則と知己を得る。

もうこの時点で波乱万丈としか言いようのない人生だが、のちに彼が自民党系同和団体のトップになるのは、その極端に振れ幅の大きい(しかしピンポイントで常道を外れた)成長過程や、生育環境が大きく影響したのではないかと思わせる。

上田は出所後、母親の強い意志もあって極道にはならず、全日本同和会で運動員となる道を選んだ(のちに同団体は利権を漁るエセ同和の巣窟となり、母体の自民党にも見放される)。部落解放同盟に行かなかったのは、論文や出版物、その運動の源流にあるマルクス主義の文献も読み込んで、いまいちピンとこなかったからだという。

「納得がいかないというか、部落解放が階級闘争によってもたらされるという理論を受け入れられない。絵空事に思えてくるんですわ。政治を担うのは政権与党、自民党です。運動を法律にして通し、実現するには自民党を掴み、働きかけ、動かすのは当然のこと。反体制運動をやってどないすんのや、と」

ここまでハッキリ言われると、いっそ清々しい。

問題意識は高いが、コンプレックスは薄い。なおかつ社会のオモテもウラも知り尽くし、どちらにも顔が利く。そんな人物を自民党は「話の通じるリーダー」として選んだ。反体制・反権力の性格が強い理想家よりは、世間をよく知るサバイバーを選ぶ……「それはそうだろうな」と得心しつつ、「そんなにも清濁併せ呑む能力がこの国では必要なのか」という思いも同時に生じるのは、青臭さの表れだろうか。そんなメランコリーはさておき、評伝としてはすこぶる面白い。たまたま身についたパーソナリティが、アウトローへの道をわずかに逸れて「同和のドン」となる条件を形成していく過程には、歴史ミステリーを読むようなスリリングさがある。

シンプルな人物伝かと思って読み始めると、イメージと内容のギャップに初めは戸惑うかもしれない。しかし、我々日本人にとっては、これまで語られてこなかった自国の暗部と向き合うダークな教科書として、今こそ読んでおきたい貴重な1冊である。エセ同和とバブル経済、マスコミの忖度、廃案にされ続ける人権擁護法案……。読後は世間を見る目がしばらく変わること請け合いだ。

部落差別問題は一旦の終結をみたという評価もある。だが、別種の多様な差別問題は、いまだこの国から失われていないことは誰でも知っているはずだ。「人間の安全保障」をあまねく世界に広めんとする上田藤兵衞の物語も、まだ終わっていない。今も蜘蛛の巣は広がり続けている。
(以上、敬称略)

  • 電子あり
『同和のドン 上田藤兵衞 「人権」と「暴力」の戦後史』書影
著:伊藤 博敏

政界でもメディアでも知らぬ者はいない「京都のドン」が初めて語った。没落と反抗、暴力と抗争の修羅場を経て、自民党系同和団体のトップとなった上田藤兵衞は、あらゆる差別と闘ってきた。その人生は、そのまま戦後の暴力団・同和・経済事件史そのものでもある。山口組五代目と親交を結び、野中広務とタッグを組み、部落解放同盟と拮抗した上田が見たもう一つの戦後史とは何か? 発売前から業界を賑わせている本格ノンフィクション。

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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