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性をめぐる宗教界最大のスキャンダルとは? セックスと宗教はどのように関係するのか。

性(セックス)と宗教
(著:島田 裕巳)
2022.03.02
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愛と死、そして世界を知る

夢枕獏先生が完結までに四半世紀を要した代表作にして大長編「サイコダイバー・シリーズ」は、人里はなれた山中で多数の男女が乱交パーティーを繰り広げる様子を描写することからはじまっています。ある教団の宗教儀礼でした。

これはむろんフィクションですが、根も葉もないことではありません。本書でもとりあげている『理趣経』という経典は、現在でも真言宗や天台宗で大切なものとして扱われていますが、その内容をひどく雑にひとことで要約するならば「セックスの快楽はさとりの境地である」になります。乱交パーティーと近しい考え方だととらえられても致し方ないところがあると言えるでしょう。実際にその教義を実践しているとして幕府の弾圧を受けた教団もありました。
ちなみに、この経典をインドから持ってきて中国のことばに翻訳したのは、『西遊記』に登場する三蔵法師――玄奘三蔵です。唐の時代のことでした。

セックスと宗教には、切っても切れない関係があります。本書は、それをテーマとして、世界のあらゆる宗教を考察しています。そこにはもちろん、日本で独自の発展を遂げた仏教や神道もふくまれています。

人の懊悩は煎じ詰めれば愛と死のふたつに集約されるといいますが、そのいずれにもセックスは深く関係しています。セックスをすることは愛の終着点のひとつであり、同時に子をなすこと=みずからの死にもかかわっています。挑戦的なタイトルからいささかゴシップ的興味を抱いてしまう読者も多いと思われますが(かくいう自分もそうでした)、すべての宗教を概観するにあたってこれほど適当なテーマもありません。世界のさまざまな宗教を紹介する書物はいくつもありますが、この視点から眺めることで、あらゆる宗教を同じ地平から見渡すことができるのです。
キリスト教原理主義がアメリカ大統領選に大きな影響を与えていることは周知の事実ですし、日本もまた、政権与党に宗教団体を支持母体とする政党を戴いています。宗教を知ることは世界を知ることであり、本書はその最良のガイドブックであると言えるしょう。

なぜ聖職者は結婚してはならないのか

キリスト教と仏教に共通しているのは、聖職者の妻帯が禁じられてきたことです。キリスト教においては、カトリック教会と正教会で聖職者に独身が求められてきました。カトリック教会では近年、聖職者による性的虐待の問題が起こり、バチカンはその問題で社会的に追及されていますが、独身制を崩そうとはしていません。

漫才コンビのナイツがマイケル・ジャクソンを話題にして、「彼は少年をベッドに連れ込んでアオ!なことをしてた」と語って笑いにしていましたが、マイケルは勝訴してそんなことはしてないと立証されたものの、カトリックの聖職者はじっさいにアオ!なことをしていました。それは世界中で問題視され、なかには獄中死した聖職者もあったにもかかわらず、その大きな要因のひとつだろう独身制を変えるにはいたっていません。

現代日本では僧侶が妻帯肉食飲酒するのは当たり前になっていますから実感がわかないかもしれませんが、もともと仏教では僧侶が結婚することを禁じていました。
梅原猛さんが嘆かれていました。どこの宗派も浄土真宗のマネして妻帯するのが当たり前になってるけど、ひとつぐらい仏教の教えを貫く宗派があってもいいじゃないか。妻帯しないことは重要な教えじゃないか。(修辞は筆者による)

本書は、どうしてそうなったのか、その理由についても述べています。さらに、仏教やカトリックがなぜ妻帯を禁じたのかについてもふれています。表面的な理由は簡単で、聖書も仏説も姦淫するなと説いているからですが、ではどうしてそう説かねばならなかったのでしょうか。
この問題をここまで深く掘っている書物はすくなく、本書の重要な特徴のひとつになっています。

宗教の終焉

著者の島田裕巳先生を、オウム真理教の擁護者として記憶している人も多いかもしれません。その記憶は誤りではありませんが、先生はオウムによって自宅マンションを爆破されており、じつは被害者でもあります。
本書でも、ヨーガ行者としての麻原彰晃(オウム真理教の教祖)について言及しており、オウム真理教を宗教の流れの中に位置づけようとしています。麻原を単なる犯罪者と見なしてしまっては事件の本質を見誤ってしまうんだ、という納得のいく主張がそこにはあるといえるでしょう。

本書は、そういう人が、世界の宗教各派さらには新宗教までを「セックス」を切り口に概観した本です。くりかえしになりますが、世界の宗教に関してのガイドブックとしてもっとも優れたもののひとつになっています。
そして――これはとても重要なことですが――この本は「宗教の終わり」について述べた本でもあります。すこし長いですが引用しましょう。

この本で見たように、性についてのそれぞれの宗教の考え方も男性中心であり、女性を低く考えるところで共通しています。そうした宗教が、現代になって衰退の局面に入ってきているのも仕方のないことかもしれません。宗教はその形を崩し、根本的な刷新を行うことはできないものなのです。
性についてのあり方、考え方は、それぞれの宗教が生まれた時代とは大きく変わってきています。より自由になったこともあれば、規制が厳しくなったこともあります。同性愛についてなど、現代のほうがはるかに規制され、差別されていたりもします。
人間の特異な性のあり方が、宗教という、人間だけにみられるものを生みました。だからこそ、宗教は人類の起源とともに生み出されたのです。
そして、人間は、宗教の力を借りることで性をコントロールしてきました。しかし、現代の性のあり方は、すでに宗教がコントロールできるものではなくなっているのかもしれません。
性と切り離された宗教は綺麗事になるかもしれませんが、本質的なものではなくなっていきます。私たちは今、重大な岐路に立たされているのです。

  • 電子あり
『性(セックス)と宗教』書影
著:島田 裕巳

■性をめぐる宗教界のスキャンダルとは
■なぜ浄土真宗だけが僧侶の結婚を許されていたのか
■親鸞は本当に「愛欲の海」に沈んだのか
■カトリック教会が頑なに独身制を維持する理由とは
■イエスに邪な気持ちはあったのか
■なぜイスラム教は性を禁忌としないのか
■罪となる性行為の中身とは
■密教にも存在する性の思想とは

キリスト教・仏教・イスラム教……人間の性の欲望と戒律をめぐるすべての謎を解き明かし、宗教の本質に迫る!
───
性ということと宗教とはどのように関係するのか。

それがこの本のテーマです。この場合の性とは、文化的、社会的に作り上げられた性差としてのジェンダーを意味しません。行為を伴ったセックスとしての性です。

この本は小著ではあるものの、世界の主要な宗教における性の扱い方を対象とすることによって、「性の宗教史」としての性格を持っていると言えるかもしれません。それは、これまでになかったアプローチの仕方ではないでしょうか。

篤い信仰を持っている人たちは自らの宗教を神聖視し、欲望とは切り離された清浄なものと見なそうとします。それは信仰者の願望ということになりますが、そこで性の問題を無視してしまえば、人間の本質にはたどりつけません。

人間は、自らが抱えた性の欲望に立ち向かうことで、宗教という文化を築き上げてきたのではないでしょうか。

性を無視して、宗教を語ることはできないのです。

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本書のおもな内容

第1章 なぜ人間は宗教に目覚めるのか
────信仰の背景にある第2次性徴と回心の関係性
第2章 イエスに邪な気持ちはあったのか
────キリスト教が「原罪」と「贖罪」を強調した理由
第3章 なぜ聖職者は妻帯できないのか
────仏教とキリスト教の違い 女犯とニコライズム
第4章 戒律を守るべき根拠は何か
────邪淫が戒められる理由
第5章 なぜ悟りの境地がエクスタシーなのか
────房中術と密教に見る性の技法
第6章 なぜイスラム教は性を禁忌としないのか
――――預言者の言葉から読み解くその実態
第7章 親鸞は本当に「愛欲の海」に沈んだのか
────浄土真宗だけが妻帯を許された理由
第8章 神道に性のタブーはないのか
────日本独特の道徳観と系譜
第9章 なぜ処女は神聖視されるのか
────マリアとスンナに見るその意味

レビュアー

草野真一

早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。
https://hon-yak.net/

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